しばらく更新していないうちに、暦はもう3月。
外は、日に日に春めいてきている。
寒くて暗い冬は何かとツラいことが多いので、春は大歓迎・・・
なんだけど、このところの私は、心身ともに不調が続いている。
滅多に風邪なんてひかない私なのに、先月中旬、風邪をひいてしまった。
異変に気づいたのは、2月16日(火)の夜。
腹は減っているはずなのに、思うほどモノが食べられず、妙に思った。
そして、翌日。
倦怠感・食欲不振・発熱・喉痛・間接痛・頭痛・咳・鼻水etc・・・一通りの症状がではじめた。
ただ、その時点ではまだ軽症。
「一晩、二晩、辛抱すれば治るだろう・・・」
と、高を括って、特段の策を打たず放置してしまった。
病原は、B型インフルエンザ。
どうも、同僚からもらったようで、私の他にも同僚二名がダウン。
結構な重症で、二人は長期休暇を余儀なくされた。
しかし、悪化の一途をたどる症状の中にあっても、私は、仕事を休むことができず。
自慢すべきことなのか、悲しむべきことなのか、代役を立てられない仕事を何件か抱えていたためだった。
そのうちの一件は、終活イベントでの講演。
わずか45分の話だったのだが、それなりに前準備も必要で、急に代役を立てるわけにはいかなかった。
もう一件は、指名付きの現地調査。
わざわざ私を指名してくれるなんて、とてもありがたいことなので、病を押して出張っていった。
そして、代役を立てられなかった仕事の最たるもの・・・“メインイベント”は、便所特掃。
しかも、特掃屋に頼んでくるわけだから、フツーの便所ではない。
便器には、糞便がテンコ盛り。
例えるなら、大盛カキ氷のような状態でエベレスト級。
最後のほうは、一体、どういう姿勢で用を足していたのか、不思議に思えるくらい。
そして、便器に乗り切らなくなった糞便は床に堆積。
便器の手前の床には富士山級の糞山が形成され、二つの糞山の麓には糞野が広がっていた。
更には、配管が詰まっている可能性が高く、また漏水する危険もあったため、水は使えず。
体調が悪くないときでも、この便所掃除には、相当の覚悟と気合を要するのに、よりによって、そのときはインフルエンザの真っ只中。
車に乗っているだけでもツラい状態だったのに、その上、特掃をやらなければいけないなんて・・・
腹が立つやら悲しいやら、身体だけでなく精神のほうも相当なダメージを喰らってしまった。
そして、あまりの惨状を前に、弱音を吐く自分に言い訳する気持ちさえ萎えていった。
しかし、こんな現場を処理できるのは、うちの会社でも特掃隊長くらい。
しかも、事前の現地調査から契約まで、一貫して私が担当していたわけで、本番だけ逃げるわけにはいかなかった。
部屋の住人は入院中で、帰宅予定は立っておらず。
この仕事の依頼者は、住人の親族で、鍵も私に預けてくれていたし、特段の期日も設けられておらず、作業スケジュールは、私の裁量で決めることができた。
だから、作業を延期することが、自然と頭を過ぎった。
しかし、どちらにしろ、この作業は、自分がやらなければならない。
そして、多くの場合、目の前の現実から逃げても何も好転しないことも知っていた。
何もしないで退散することに抵抗を覚えた私は、無理のないペースで仕事を進めることに。
頭に描いた作業手順に則って装備を固めながら、
「最後までやれなくてもいいから、できるところまで頑張ろう・・・」
と、弱った心身に余計な負荷がかからないよう、あらかじめ目標までのハードルを下げた。
それから、意を決し、作業の安全を祈願する地鎮祭でも行うかのように持ってきた小型のシャベルを糞便山に差し込み、作業をスタートさせた。
“便所特掃”は、大きく三つのカテゴリーに分けることができる。
一つ目は“腐乱死体系”、二つ目は、“ゴミ部屋系”、そして三つ目は今回の現場のような“糞尿系”。
私が踏んできた現場では、三つそれぞれに“伝説”が生まれているが、今回の便所は“糞尿系”の第二位にランクインするレベル。
いきなり“二位”に躍り出るくらいのレベルだから、相当のモノであることがわかるだろう(わからないか・・・)。
ちなみに、これで“二位”ってことは、“一位”はどれだけのモノか、興味を覚える?
