港町のカフェテリア 『Sentimiento-Cinema』


献立は…  
シネマ・ポップス…ときどきイラスト

1965年 『恋のダウンタウン』 ペチュラ・クラーク

2015-08-21 11:13:45 | 続・60年代ポップス変遷史

”Downtown” Petula Clark



ペチュラ・クラークはイングランド・サリー州の出身ですが、彼女のプロデューサーでありソング・ライターでもある
トニー・ハッチにこの曲を提供された時はパリで売れない活動していました。トニーの強い勧めで英語でこの曲を
レコーディングするとやがてイギリスで火が付き、1965年1月には全米No.1に輝くヒットとなりました。

When you're alone and life is making you lonely
You can always go - downtown
When you've got worries, all the noise and the hurry
Seems to help, I know - downtown

↓はペチュラ・クラークの『恋のダウンタウン』 YOUTUBEより



またペチュラはこの曲をフランス語でもレコーディングしています。
フランス語のタイトルは"Dans le temps (以前は) " という同じ響きの言葉ですが内容は英詩とかなり違っています。

”Dans le temps” Petula Clark

Il n’y a plus, dans cette ville, la joie
Qu’il y avait avant
Dans le temps
Je suis perdue dans cette ville sans toi
Toi qui m’aimais pourtant
Dans le temps

↓はペチュラ・クラークの『恋のダウンタウン』フランス語盤 YOUTUBEより



1965年 『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』 アストラッド・ジルベルト

2015-08-20 09:54:03 | 続・60年代ポップス変遷史

”Fly Me To The Moon” Astrud Gilberto



『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』についてはこのブログの2015年7月19日付の
”1964年 『月へ飛ぶ思い』と『想い出のタンゴ』 ブレンダ・リー”において、
すでに紹介させていただいていますので省略します。
http://blog.goo.ne.jp/chochi4510/e/c00abcc3580cb02c3b46ab9d08eefccd

ジルベルトの唄はボサノヴァのリズムに乗って肩に力の入らないリラックスした歌唱ですね。

Fly me to the moon
and let me play among the stars.
Let me see what spring
is like on Jupiter and Mars.
In other words, hold my hand!
In other words, daring kiss me!

↓はアストラッド・ジルベルトの『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』(英語盤) YOUTUBEより


また、彼女のイタリア語のLPアルバムにおいてもこの曲が収録されています。
Canta in Italiano ”Portami con te” Astrud Gilberto

↓はアストラッド・ジルベルトの『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』(イタリア語盤) YOUTUBEより

(個人的には最初に耳にしたこちらの方が好みです)


しかし、ボサノヴァの『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』といえば何と言っても本家本元のジョー・ハーネルでしょう。

↓はジョー・ハーネル楽団の『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』 YOUTUBEより



実は、このページにちょっとしたイタズラをしたのですが、お気づきになられたでしょうか?

冒頭に掲げた画像ですが、これはアストラッド・ジルベルトではありません。
画像の主は『蜜の味』『ドクトル・ジバゴ』などで有名なイギリスの女優、リタ・トウシンハムでした。
画像
(左がアストラッド・ジルベルト、右がリタ・トウシンハム)
ホント、よく似ていますね。




1965年 『若草の恋』 カトリーヌ・スパーク

2015-08-19 12:09:13 | 続・60年代ポップス変遷史

”Mes Amis.Mes Copains”  Catherine Spaak



イタリアの青春スター、カトリーヌ・スパークによるカンツォーネとなっていますが、タイトルをご覧になられて
おわかりいただけるように、原題の ”Mes Amis.Mes Copains” は「私の友、私の仲間」というフランス語です。
原曲はモゴールとパーチェの作詞作曲なのですが、元々はフランス語で書かれていたようで、タイトルの
”Mes Amis.Mes Copains”をそのまま生かしてイタリア語の歌詞を仕上げたようです。
カンツォーネ・ブームの中、1965年春先にヒットしました。

