「ゴミの処分をお願いしたいんですけど・・・」
「ただ、“ゴミ”といっても、普通のゴミじゃなくて・・・」
ある日、中年の男性からそんな電話が入った。
「ゴミの処分」と言ったって、自分で片付けることができれば、ほとんどの人は自分でやるはず。
自分の手には負えないから、他人に頼むわけで・・・
で、“自分の手に負えない”ということは、“それだけ困難な事情が発生している”ということ。
“ゴミが大量にたまってしまっている”とか、“ゴミが極めて不衛生”とか、または、その両方であるとか。
したがって、私は、すぐにゴミ部屋を想像し、また、男性が いよいよ追い詰められて相談をよこしたであろうことを察し、その緊張感や羞恥心を刺激しないよう、終始 明るい応対に努めた。
しかし、相談の内容は、私の想像とは少し違っていた。
現場は、男性の自宅ではなく、男性の両親が暮す家、つまり男性の実家。
両親は、数十年に渡り そこで生活。
が、寄る年波には勝てず、身体を動かすことが億劫になり、それに従って家事が疎かに。
掃除洗濯をはじめ、食事の支度や後片付けをキチンしなくなった。
更に、近年は、両親共に認知症が疑われるようになり、荒れた生活は深刻化していった。
息子である男性は、週末等、こまめに両親宅を訪れることを心掛けたが、自分にも都合があり、毎週のように訪れることはできず。
月に一~二度訪れるのが精一杯。
そして、その都度、たまったゴミを片付けてきたのだけど、それももう限界に。
特に、難題となったのが食品の始末と糞尿の清掃。
食べ残しはもちろん、まったく手をつけずに腐らせてしまった食品が大量に発生。
次々に買ってくるものの、食欲が湧かないのか買ってきたことを忘れるのか、食品はたまる一方、腐る一方。
とりわけ、生鮮食品は、凄まじい腐り方をする。
それらが、冷蔵庫や棚から溢れ、収拾がつかなくなった。
また、トイレの失敗や失禁も多くなり、便器だけではなく、トイレの床や廊下のあちこちを糞が汚染。
その掃除も手に負えなくなったのだった。
一通りの事情を聞いた私は、いつも通り現地調査に出向くことに。
「見たら驚くと思いますよ・・・」
男性は、恥ずかしそうに、また申し訳なさそうにそう言った。
けど、私は、
「慣れてるから大丈夫ですよ・・・伺った感じだと、今まで私が経験した中で一番ヒドいってことはなさそうですから」
と、男性の荷を軽くするつもりでそう応えた。
すると、男性は、
「え!?これよりスゴいところがあるんですか!?」
と、少し気が楽になったように言葉を躍らせた。
「あります!あります!詳しいことは言えませんけど、ありますよ!」
と、私はテンションを上げて男性の笑いを誘った。
訪れた現場は、古い一戸建。
荒れた庭、窓越に見えるガラクタ、薄汚れた玄関ドアからは「いかにも」といった雰囲気が漂っていた。
そして、そんな予想に反さず、玄関を開けると、糞尿のニオイと腐った食べ物のニオイと全体的なカビ・ゴミ臭が混ざり合った悪臭が噴出。
私は、本当は臭くて仕方がなく 顔を歪めたかったのだけど、申し訳なさそうにする男性が気の毒に思えたので、“慣れてるから まったく平気!”といった表情で平然を装った。
また、腐乱死体現場等で重宝する専用マスクを用意していたのだけど、それはフツーの紙マスクなどとは違って見た目が結構ゴツいため、男性に失礼なような気がして、それも使わなかった。
悪臭が証するとおり、家の中も酷い有様。
所狭しと家財生活用品が並び積まれ、ゴミかゴミじゃないのか判断つかないようなモノが床を覆い尽くしていた。
特に深刻だったのは台所と冷蔵庫。
台所には、食べ物ゴミ、残飯、手をつけず腐らせた食品etcが散乱。
また、流し台やテーブルには、汚れたままの鍋や食器が並び重ねられていた。
中には、食べ残したものが入ったままのものもあり、あるものはヘドロのようになり、またあるものはフサフサのカビで覆われていた。
また、冷蔵庫も腐敗食品で満パン。
特に、肉や魚などの生鮮食品や調理済みの惣菜などは酷いことに。
パックの中でドロドロに溶け、凄まじい異臭を放っていた。
トイレも重症。
失禁や失敗を繰り返したようで、糞は便器やトイレだけでなく、その前の廊下のあちこちまで汚染。
長く放っておいたせいでそれは乾いて黒くなり、まるで溶岩のように固く付着。
私のようにコツを心得ている者ならまだしも、男性の手に負えないことは一目瞭然。
また、同じように、尿痕もあちこちに散在。
更には、床板は今にも腐り朽ちそうになっており、そこから上がるアンモニア臭が他の悪臭を刺激し、悪臭濃度を高めていた。
「父は、潔癖症かと思うくらいきれい好きだったんですけど・・・」
