出向いた現場は、“超”をつけてもいいくらいの老朽アパート。
その一室で、高齢の住人が孤独死。
死後、約一週間
夏も盛りを越えていたが残暑厳しく、遺体は重度に腐乱。
外部に異臭が漏れ出し、また、窓に無数のハエがたかり、事が明るみになった。
玄関前に立つと、私の鼻は早々と異臭を関知。
中が相当なことになっていることを想像しながら、私は、鍵を挿入。
ドアを開けると、それまでのものより数ランク上の異臭と熱気が噴出。
中が相当なことになっていることを更に想像しながら、私は、室内に足を踏み入れた。
間取りは2DK。
昔よくあった造りで、玄関を入るとすぐに小さな台所があり、その奥の左右に和室が二部屋。
遺体痕は、左側の和室の布団にあり、クッキリとした黒色の人型を形成。
その周囲には大量のウジが湧いており、それらが次々と無数のハエとなって羽化。
部屋に入ってきた私に反応して、騒々しいくらいの羽音を立てながら縦横無尽に飛び始めた。
部屋にある家財は少なめ。
故人は、几帳面な性格できれい好きだったと思われ、整理整頓・清掃は行き届いていた。
しかし、そこは重度の腐乱死体現場。
その痕は、生前の整理整頓も行き届いた清掃も、すべてを台なしにしていた。
特掃検分を依頼してきたのは、故人の娘。
見たところ私と同年代、または少し若いくらいの女性で、緊張の面持ちながら、キチンとした言葉づかいと落ち着いた物腰。
女性は、故人のアパートの賃貸借契約の保証人にもなっており、仮に道義的なことが除けたとしても、法的には、ある程度の責任を負わなければならない立場にあった。
ただ、女性は、道義的な責任も充分に感じ、相応の責任を負う覚悟も持っており、私に好印象を与えた。
また、部屋を原状回復させるには、それなりの内装改修工事を要することも察しており、かかる費用が大きなものになることも想像できているようだった。
故人が、このアパートに暮らしたのは数年。
数年前までは息子(女性の兄)と同居していたのだが、嫁と折り合いが悪く、その家を出た。
そして、女性宅からさほど遠くなく、しかも家賃が安いということで、このアパートに移り住んだ。
生活の糧は、現役の頃にコツコツ掛けてきた年金。
限られた収入の中での節約生活。
それでも、好きな酒を飲んだり、趣味の釣りに出かけたり、たまに孫に会いに来ては小遣いを渡したりと、分相応の楽しみをもって暮していた。
が、そんな平穏な日々は、何の前ぶれもなく突然に、本人の意を介することなく、ひっそりと終わりを告げたのだった。
「自分達はきれいな家に住んで、父だけこんなところで生活させて・・・」
「しかも、一人で死なせてしまって・・・」
「本当に・・・親不孝ですね・・・」
多額の費用がかかっても、女性は、責任をもって償うつもりだった。
その姿は、“大家に対して償う”というより故人に対して何かを償おうとしているようにも見えた。
しかし、このアパート、だいぶ古びているし、共用部の清掃やメンテナンス等、日常の維持管理業務もキチンと行われていない感じ。
更には、他に空部屋もあるよう。
私は、
「一人の生活のほうが気楽ってこともありますから・・・」
「人が死ぬことも、肉体が腐敗するのもフツーのことで、世間が思うほど特別なことじゃありませんよ・・・」
「勝手に算段しないで、とりあえず、大家さんと相談されたほうがいいと思いますよ」
と沈む女性をフォロー。
そして、
「作業内容にも関わるので、私も大家さんの考えを聞きたいですし・・・」
と、女性の誠実さに勇気をもらったような気がした私は、暗に、大家との折衝に助太刀するつもりがある旨を示した。
一口に「大家」と言っても、色んなタイプの人がいる。
資産家でも強欲で冷たい人もいれば、金持ちじゃなくても大らかで優しい人もいる。
部屋の原状回復責任はもちろん、減額分の家賃を将来に渡って遺族に補償させる大家もいれば、必要最小限の処理で了承する大家もいる。