ただ、それを文字で表すのは難しい。
あえて言うなら、今回の便所は「糞便山野」、一位の便所は「糞尿山沼」。
あとは想像に任せるしかないけど(想像できるわけないか・・・)、そんなのを掃除するわけだから、ちょっとイカれてないとできないかもしれない。
やはり、身体は、かなりしんどかった。
だから、作業中、頻繁に休憩をとらざるを得なかった。
時折、陽の当る奥の部屋で横にならせてもらったりもした。
ただ、そんな状況でも、作業は確実に進めた。
足元はウ○コまみれ、身体はウン粉まみれ・・・もう、ヒドい有様になりながら。
そうして、いつもの何倍もの時間をかけて作業を完了させた。
しかし、達成感なんかなく、あったのは、少しの安堵感と大きな疲労感と倦怠感のみ。
私は、作業終了の余韻に浸る余裕もなく、重い身体を引きずるようにして部屋から車へ移動し、座席に身体を放り投げて、しばし呆然としたのだった。
結局、不調は二週間くらい続いた。
その間、日課のウォーキングも中断。
立っていることもままならないのに、歩けるわけがない。
また、食欲がでず、食事をまともに摂ることもできず。
もちろん、酒も飲めず。
少しも「飲みたい」なんて思わなかった。
しかし、何か食べないと身体がもたない。
結局、バナナ・リンゴ、プリン・ゼリー、そして、栄養ドリンクetc・・・そんなモノを口に入れながら、日々をしのいだ。
風邪は治ったはずなのだが、今もまだ、咳が残る。
食欲は、ほぼ元に戻っている。
ただ、体力は落ちてしまった。
体重もだいぶ減ってしまった。
また、倦怠感が抜けない。
精神が萎えたままで、明るい気分になれないでいる。
できるだけ食べるようにし、ウォーキングも再開したから、徐々に復調してくるだろうけど、ゆっくり養生できなかったことが、そのまま将来を暗示しているみたいに思えて、私の心に暗い影を落としている。
とにもかくにも、「健康」は宝物。
そして、健康はすべての源。
金や時間がどんなにあっても、健康がなければ、それらを活かすことはできない。
そうは言っても、病気やケガは、自分に力で防ぎきれるものではない。
どんなに用心していたって、ケガをすることもあれば病気にかかることもある。
残念ながら、その大半は、自分の力ではコントロールできないもの。
しかし、健康は、水や空気と同じように、あることが当り前のように錯覚し、普段は気にも留めない。
この世の中には、人の目を惹くものが他にたくさんあるから、意識がそっちにもっていかれる。
目に見えるモノは感謝の対象になりやすいが、目に見えないモノは感謝の対象になりにくい。
だから、日常では、なかなか健康の“宝性”に気づくことができない。
しかし、いざ、病にかかったりケガを負ったりすると、それを痛感する。
普段は、不平・不満・不安だらけの生活を送っている私。
欲しいモノがたくさんあり、不足に思うことも多々ある。
何もかも面倒臭く感じるときも多ければ、何もかもが煩わしく思えることも多い。
そして、大したことはやっていないのに、すぐに疲労感と虚無感に苛まれる。
けど、事実、「健康」というかけがえのない宝物が与えられている。
そう考えると、私のような知恵のない者には、たまの小病や小ケガは必要かもしれない。
もちろん、大病や大ケガは困る。
また、大病や大ケガ等で難儀している人と自分を比べて、「何かを感じる」「何かを思う」「何かを受け止める」という類の思考は賢くないような気がする。
私は、あくまで、自分個人として、何を感じるか、何を思うか、何を受け止めるか、そこのところに焦点を当てて、“健康の宝性”を肝に銘じたいと思う。
傍から見れば、便所特掃なんて極めてヘンテコな仕事だろう。
蔑むことはあっても、憧れることなんてないだろう。
唖然とすることはあっても、感心することなんてないだろう。
使命感もないし、誇りなんて、とても持てやしない。
あくまで生活のため。
それでも、それでも、私は、「仕事ができる」「そのための健康が与えられている」という喜びと感謝の気持ちは持つべきだろうと思う。
人生なんて、孤独な戦いの連続。
正直なところ、このカッコ悪い仕事と格闘しながら一生を終えていくことを想うと、全然 元気がでないけど、このまま終わってしまうことを考えると震えがくる。
刻一刻と残り少なくなっている人生を、不完全燃焼してくすぶっているのはイヤ。
本当は、私は、もっと頑張りたい。
もっと頑張れる人間になりたい。
