特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

ダメ人間参上!

2015-10-22 08:55:09 | 特殊清掃 消臭消毒
秋も深まる中、このところは気持ちのいい晴天が続いている。
四季折々の景色はどれも美しいが、秋の景色もまた格別。
清んだ青空に自由な雲、紅黄に染まる街路樹、店頭に並ぶ秋の味覚、暖色に変わりつつある街の色・・・
何より、肌寒いくらい凛とした涼気が心地いい。

しかし、この秋を迎える前の天気はちょっと異様で、8月半ばから9月半までの約一ヵ月間、雨天曇天が続いた。
まるで梅雨のような気候で・・・いや、梅雨より梅雨っぽかった。
各地で大きな災害も起こり、何人かの人が亡くなり、多くの人が家や土地を失った。
ニュースにもならなくなったけど、今でも避難生活を余儀なくされている人は多くいるのだろう。
将来に希望を持てないでいる人も多くいるのだろう。

それがわかっているのに・・・
私は、仕事を放りだしてまで救援のボランティアに参加しようとは思わない・・・
酒肴を削ってまで金を差し出そうとは思わない・・・
自分さえよければそれでいい?
そういう風に、人の災難を他人事として遠目に見ているダメな自分がいる。
ただ、言い訳にも聞こえるかもしれないけど、社会における自分のポジションを維持することも間違いではないと思っている。
いつも通り働くことも、キチンと納税することもまた社会貢献。
社会福祉政策も人や税金で動かされているわけだから、間接的にでも、災害復興の一端の端の端の端・・・くらいは担えているように思う。

天災と同列に並べることはできないけど、そんな私にも小さな災難はあった。
今年に入って、二度、交通違反で警官に止められたのだ。
理由は、右折禁止のところを右折したため。二度とも。
一度目は4月、大通りの交差点。
ちゃんと右折レーンがあり、私は、そこに進入。
標識にまったく気づかす右に曲がったのが運の尽き。
その先には警官が待っており、あっさり御用。
その交差点には右折禁止時間帯があって、それは、まさにその時のことだった。
二度目は7月、現地調査のため現場近くに駐車場を探していたときのこと。
小さな路地から通りへ出るには左折のみ可だったに、標識を見落としてしまい、右に出てしまった。
ここでも違反者が多いのか、行く手にはちゃんとパトカーが待機しており、これまた御用となってしまった。
短い間に二度も同じミスを犯すなんて・・・私は、学習能力のない自分にやり場のない苛立ちを覚えたのだった。

私にとって、車の運転は、仕事の中でも大きなウェイトを占める。
運転距離は一年で50,000kmくらい。
運送業でもないのにこの距離はなかなかのものだと思う。
これまでも、上記のような小さな違反を繰り返してきており、大学のときに運転免許を取得して以降、免許証の色は一度も青から上にあがったことがない。
それでも、人身事故を起こしたことがないのは幸い。
上記の違反も、罰金・減点は痛かったけど、人身事故や物損事故に比べれば全然マシ。
ただ、次に何かやったら免停か講習になるので、今は、一層、気をつけて運転している。

今は、当然のように安全運転を心がけることができている私だけど、若い頃には、飲酒運転をやったことがあった。
こともあろうに泥酔状態で、思い出すと、今でも、その恐怖感と嫌悪感に虫唾が走る。
当時は、飲酒運転に対する取り締まりも今より甘い時勢で、飲酒運転に対する罪悪感も薄かった。
もちろん、時勢のせいにするのはまったくの愚考だけど、回りの人間にも飲んで車を運転する者が少なくなかった。
幸い、そのときは、事故を起こすこともなく、警察に捕まることもなかったけど、深夜の道を結構なスピードで走ったことを憶えている。
“若い”ということは素晴らしいことだけど、このように、“若さゆえの愚行”ってものもある。

私がこの仕事に就いたのは、大学を卒業して数ヶ月後のこと。
その経緯は2006年6月23日、2008年12月4日の「死体と向き合う」二編(←懐かしい!)に記したとおりだが、当時の私も若かった。
一年くらいのうちに、ほとんど皆辞めていなくなってしまったけど、当時の先輩は皆40代。
「先輩」といっても、ほとんどの人がキャリア数ヶ月程度。
職を転々としているような人ばかりで、素性の怪しい人、借金取りから逃げているような人、アル中?、チンピラ風の人もいた。
そんな具合だから、人の入れ替わりも激しく、一年続けば一人前、二年もやればベテラン。
大卒なんて誰もおらず、
「大学でてまでやる仕事じゃない」「すぐに辞めたほうがいい」
と、私のことを小バカにしながら親切なこと?を言ってくれる人もいた。