ただ、どちらにしろ、遺族の立場ではなかなか抗弁しにくいものがある。
特定の誰かが悪いわけではないのだけど、人々の目には、孤独死腐乱は、どうしたって故人(遺族側)に落度があるように見えてしまうから。
また、遺族も、後ろめたさや罪悪感のようなものを抱いてしまうから。
ただ、遺族も、そんな人達ばかりではない。
手間や費用を負担するのがイヤで、一切関知しない遺族もいる。
法的にも道義的にも社会通念上も責任を負わなくて済む立場にあれば、それもゆるされるだろうけど、法的義務や道義的責任があろうが、そんなのお構いなしに放置する人達がいる。
「ない袖は振れない」「裁判でも何でもすきにすればいい」と開き直るならまだしも、極端な場合、貴重品類だけ持ち出して、「あとは知らない」と無視を決め込む人達もいるのだ。
したがって、“大家vs遺族”、バトルになるケースも少なくない。
そして、仕事柄、それに巻き込まれることも少なくない。
互いに利己主義をぶつけ合う、そんな殺伐とした人間関係を目の当たりにすると、何とも寂しいような寒々しさを感じる。
そして、第三者ながら、不快感や憤りを覚えることもある。
ただ、どちらの味方をするかは、その時々の状況と立ち位置で変わる。
この仕事も一応は“客商売”なので、ほとんどの場合、“客”の味方をすることになる。
大家が客の場合は大家の味方、遺族が客の場合は遺族の味方をするわけ。
判断基準は、“正義”ではなく“金”というのが悩ましいところ。
ただ、これが現実、これも現実。
幸いなのは、それが不本意なものになることが少ないこと。
大方の人が“珍業の達人”(?)として一目置いてくれ、私の意見を尊重してくれ、結果的に、正義に大きく反することを強いられるハメにはならないことが多いのである。
その日の夜、私は、大家に電話を入れた。
大家の声から想像できる年齢は私と同年代・・・または少し上くらいの男性。
言葉遣いは礼儀正しく丁寧で、ゆったりした口調。
今回の件について目くじらを立てているような様子はなく、まずは好印象。
とはいえ、それだけで“大家のタイプ”が見極められるわけではない。
私は、最初から核心(汚染状況)には触れず、部屋の概況と原状回復に必要なプロセスを説明。
男性が抱く先入観がマイナス方向に働いてはいけないので、グロテスクな表現は極力避け、ネガティブな場面はソフトに表現し、一通りの説明を終えた。
そして、遺族(女性)は、責任をとる覚悟をもった誠実な人物であることを念押しした上で男性の見解を尋ねた。
このアパートを建てたのは男性の親。
だから、厳密に言うと男性は大家ではなく“大家代理”。
真の大家は、老齢で病床にあり身動きがとれないため、息子である男性が代理で必要業務を担っているとのこと。
また、大家は、他にも何棟かアパートを所有しているそうで、結構な資産家であることを匂わせた。
が、団扇を左で扇げたのは、遠い昔のこと。
今は、どのアパートも老朽化が激しく、空室も少なくなく、更に、建物管理費・修繕費・固定資産税などを差し引くと利益はほとんどなし。
家賃収入が極端に落ち込むようなときや、修繕費が想定外にかさんだときは、トータルの損益がマイナスになることもあるようだった。
そんな状況で、男性は、アパート経営にはかなり消極的。
自分はサラリーマンとして生計を立てているし、人口(賃借人)が減少している時勢において、借金して建て直すのもハイリスクだし、日々における維持管理の負担も重い。
本当のところは、旨味のないアパート経営なんてさっさとやめて身軽になりたいよう。
しかし、もともとは、親が夢を持って始めたアパート経営。
当初は、多額の借金もして苦労したわけで、そんな親が生きているうちにアパート経営をやめることは親の意思にも義理にも反する。
どちらにしろ、親が亡くなったときは、相続税支払いのために売ることになるわけで、それまでは、何とか頑張って現状を維持するつもりでいるようだった。