私は、病み上がりの自分が教えてくれているこの感覚を心に刻みながら、頑張って生きる上で必要な知恵と力を得るため、孤軍奮闘していきたいと思っているのである。
公開コメント版
特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
0120-74-4949
外は、日に日に春めいてきている。
寒くて暗い冬は何かとツラいことが多いので、春は大歓迎・・・
なんだけど、このところの私は、心身ともに不調が続いている。
滅多に風邪なんてひかない私なのに、先月中旬、風邪をひいてしまった。
異変に気づいたのは、2月16日(火)の夜。
腹は減っているはずなのに、思うほどモノが食べられず、妙に思った。
そして、翌日。
倦怠感・食欲不振・発熱・喉痛・間接痛・頭痛・咳・鼻水etc・・・一通りの症状がではじめた。
ただ、その時点ではまだ軽症。
「一晩、二晩、辛抱すれば治るだろう・・・」
と、高を括って、特段の策を打たず放置してしまった。
病原は、B型インフルエンザ。
どうも、同僚からもらったようで、私の他にも同僚二名がダウン。
結構な重症で、二人は長期休暇を余儀なくされた。
しかし、悪化の一途をたどる症状の中にあっても、私は、仕事を休むことができず。
自慢すべきことなのか、悲しむべきことなのか、代役を立てられない仕事を何件か抱えていたためだった。
そのうちの一件は、終活イベントでの講演。
わずか45分の話だったのだが、それなりに前準備も必要で、急に代役を立てるわけにはいかなかった。
もう一件は、指名付きの現地調査。
わざわざ私を指名してくれるなんて、とてもありがたいことなので、病を押して出張っていった。
そして、代役を立てられなかった仕事の最たるもの・・・“メインイベント”は、便所特掃。
しかも、特掃屋に頼んでくるわけだから、フツーの便所ではない。
便器には、糞便がテンコ盛り。
例えるなら、大盛カキ氷のような状態でエベレスト級。
最後のほうは、一体、どういう姿勢で用を足していたのか、不思議に思えるくらい。
そして、便器に乗り切らなくなった糞便は床に堆積。
便器の手前の床には富士山級の糞山が形成され、二つの糞山の麓には糞野が広がっていた。
更には、配管が詰まっている可能性が高く、また漏水する危険もあったため、水は使えず。
体調が悪くないときでも、この便所掃除には、相当の覚悟と気合を要するのに、よりによって、そのときはインフルエンザの真っ只中。
車に乗っているだけでもツラい状態だったのに、その上、特掃をやらなければいけないなんて・・・
腹が立つやら悲しいやら、身体だけでなく精神のほうも相当なダメージを喰らってしまった。
そして、あまりの惨状を前に、弱音を吐く自分に言い訳する気持ちさえ萎えていった。
しかし、こんな現場を処理できるのは、うちの会社でも特掃隊長くらい。
しかも、事前の現地調査から契約まで、一貫して私が担当していたわけで、本番だけ逃げるわけにはいかなかった。
部屋の住人は入院中で、帰宅予定は立っておらず。
この仕事の依頼者は、住人の親族で、鍵も私に預けてくれていたし、特段の期日も設けられておらず、作業スケジュールは、私の裁量で決めることができた。
だから、作業を延期することが、自然と頭を過ぎった。
しかし、どちらにしろ、この作業は、自分がやらなければならない。
そして、多くの場合、目の前の現実から逃げても何も好転しないことも知っていた。
何もしないで退散することに抵抗を覚えた私は、無理のないペースで仕事を進めることに。
頭に描いた作業手順に則って装備を固めながら、
「最後までやれなくてもいいから、できるところまで頑張ろう・・・」
と、弱った心身に余計な負荷がかからないよう、あらかじめ目標までのハードルを下げた。
それから、意を決し、作業の安全を祈願する地鎮祭でも行うかのように持ってきた小型のシャベルを糞便山に差し込み、作業をスタートさせた。
“便所特掃”は、大きく三つのカテゴリーに分けることができる。
一つ目は“腐乱死体系”、二つ目は、“ゴミ部屋系”、そして三つ目は今回の現場のような“糞尿系”。
私が踏んできた現場では、三つそれぞれに“伝説”が生まれているが、今回の便所は“糞尿系”の第二位にランクインするレベル。
いきなり“二位”に躍り出るくらいのレベルだから、相当のモノであることがわかるだろう(わからないか・・・)。
ちなみに、これで“二位”ってことは、“一位”はどれだけのモノか、興味を覚える?
