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なおしのお薦め本(50)『間の取れる人 間抜けな人』

 クリエイト速読スクール文演第1期生の小川なおしさんから、お薦め本が届いています。今回も「オマケ」つきです。

 

間の取れる人 間抜けな人

             森田 雄三

 

 著者は、イッセー尾形の一人芝居をずっと演出してきた人です。

 最近は「四日間の稽古、出演はフツーの人々」という企画の芝居をしているそうです。その稽古(ワークショップ)中の一幕に心惹かれましたので引用します。

 「現実の街には『困っている人』がたくさんいる。『浮気された人』、『サラ金で首の回らない人』、『無能扱いされている人』など、あなたの知り合いにも困っている人は少なからずいるはずだ。

  しかしわれわれは、関わりを持ちたくないと思うから、その手の人たちを見つめたりはしない。極端な例でいうと、『身体障害者』をジロジロ見るなどということはありえない(見ちゃいけませんと躾けられて育つ)。ちなみにどのワークショップにも身体障害を持つ参加者はいたが、ほかの参加者はまるで健常者しかいないかのように、普通の態度を取っていた。これは一般社会では当然の原理で、それこそ珍しいものを見るようにしたら失礼になる。『困っている人からは、とっさに目をそらす』という反射能力を、われわれは日々、鍛えているのだ。ワークショップで、とっさに目をそらす理由を言ってもらうと、『助けられないから』、『長くつかまるから』、『落ち込みがこっちに移りそうで』、『目が合うと因縁をつけられそうだから』などの答えが返ってきた。困っている人を避けるのは、さまざまなリスクを減らす、という正当な理由があるのだ。

  だが、芝居の稽古という日常の外であれば、参加者はリスクを怖れずに、『困っている人』に興味を抱くことができる。

  稽古のなかで、困惑している何人かを間近で見た直後、『困っている人を見てて、助けたいと思ったでしょう』と僕が言うと、車座から緊張が緩んだ笑みがこぼれる。『困っている人』と『困っているのを見ている人』のあいだには、大きな誤解があるのだ。

  『困っている人』は、自分を恥ずかしく思い、僻みっぽい気持ちになるのに対して、『困っているのを見ている人』には優しい気持ちが湧く。実は『困っている人→避ける』は直結ではなく、『優しい気持ちになる』があいだに隠されているのだ。

  たとえば、濡れた子犬には誰しも心を痛める。でもその捨て犬を世話できない事情がある場合は、見て見ぬふりをする。その人を冷酷な人間だとするのは間違いだ。実際に救わなければ冷酷な人間である、とするなら世間は冷酷な人間だらけになり、家屋敷の広い人だけが優しさを持ち得ることになってしまう。

  自分のなかに隠された優しさを浮上させるために、参加者は『困る人』と『困るのを見る人』の両方の体験をする。次々に脈絡のない無理難題(たとえば『宇宙のことを話して』とか、『民話を語って』、『キリスト教について話して』など)を出題することにより、『困る人』を作り出し、参加者に『困る人を見る』体験を繰り返しさせるのは、『自己の優しさの再発見』のためでもあるのだ。

  黙って見ていること、見守るのは『優しさ』の本質。しゃべってしまうと、たとえようのない『優しい気持ち』が別物になってしまう。眺めのよい山の頂きで『きれいだね』と語りかけるようなものかもしれない。説明的というのかな。

  芝居を観る観客の喜びのひとつに、『優しい気持ちになる』というのがある。観客は登場人物に、何の手助けもしない。『お客さんが舞台に上がって、悪者に殴りかかった』という笑い話はあるけれど、長年、舞台活動をしていると、明らかに観客の空気が後押ししてくれることがある。『なにもしないけど助けてくれる優しさ』の実感を、僕たちは持っている」

 これを読んで、まだまだ人間には救いがあると思ったのです。ちょっと大げさでしたか。       なおし

 

             ■参考記事

      ※もりぞう爺さんの話(上) 

       オマケ

       ―なおしのメール―

 

松田さん、こんばんは。
お薦め本の扱いに関してはお任せですから、気にしないでください。まあ寿司で言えば、握りの途中でガリがあった方がいいかも、という感じでしょうか。
ちょうどまたオススメできる本がありました。添付しておきます。
20年くらい前にはイッセー尾形の一人芝居をよく見に行っていました。ところが、なんだか観客でいるのに居心地が悪くなってしまい、いつの間にか遠ざかるように。
森田雄三という名前は覚えていたので、本を手にとってパラパラと見ました。一昔前に流行ったハウトゥー本のようなタイトルですが、中身は思いの丈をぶつけたものです。自分の長男の引きこもりの話まで書いています。ちょっと引用します。
「『若いころのへそ曲がりは、よくあることさ』
と慰めても、『なんでもいいから好きなことを見つけろ!』と怒っても、息子は弛緩した顔のままうなずくだけだった。本人は『お先まっくら』と思っていたのだろう。慰めや励ましは、なんの役にも立たないし、本人も『通信教育を受ける』などと、できもしないことを空元気に口にしたりする。自分のことで『目いっぱい』のヤツとのコミュニケーションは難しいということだ

ここだけでも読む価値アリの本と思いましたよ。それではまた。 小川なおし

 

コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
ほんとに (空猫)
2014-12-27 05:27:51
ハウトゥー本みたいなタイトルですね。
でも、内容を読んで、こんなことを考える人がいるなんてすごいなあ、と思いました。
中学生の時、意見発表会で「車椅子をじろじろ見る人がいる、障がい者は見せ物じゃないのに」のような内容の発表があり、「う~ん、これで『ではどうすればいいのか』を主張してくれれば完璧なんだけど。中学生じゃ無理か」と思ったのを思い出しました。
 
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