「父も、もう長くなさそうですし・・・最後の親孝行ですよ」
と、男性は気恥ずかしげに笑った。
そして、
「こんなボロアパート、なおしたところで誰も入らないですよ・・・」
「そもそも、空いている部屋が他にあるわけですし・・・」
「御遺族も、こんなことになって大変な思いをされているでしょうし、家財の処分と近隣に迷惑がかからないくらいの消臭消毒をしてもらえれば、あとはそのまま放ってもらって構いませんから」
と、客観的な判断にもとづいた寛容は考えを示してくれた。
男性が、強欲冷酷なタイプでなく、また、こじれる可能性も充分にあった懸案が予想以上にスムーズに解けて、私はホッとした。
と同時に、そういう人の存在を嬉しくも思った。
男性も女性も、それぞれにそれぞれの親を想っていた。
それは、例え小さくても、人にあたたかいものを抱かせる。
思いやられる側の人だけではなく、思いやる側の人にも。
そして、それは、天の恵雨が地に浸み広がるように、当事者を越えて多くの人々の心に沁み渡っていく。
男性の親を想う気持ちが間接的に女性を助けたように、女性の親を想う気持ちが間接的に男性の寛容さを後押ししたように。
そして、二人の思いやりが、汚仕事に汗する私を励ましたように。
これも、人が人と交わり、人が人と生きることの醍醐味なのだろう・・・
そして、人が人であるための大切な意味なのだろう・・・
常日頃、「一人が気楽」とイキがっている冷淡薄情な私でも、少しはそのことがわかった。
そして、“自分本位の感傷”と知りつつも、上の方から、故人が男性と女性にペコリと頭を下げて笑いかけているように思えて、臭く汚れた顔の右半分に小さな笑みを浮かべたのだった。
公開コメント版
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特殊清掃プロセンター
0120-74-4949
その一室で、高齢の住人が孤独死。
死後、約一週間
夏も盛りを越えていたが残暑厳しく、遺体は重度に腐乱。
外部に異臭が漏れ出し、また、窓に無数のハエがたかり、事が明るみになった。
玄関前に立つと、私の鼻は早々と異臭を関知。
中が相当なことになっていることを想像しながら、私は、鍵を挿入。
ドアを開けると、それまでのものより数ランク上の異臭と熱気が噴出。
中が相当なことになっていることを更に想像しながら、私は、室内に足を踏み入れた。
間取りは2DK。
昔よくあった造りで、玄関を入るとすぐに小さな台所があり、その奥の左右に和室が二部屋。
遺体痕は、左側の和室の布団にあり、クッキリとした黒色の人型を形成。
その周囲には大量のウジが湧いており、それらが次々と無数のハエとなって羽化。
部屋に入ってきた私に反応して、騒々しいくらいの羽音を立てながら縦横無尽に飛び始めた。
部屋にある家財は少なめ。
故人は、几帳面な性格できれい好きだったと思われ、整理整頓・清掃は行き届いていた。
しかし、そこは重度の腐乱死体現場。
その痕は、生前の整理整頓も行き届いた清掃も、すべてを台なしにしていた。
特掃検分を依頼してきたのは、故人の娘。
見たところ私と同年代、または少し若いくらいの女性で、緊張の面持ちながら、キチンとした言葉づかいと落ち着いた物腰。
女性は、故人のアパートの賃貸借契約の保証人にもなっており、仮に道義的なことが除けたとしても、法的には、ある程度の責任を負わなければならない立場にあった。
ただ、女性は、道義的な責任も充分に感じ、相応の責任を負う覚悟も持っており、私に好印象を与えた。
また、部屋を原状回復させるには、それなりの内装改修工事を要することも察しており、かかる費用が大きなものになることも想像できているようだった。
故人が、このアパートに暮らしたのは数年。
数年前までは息子(女性の兄)と同居していたのだが、嫁と折り合いが悪く、その家を出た。