「母も、家事はキチンとする人だったんですけど・・・」
「まさか、年老いてこんな生活になるとは、思ってもみませんでした・・・」
気マズそうに話す男性の言葉は、何か悪いことでもしたときの言い訳のように聞こえた。
そして、そんな男性の姿が気の毒に見え、また、何となく他人事とは思えず同情する気持ちが湧いてきた。
私の目には、両親二人だけの生活は、もう限界・・・いや、限界を越えているように見えた。
衛生的な問題はもちろん、急な病気やケガにも対処できないし、火事などの事故も起きかねない。
ただ、私が言うまでもなく、それは男性もわかっていた。
わかっているからこそ、男性は悩んでいた。
男性には家庭があり、また、できあがった生活スタイルがある。
家のスペースや自分や妻子にかかる負担を考えると、とても引き取れるものではない。
そうなると、第三者の手を借りるしかない。
訪問医療や訪問介護を受けたり、医療施設や介護施設に入ったりと。
民間の老人施設だと希望すればすぐに入れることが多いだろうけど、その分、費用も高額になる。
この家を処分して費用を捻出するにしても、値段がつけられるのは土地のみ。
ただ、一等地でもないうえ、面積も小さい。
更に、使い物にならない老朽家屋が乗っかっているわけで、とても満足のいく値段では売れそうにない状況だった。
また、男性の経済力にも限界がある。
家族の生活は優先して守らなければならないわけで、有料老人ホーム等の費用までは負担できず。
そうは言っても、二人の年金もそれには足りない。
特別養護老人ホーム等は比較的安く入れるけど、入所を希望する待機者が多過ぎて、すぐに入れる見込みはなし。
しかし、事は一刻の猶予のならない状況。
とりあえず、特別養護老人ホーム等の入所を申し込んでおくとして、当面は、介護保険を利用した訪問介護と家事援助を受ける方向で着地点を見出した。
私は、両親を自宅に引き取らない男性のことを
“血を分けた親子なのに、薄情だな・・・”
なんて、少しも思わなかった。
年老いた親を持つ私にとってもリアルな問題だから。
そして、私が同じような立場に置かれたら、同じようにするだろうから。
どちらにしろ、部屋があまりに不衛生だと介護ヘルパーも来てくれない。
仮に、それがなくても、現状のままにはできない。
今後の生活を考えると、ゴミを始末し、掃除し、害虫駆除と消臭消毒をかけることは必要。
提案した作業内容と費用に折り合いがついたので、その作業は、私の方で請け負うことになった。
食べ物が腐ったニオイは、人間が腐ったのとはまた違う凄まじさがある。
そして、それを片付ける際には、そのニオイは一段と放出される。
あと、見た目もグロテスク。
ほとんどのモノが原形をとどめず、ドロドロの正体不明物体に。
フサフサの毛(カビ)がはえた鍋皿も、何かの生き物のように見えて不気味。
しかし、このくらいなら まだかわいいもの。
この家ではないけど、ガスコンロにのせたまま長く放置された鍋の蓋を開けたら、雑炊と見間違えるほどのウジが溜まっていたこともある(この時は、蓋を開けた途端 驚嘆の声を上げてしまった)。
そんな類のモノをいちいち手に取って始末していかなければならないわけで、糞尿まみれのトイレを掃除する方がよっぽど楽だった。
ただ、どんなに大変な作業でも仕事は仕事。
親切心がないわけではなかったけど、ボランティアではない。
有料の請負契約なわけで、売上利益を手に入れることができた。
ただ、それ以上の収穫・・・自分が必要とされたこと、頼りにされたこと、役に立てたこと・・・も得ることができた。
とりわけ、男性の両親の行く末について思案することに関わらせてもらったことは大きな収穫だったように思う。
先々の心配ばかりしていては、人生 楽しくない。
だけど、“楽観的”と“無責任”とを混同してはいけない。
もちろん、“悲観的に考えること”が“責任感を持つこと”にはならないけど、現実に起こりうる可能性が高くなってきたことについては考える必要がある。
考えなければならないことを考えず、考える必要のないことを考えてしまうのが私の悪い癖だけど、親の老い先はもちろん、自分の老い先もキチンと考えておきたい。
私も、もうそんなことを考えなければいけないお年頃。
それにともない、少しばかり落ち着きをなくしている。
されど、進まされる人生に逆らうことはできない。
そんな人生途上にあって、
「このままじゃダメだ!」「このままはイヤだ!」
と、まるで趣味嗜好のように、今日も悩みながら生きているのである。
ゴミ部屋についてのお問い合わせは
0120-74-4949