当初、そんな先輩達は私のことをマトモに相手にしなかった。
親切に仕事を教えてくれる人もいたが、大半の人は私を蚊帳の外に置いた。
そして、「いい雑用係が入った」とばかり、雑用ばかりやらされる日々が続いた。
そんな日々の中、あるとき、ある先輩に「態度が悪い」「生意気」と注意を受けた。
生意気な態度をとっているつもりはなかったのに。
しいて言えば、周囲の人間を無視していた感じ(←ま、こういうのを“生意気”と言うんだけど)。
仕事上、必要なこと以外に口はきかず。
話しかけられて応えることはあっても、必要最低限の短い返事ばかり。
先輩達の口から出る話題がとてもくだらなく思えたし、年齢もかなり離れて話も合わなかったから。
てな具合で、事務所内での世間話や雑談に加わることはほとんどなかった。
一人でいることを好み、仕事が終わっても職場の誰かと飲みに行くことも滅多になかった。
もちろん、敵をつくるつもりは毛頭なかった。
ただ、“協調性を発揮する”“とか”場の空気を読む“ということを眼中に置いておらず、どうも、そんな態度や行動が、生意気に映ったようだった。

私は、心の中で、先輩達のことをバカにしていた。
「いい歳して、こんな仕事にしか就けないなんて・・・」
と、自分も同じ穴の狢(むじな)であることを棚に上げて。
「俺は、この人達とは違う」
と、自分だって逃げるようにやってきたのに、根拠もなく高ぶっていた。
それが、言葉に出さずとも態度に表れていたのだろう。

私は、職場で孤立することを恐れてはいなかった。
孤立しようが嫌われようが、どうせ人手が足りなければ私も戦力として必要になる。
また、職務をまっとうしていれば、表立って文句を言われる筋合いはない。
ただ一点、上役(ヤクザ風)に嫌われないようにすることだけは意識した。
先輩(同僚)にどう思われようが構いはしないが、さすがに、上役に嫌われていいことはない。
世の中の誰も知らないような仕事をしている会社、しかも、吹けば飛ぶような超零細企業に労働法規なんか関係なく、上役の一存であっさりクビにされることがある(実際に多々あった)。
だから、そこのところだけは気をつけた。
ただ、当時、詰めていた現場事務所に上役は常駐しておらず、顔を合わせるのは一ヵ月に一~二度程度。
幸いなことに、粗い先輩達の陰で大人しくしていた私は、上役に目をつけられることはなかった。

そんな具合で、職場の人間関係はよくなかった・・・正確にいうと、人間関係に入っていなかった。
また、労働環境も労働条件も決してよくなかった。
それでも、他の人と同じように「辞めてしまおう」とは思わなかった。
楽な仕事ではなかったけど、仕事に就く前の苦悩を思い出すと耐えることができた。
そう・・・それは、悩みぬいて、失意の先にやっとたどり着いた仕事。
やりたい仕事ではなかったけど、悪意に満ちた動機だったけど興味を持った仕事。
そして、生きるためにやらなければならなかった仕事。
辞めても後はない、逃げても他に逃げ場はない・・・私にとっては、そんな仕事だった。

当時の私は、他人を見下すことで、ダメな自分が目につかないようにしていた気がする。
他人のダメさで自分のダメさをごまかしていたような気がする。
「皆そうだ」と、ダメな自分と戦わないことを正当化し、自分の殻を固くしていたような気がする。
「自分のダメさから目を背ければ平安でいられる」と思い込もうとしていたような気がする。

今の私は、当時の先輩達より年上になっている。
そして、当時の先輩達と大して変わらない日々を送っている。
だから、当時の自分が今の自分をみたら、心の中できっとバカにするだろう。
それでもいい・・・バカにされたって仕方がない。
バカにする方もバカなのだから。
マズイのは、過去の自分が今の自分をバカにすることでもなく、今の自分が過去の自分をバカにすることでもない。
今の自分が今の自分をバカにすること、今の自分が将来の自分をバカにすることがマズいのである。

自意識過剰の被害妄想かもしれないけど、事実、外の人からバカにされていると感じることはよくある。
ただ、誰かにバカにされるよりも、まず先に、自分がこの仕事をバカにしている。
それがよくないこととわかっていても、これがなかなか抜けていかない。
それでも、私は、この仕事に生活を守ってもらっている。
この仕事に教わり、鍛えられ、人間を生かしてもらっている。

他人に対してばかりではなく、自分に対しても礼節は必要。
蔑むことと顧みることとは違う、
卑下すること謙虚であることとは違う、
甘いことと優しいこととは違う、
冷たいことと厳しいこととは違う、
争うことと競うことは違う、
高慢と賢いこととは違う、
自分に接する際には、その辺のところをキチンと弁えることが必要。
そうすることによって、ダメじゃない自分の成長が期待できるのだから。

「貴方はダメ人間なんかじゃない」と言ってもらいたくてダメ人間を自称している節もあるけど、それでも、私は自分をダメ人間だと思っている。
そして、私は、ダメ人間で仕方ないと思っている。
それは、“達観”はもちろん、“弱音”とか“諦め”とか“開き直り”といった感覚からではなく、愚かで無力な一人間の明日への希望として。

そう・・・ダメ人間として半世紀近くも生きている私は、それでも、そのダメさと向き合える人間に、そのダメさに立ち向かえる人間に、そして、そのダメさに負けない人間になりたいという希望を捨てていないのである。


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