そして、女性宅からさほど遠くなく、しかも家賃が安いということで、このアパートに移り住んだ。
生活の糧は、現役の頃にコツコツ掛けてきた年金。
限られた収入の中での節約生活。
それでも、好きな酒を飲んだり、趣味の釣りに出かけたり、たまに孫に会いに来ては小遣いを渡したりと、分相応の楽しみをもって暮していた。
が、そんな平穏な日々は、何の前ぶれもなく突然に、本人の意を介することなく、ひっそりと終わりを告げたのだった。
「自分達はきれいな家に住んで、父だけこんなところで生活させて・・・」
「しかも、一人で死なせてしまって・・・」
「本当に・・・親不孝ですね・・・」
多額の費用がかかっても、女性は、責任をもって償うつもりだった。
その姿は、“大家に対して償う”というより故人に対して何かを償おうとしているようにも見えた。
しかし、このアパート、だいぶ古びているし、共用部の清掃やメンテナンス等、日常の維持管理業務もキチンと行われていない感じ。
更には、他に空部屋もあるよう。
私は、
「一人の生活のほうが気楽ってこともありますから・・・」
「人が死ぬことも、肉体が腐敗するのもフツーのことで、世間が思うほど特別なことじゃありませんよ・・・」
「勝手に算段しないで、とりあえず、大家さんと相談されたほうがいいと思いますよ」
と沈む女性をフォロー。
そして、
「作業内容にも関わるので、私も大家さんの考えを聞きたいですし・・・」
と、女性の誠実さに勇気をもらったような気がした私は、暗に、大家との折衝に助太刀するつもりがある旨を示した。
一口に「大家」と言っても、色んなタイプの人がいる。
資産家でも強欲で冷たい人もいれば、金持ちじゃなくても大らかで優しい人もいる。
部屋の原状回復責任はもちろん、減額分の家賃を将来に渡って遺族に補償させる大家もいれば、必要最小限の処理で了承する大家もいる。
ただ、どちらにしろ、遺族の立場ではなかなか抗弁しにくいものがある。
特定の誰かが悪いわけではないのだけど、人々の目には、孤独死腐乱は、どうしたって故人(遺族側)に落度があるように見えてしまうから。
また、遺族も、後ろめたさや罪悪感のようなものを抱いてしまうから。
ただ、遺族も、そんな人達ばかりではない。
手間や費用を負担するのがイヤで、一切関知しない遺族もいる。
法的にも道義的にも社会通念上も責任を負わなくて済む立場にあれば、それもゆるされるだろうけど、法的義務や道義的責任があろうが、そんなのお構いなしに放置する人達がいる。
「ない袖は振れない」「裁判でも何でもすきにすればいい」と開き直るならまだしも、極端な場合、貴重品類だけ持ち出して、「あとは知らない」と無視を決め込む人達もいるのだ。
したがって、“大家vs遺族”、バトルになるケースも少なくない。
そして、仕事柄、それに巻き込まれることも少なくない。
互いに利己主義をぶつけ合う、そんな殺伐とした人間関係を目の当たりにすると、何とも寂しいような寒々しさを感じる。
そして、第三者ながら、不快感や憤りを覚えることもある。
ただ、どちらの味方をするかは、その時々の状況と立ち位置で変わる。
この仕事も一応は“客商売”なので、ほとんどの場合、“客”の味方をすることになる。
大家が客の場合は大家の味方、遺族が客の場合は遺族の味方をするわけ。
判断基準は、“正義”ではなく“金”というのが悩ましいところ。
ただ、これが現実、これも現実。
幸いなのは、それが不本意なものになることが少ないこと。
大方の人が“珍業の達人”(?)として一目置いてくれ、私の意見を尊重してくれ、結果的に、正義に大きく反することを強いられるハメにはならないことが多いのである。
その日の夜、私は、大家に電話を入れた。
大家の声から想像できる年齢は私と同年代・・・または少し上くらいの男性。
言葉遣いは礼儀正しく丁寧で、ゆったりした口調。
