教室のこと・速読のこと・受講生のスコア・SEG講習生のスコア等々について書いています。
クリエイト速読スクールブログ
四月一日の魔法
下記の「四月一日の魔法」は、クリエイトの本『速読らくらくエクササイズ』に所収されています。
文演第3期生櫻井美穂さんのショートショートです。
本でのトレーニングに入る前に、まず現在の読書速度を知ろうということで載せています(ホンネは、たくさんのひとに読んでほしかったということです)。
まだ「四月一日の魔法」をご覧になっていない方は、およその読書速度を計測することもできます(本とは違い、20秒ごとの「目安」です)。
全文は、1,700字としています。
読みやすさを優先し、段落改行ごとに1行空けています。
20秒5,100字・40秒2,550字・1分1,700字・1分20秒1,275字・1分40秒1,020字・2分850字・2分20秒729字・2分40秒638字・3分567字・3分20秒510字・3分40秒464字・4分425字・4分20秒392字・4分40秒364字・5分340字となります。
毎年、この日になると「四月一日の魔法」を思い出します。
初めての方は、速度計測など素っ飛ばして、読む醍醐味を味わっていただけたらありがたいです 真
四月一日の魔法 櫻井美穂
大事な日だというのにその日の朝、うっかり寝坊をしてしまった。前日緊張して眠れなかったせいだ。駅の駐輪場に自転車を置くと、一目散にホームへと駆け出した。時計は7時44分。7時45分の新宿行きに乗らなければ完全に遅刻してしまう。もどかしく定期を取り出し改札を通る。電車がホームに入ってきた。
ハイヒールで階段を駆けあがる。カンカンという靴音が何かよそよそしく冷たく響く。それに少し靴のサイズが大きかったようだ。時々スポッと脱げそうになる。この時、駆け込み乗車を狙っていたのは私のほかに二人。三歩先に中年の男性。私とほぼ並んで高校生の男の子。
7時46分。乗車時間はとうに過ぎていた。「新宿行きドアが閉まります」のアナウンスが入り、ピーという笛の音。先におじさんが飛び乗り、私もなんとか滑り込んだ。「よかった、間に合った」ホッとしたのも束の間、何やら足がスースーする。足下に目線をやってギョッとした。「片方靴がない!」振り返ると乗り損ねた高校生が落ちている私の靴を拾い上げていた。電車は今まさに動き出そうとしていた。私はドアに張りつき、力なく高校生を見つめた。彼もなす術を知らず、私の靴を持ったまま呆然と立ちつくしていた。
ガタン。電車が動き出した。目の前が真っ暗になった。一瞬のうちに色々なことを考えた。片方靴がないみじめな自分の姿。車内の人々の冷たい視線。靴をどうするかということ。それよりも何よりも大事な入社式に大幅に遅刻してしまうということ。
「門出というのに、なんということを……」と途方に暮れていたとき、「すみません、ちょっと席を空けてください」という声がした。見るとさっき一緒に乗り込んだおじさんが座っていた人を立たせていた。そして、窓に両手をかけ、力強く上に引き上げた。一瞬何が起きているのか分からなかった。おじさんは身を半分くらい窓から乗りだすと、ホームの高校生に大きく右手を差し出した。「こちらにください!」
電車はもう5・6メートルは動いていた。高校生は大きくうなずくと片手に持っていたスポーツバックを投げだし全速力で走り出した。その異様な光景を、車内の人々は皆息を殺したかのようにじっと見つめていた。
届きそうで届かない。高校生の顔が苦痛に歪む。胸が痛んだ。「もういいよー。ごめんねー」と心の中で叫んでいた。「ああっー」車内が騒然となる。つまずいてしまった。ホームに転がった彼の姿。どんどん小さくなり、ついには見えなくなってしまった。
車内はまだざわついていた。窓からおじさんの背中が現れ、頭が窓をくぐった。そして右手をスーッと引くと、その先には、なんと私の黒く光るハイヒールがあった。
「あっ」声にならない声をあげた。まるで手品でも見ているよう。震える手で靴を受け取ると、ゆっくりと足に通した。突然、まわりから拍手がわきおこった。びっくりした。普段は能面のように無表情な車内の人々。それが今、あたたかい笑みを浮かべ拍手を送ってくれている。何か熱いものがこみ上げてきた。私はぎこちなくおじぎをした。おじさんも微笑んでいた。私がお礼を言うと、首を横に振った。「お礼ならあの彼に言いなさい。私は何もしていないよ」
もちろんあの高校生にも心からお礼を言いたい。でも、それと同じくらい、いやそれ以上におじさんにも「ありがとう」と感謝したかった。人のことなど気にもとめない無関心な車内の雰囲気の中で、おじさんの行動はとても勇気がいることだったと思う。私は自分の気持ちをうまく伝えたかったが、思わず涙が出そうになって、言葉にならなかった。
それから二つ目の駅でおじさんは降りていった。降り際に私の方を振り向き「今日は入社式でしょ。しっかりね」とポンと肩を叩いてくれた。おじさんの姿が向かいの乗り換え電車に消えてゆくまで、ずっと見つめていた。叩かれた肩はそこだけ魔法がかかったようにいつまでもあたたかかった。
※クリエイト速読スクールHP
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ひさしぶりに読みました。この文章。
じつに簡潔で、無駄がないですね。読後感も、とても良いです。
ではまた。