常寂光寺の後はすぐ近くの落柿舎に行きました。
落柿舎は芭蕉の弟子の向井去来の住まいでした。
落柿舎は芭蕉の弟子の向井去来の住まいでした。
落柿舎の名の由来は一夜にして庵の回りの柿の実が落ちた、ということからです。今でも柿の木がありました。
俳人の閑居らしい端正な雰囲気を漂わせていました。
落柿舎の後は二尊院に行きました。
二尊院の名は本尊である阿弥陀如来と釈迦如来という二体の如来像に由来します。
パンフの写真では大きな像に見えましたが、実際は小ぶりの像でした。
総門を抜けた先の参道には紅葉と桜が交互に植えられており、紅葉の馬場と呼ばれて紅葉の名所となっています。
総門を抜けた先の参道には紅葉と桜が交互に植えられており、紅葉の馬場と呼ばれて紅葉の名所となっています。
当日は見頃には少し早く見学者も絶えなかったのでなかなか人の入らない写真は撮れませんでした。
黒門の回りの紅葉は色づいていました。
勅使門は重厚で立派です。
本堂は予想以上に大きかったです。
庭のもみじは色づいていました。
黒門の回りの紅葉は色づいていました。
勅使門は重厚で立派です。
本堂は予想以上に大きかったです。
庭のもみじは色づいていました。
庭には花手水が置かれていました。
境内には小倉餡発祥の碑がありました。
それによると和三郎という菓子職人が空海が中国から持ち帰った小豆を栽培し、それに朝廷から下賜された砂糖を加えて餡を作り献上したそうです。