Io ritorno accanto a voi
mes amis,mes capains
e se un giorno vi lascial
fu perche mi innamorai
Mi sorris,vi scordai
mes amis,mes copains
io vedevo solo lui
e me ne andai


↓はカトリーヌ・スパークの『若草の恋』 YOUTUBEより




ご参考までに、アニー・フィリップのフランス語盤もYOUTUBEにUPされていましたので、こちらも貼っておきます。

C'est vers vous que je reviens
Mes amis, mes copains,
Vous que j'avais délaissés
Quand l'amour est passé
Un garçon m'avait souri
Mes copains, mes amis,
J'ai trahi, sans y penser,
Votre amitié

↓はアニー・フィリップの『若草の恋』フランス語盤 YOUTUBEより





1965年 『ブルージーンと皮ジャンパー』 サルヴァトーレ・アダモ

2015-08-18 11:44:33 | 続・60年代ポップス変遷史

”En Blues Jeans Et Blouson D'Cuir ” Salvatore Adamo



『サン・トワ・マミー』で一躍デビューを果たしたといわれるアダモですが、実は『サン・トワ・マミー』よりも前の
1964年3月に『ブルージーンと皮ジャンパー』がリリースされていて実質的にはこちらが日本デビューでした。
発売当初は知名度もなく、性別不詳な歌声に日本での反応は芳しくなく、この曲が認知されるのにかなりの
時間を要することになります。
ブルージーンと皮ジャンパーといえば不良少年の典型的なファッション ( 『理由なき反抗』のジェームズ・ディーン)
だったので、私自身もそんな装いを推奨している楽曲だと早合点して敬遠していました。
その後、敬意を払っていた先輩の「この曲もいい歌ね」という言葉に、早速レコードを買い求め、フランス語の
辞書を片手に自分なりに歌詞を訳してみて、不良少年の風貌を諌める内容であるのを知ることになりました。

En blue jeans et blouson d'cuir
Tu vas rejoindre les copains
Si tu n'vois pas qu'est c'qu'ils vont dire
Quand tu les verras demain
En blue jeans et blouson d'cuir
Tu te crois en liberte
On ne pourrait te contredire
Ca blesserait ta dignite

↓はサルヴァトーレ・アダモの『ブルージーンと皮ジャンパー』 YOUTUBEより


”Tu n'es pas mauvais garcon…” の言葉の響きがいいですね


1965年 『ドンナ・ドンナ』 ジョーン・バエズ

2015-08-17 14:54:40 | 続・60年代ポップス変遷史

”Donna Donna” Joan Baez



このもの悲しい曲は、アーロン・ツァイトリン作詞、ショロム・セクンダ作曲 (いずれもユダヤ人) による1940年に
ニューヨークで公開されたミュージカル『エスターケ』の劇中歌が原曲となっているようです。
原曲の歌詞では、ロープで繋がれて市場に売られる仔牛と、自由に笑いながら空を飛ぶツバメという対比の中に
祖国もなく放浪する救われないユダヤ人の運命が暗示され、やがて訪れる第二次大戦のナチスのユダヤ人迫害
をも予告しているかのようにも思えます。
1960年当初のフォーク・ブームにおいてジョーン・バエズが初のアルバム「ジョーン・バエズ」で取り上げたことで
フォーク・ソングの名曲として広く世間に知れわたることになりました。
日本では1965年頃から静かにヒットし始めています。

On a wagon bound for market
There's a calf with a mournful eye.
High above him there's a swallow
Winging swiftly through the sky.

↓はジョーン・バエズの『ドンナ・ドンナ』 YOUTUBEより


『ドナ・ドナ』『ドナ・ドナ・ドーナ』などという邦題もありますがジョーン・バエズのレコードは『ドンナ・ドンナ』でリリース
されています。ちなみに、B面は既に紹介済みの『朝日のあたる家』でした。