ただ、それを文字で表すのは難しい。
あえて言うなら、今回の便所は「糞便山野」、一位の便所は「糞尿山沼」。
あとは想像に任せるしかないけど(想像できるわけないか・・・)、そんなのを掃除するわけだから、ちょっとイカれてないとできないかもしれない。
やはり、身体は、かなりしんどかった。
だから、作業中、頻繁に休憩をとらざるを得なかった。
時折、陽の当る奥の部屋で横にならせてもらったりもした。
ただ、そんな状況でも、作業は確実に進めた。
足元はウ○コまみれ、身体はウン粉まみれ・・・もう、ヒドい有様になりながら。
そうして、いつもの何倍もの時間をかけて作業を完了させた。
しかし、達成感なんかなく、あったのは、少しの安堵感と大きな疲労感と倦怠感のみ。
私は、作業終了の余韻に浸る余裕もなく、重い身体を引きずるようにして部屋から車へ移動し、座席に身体を放り投げて、しばし呆然としたのだった。
結局、不調は二週間くらい続いた。
その間、日課のウォーキングも中断。
立っていることもままならないのに、歩けるわけがない。
また、食欲がでず、食事をまともに摂ることもできず。
もちろん、酒も飲めず。
少しも「飲みたい」なんて思わなかった。
しかし、何か食べないと身体がもたない。
結局、バナナ・リンゴ、プリン・ゼリー、そして、栄養ドリンクetc・・・そんなモノを口に入れながら、日々をしのいだ。
風邪は治ったはずなのだが、今もまだ、咳が残る。
食欲は、ほぼ元に戻っている。
ただ、体力は落ちてしまった。
体重もだいぶ減ってしまった。
また、倦怠感が抜けない。
精神が萎えたままで、明るい気分になれないでいる。
できるだけ食べるようにし、ウォーキングも再開したから、徐々に復調してくるだろうけど、ゆっくり養生できなかったことが、そのまま将来を暗示しているみたいに思えて、私の心に暗い影を落としている。
とにもかくにも、「健康」は宝物。
そして、健康はすべての源。
金や時間がどんなにあっても、健康がなければ、それらを活かすことはできない。
そうは言っても、病気やケガは、自分に力で防ぎきれるものではない。
どんなに用心していたって、ケガをすることもあれば病気にかかることもある。
残念ながら、その大半は、自分の力ではコントロールできないもの。
しかし、健康は、水や空気と同じように、あることが当り前のように錯覚し、普段は気にも留めない。
この世の中には、人の目を惹くものが他にたくさんあるから、意識がそっちにもっていかれる。
目に見えるモノは感謝の対象になりやすいが、目に見えないモノは感謝の対象になりにくい。
だから、日常では、なかなか健康の“宝性”に気づくことができない。
しかし、いざ、病にかかったりケガを負ったりすると、それを痛感する。
普段は、不平・不満・不安だらけの生活を送っている私。
欲しいモノがたくさんあり、不足に思うことも多々ある。
何もかも面倒臭く感じるときも多ければ、何もかもが煩わしく思えることも多い。
そして、大したことはやっていないのに、すぐに疲労感と虚無感に苛まれる。
けど、事実、「健康」というかけがえのない宝物が与えられている。
そう考えると、私のような知恵のない者には、たまの小病や小ケガは必要かもしれない。
もちろん、大病や大ケガは困る。
また、大病や大ケガ等で難儀している人と自分を比べて、「何かを感じる」「何かを思う」「何かを受け止める」という類の思考は賢くないような気がする。
私は、あくまで、自分個人として、何を感じるか、何を思うか、何を受け止めるか、そこのところに焦点を当てて、“健康の宝性”を肝に銘じたいと思う。
傍から見れば、便所特掃なんて極めてヘンテコな仕事だろう。
蔑むことはあっても、憧れることなんてないだろう。
唖然とすることはあっても、感心することなんてないだろう。
使命感もないし、誇りなんて、とても持てやしない。
あくまで生活のため。
それでも、それでも、私は、「仕事ができる」「そのための健康が与えられている」という喜びと感謝の気持ちは持つべきだろうと思う。
人生なんて、孤独な戦いの連続。
正直なところ、このカッコ悪い仕事と格闘しながら一生を終えていくことを想うと、全然 元気がでないけど、このまま終わってしまうことを考えると震えがくる。
刻一刻と残り少なくなっている人生を、不完全燃焼してくすぶっているのはイヤ。
本当は、私は、もっと頑張りたい。
もっと頑張れる人間になりたい。
私は、病み上がりの自分が教えてくれているこの感覚を心に刻みながら、頑張って生きる上で必要な知恵と力を得るため、孤軍奮闘していきたいと思っているのである。
公開コメント版
特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
0120-74-4949