今回の件について目くじらを立てているような様子はなく、まずは好印象。
とはいえ、それだけで“大家のタイプ”が見極められるわけではない。
私は、最初から核心(汚染状況)には触れず、部屋の概況と原状回復に必要なプロセスを説明。
男性が抱く先入観がマイナス方向に働いてはいけないので、グロテスクな表現は極力避け、ネガティブな場面はソフトに表現し、一通りの説明を終えた。
そして、遺族(女性)は、責任をとる覚悟をもった誠実な人物であることを念押しした上で男性の見解を尋ねた。
このアパートを建てたのは男性の親。
だから、厳密に言うと男性は大家ではなく“大家代理”。
真の大家は、老齢で病床にあり身動きがとれないため、息子である男性が代理で必要業務を担っているとのこと。
また、大家は、他にも何棟かアパートを所有しているそうで、結構な資産家であることを匂わせた。
が、団扇を左で扇げたのは、遠い昔のこと。
今は、どのアパートも老朽化が激しく、空室も少なくなく、更に、建物管理費・修繕費・固定資産税などを差し引くと利益はほとんどなし。
家賃収入が極端に落ち込むようなときや、修繕費が想定外にかさんだときは、トータルの損益がマイナスになることもあるようだった。
そんな状況で、男性は、アパート経営にはかなり消極的。
自分はサラリーマンとして生計を立てているし、人口(賃借人)が減少している時勢において、借金して建て直すのもハイリスクだし、日々における維持管理の負担も重い。
本当のところは、旨味のないアパート経営なんてさっさとやめて身軽になりたいよう。
しかし、もともとは、親が夢を持って始めたアパート経営。
当初は、多額の借金もして苦労したわけで、そんな親が生きているうちにアパート経営をやめることは親の意思にも義理にも反する。
どちらにしろ、親が亡くなったときは、相続税支払いのために売ることになるわけで、それまでは、何とか頑張って現状を維持するつもりでいるようだった。
「父も、もう長くなさそうですし・・・最後の親孝行ですよ」
と、男性は気恥ずかしげに笑った。
そして、
「こんなボロアパート、なおしたところで誰も入らないですよ・・・」
「そもそも、空いている部屋が他にあるわけですし・・・」
「御遺族も、こんなことになって大変な思いをされているでしょうし、家財の処分と近隣に迷惑がかからないくらいの消臭消毒をしてもらえれば、あとはそのまま放ってもらって構いませんから」
と、客観的な判断にもとづいた寛容は考えを示してくれた。
男性が、強欲冷酷なタイプでなく、また、こじれる可能性も充分にあった懸案が予想以上にスムーズに解けて、私はホッとした。
と同時に、そういう人の存在を嬉しくも思った。
男性も女性も、それぞれにそれぞれの親を想っていた。
それは、例え小さくても、人にあたたかいものを抱かせる。
思いやられる側の人だけではなく、思いやる側の人にも。
そして、それは、天の恵雨が地に浸み広がるように、当事者を越えて多くの人々の心に沁み渡っていく。
男性の親を想う気持ちが間接的に女性を助けたように、女性の親を想う気持ちが間接的に男性の寛容さを後押ししたように。
そして、二人の思いやりが、汚仕事に汗する私を励ましたように。
これも、人が人と交わり、人が人と生きることの醍醐味なのだろう・・・
そして、人が人であるための大切な意味なのだろう・・・
常日頃、「一人が気楽」とイキがっている冷淡薄情な私でも、少しはそのことがわかった。
そして、“自分本位の感傷”と知りつつも、上の方から、故人が男性と女性にペコリと頭を下げて笑いかけているように思えて、臭く汚れた顔の右半分に小さな笑みを浮かべたのだった。
公開コメント版
特殊清掃についてのお問い合わせは
特殊清掃プロセンター
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