『第七の封印』 Det Sjunde Inseglet (瑞)
1957年制作、1963年公開 配給:東和=ATG モノクロ
監督 イングマール・ベルイマン
脚本 イングマール・ベルイマン
撮影 グンナール・フィッシャー
"音楽 エリク・ノルドグレン"
主演 アントニウス … マックス・フォン・シドー
ヨンス … グンナール・ビヨルンストランド
ミア … ビビ・アンデルセン
ヨフ … ニルス・ポッペ
死神 … ベント・エケロート
中世のスエーデン。騎士アントニウスとその従者ヨンスは十字軍の長期の遠征を終えて帰国するが、黒死病が蔓延しており
神に救いを求める民衆の哀れな姿であった。と同時にアントニウスは背後にいる死神の存在に気付く。アントニウスは死神に
死の猶予を得るためにチェスでの対決を申し入れた。死神もこれを受け入れ、居城への道のりの最中も勝負が続けられた。
その道中でアントニウスは様々な人々に出会う。家族を疫病で失った少女、火刑に処される魔女、妻に駆け落ちされた鍛冶屋、
そして素朴な旅芸人のヨフとミアの夫婦。その間にもチェスの勝負は続いたが、居城を目前としたある夜、アントニウスはついに
チェスでの敗北を認める。それはアントニウスの傍らにいるすべての者の死でもあった。その様子を見ていたヨフは身の危険を
感じて妻子とともに一行から離れる。ようやく城に戻りついたアントニウスは妻と再会し一同は食卓を囲んで祈りを始める。
アントニウスの妻が聖書を開きヨハネの黙示録を読み上げる。「而して小羊、第七の封印を解き給いたれば…」 そのとき、
死神が現れてその場に居た者全員の命を奪ってしまう。
難を逃れたヨフが見たのは、死神に先導され死のダンスを踊るアントニウスら犠牲者たちの姿であった。
【前置きとして、「ヨハネの黙示録」における七つの封印とは】
七つの封印とは、「ヨハネへの啓示」いわゆる「ヨハネの黙示録」に記されている神の黙示であって、神から授かった七つの
巻物を子羊の手によってその封印が一つ一つ解かれ、その度に、戦乱・飢餓・疫病などの災いが地上に降りかかり、最後の
七つ目の封印が解かれたとき人類は滅亡、その後メシアが地上に降臨すると殉教者はよみがえり最後の審判が開始される、
というものです。
「ヨハネの黙示録」第六章において第一から第六の封印について、第八章において第七の封印について記述されています。
ベルイマンは少年時代に古い教会の壁に描かれた「ヨハネの黙示録」の説話的な絵を見てそれがいつまでも忘れることが
出来なかったと回顧しており、その絵を題材にして『木の壁に描いた絵』という一幕ものの演劇として取り上げたことがあり、
この作品のシナリオはそれをベースにして書き下ろされたものです。そのため、この作品はベルイマン独自の固定概念が
生々しく表現されています。
また死神がチェスをする異様な光景もその壁画に描かれていたそうです。
映画は世界の終末をイメージする黒死病(ペスト)の蔓延と、神に救いを求めても手に入れられない民衆の狂乱する姿に
神の不在というテーマを重ねながらも、死は敬虔な気持ちによって迎えられるべきものであるという意思をも示しており、
神と人間との対話の中に、人間の生の本質を問いかけるように投影しています。
モノクロームによる際立った白黒の陰影による映像美もさることながら、ラストにおける信心深い旅芸人のヨフとミア夫婦、
そして無垢な赤ん坊に未来を託すという軽いロマンチシズムも演劇出身のベルイマンらしい演出でしょう。
ちなみに、旅芸人の家族の名前はヨフ、ミア、赤ん坊のミカエルとなっています。これはヨセフ、マリアそして天使を意味
しているともいわれており、神の不在、神の沈黙という題材を掲げながらも、父が牧師でその実は敬虔なクリスチャンで
ある証左かもしれません。
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欧米の人々の思想や行動は、『聖書』によって大きな影響を与えられています。
当然のごとく西洋の芸術家の人々にも幼いころから聖書の教えが刷り込まれています。
したがいまして、西洋芸術に対しての理解を深めるためには、どうしても『聖書』の知識は不可欠であり
『聖書』は必須アイテムだと考えています。
今回紹介しました『第七の封印』に関しましても、『聖書』の知識があればそれなりに理解を深めることができたのでは
ないかと思う次第です。
私は単なる無宗教者でクリスチャンではありませんが、西洋芸術の理解を深めようと思われる方には『聖書』の一読を
お勧めします。