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小川国夫

 作家、小川国夫が4月8日(火)に亡くなりました。

 若い人たちにはあまり知られていないのでしょうが、彼が書いたような小説は、これから永く読み続けられていくはずです。

 新聞社の訃報記事を紹介します。


  作家の小川国夫さん死去

 2008年04月08日18時38分 朝日新聞

 澄んだ文体で、地中海沿岸や故郷・静岡県中部の人や風土を描いてきた作家小川国夫(おがわ・くにお)さんが、8日午後1時57分、肺炎のため静岡市内の病院で死去した。80歳だった。通夜・葬儀は未定。

   27年、同県藤枝市生まれ。東大文学部中退。在学中にフランス留学。56年に帰国、大学に戻らず同人誌「青銅時代」を創刊し、創作生活へ。57年に刊行した私家版「アポロンの島」を8年後に島尾敏雄が絶賛、世に迎えられた。藤枝市を拠点に中央文壇とは距離をおいて、寡作ながら独自の文学を追究した。

 留学時代にバイクで旅した地中海沿岸と静岡県中部の海や光といった共通する風土を生かした物語、半自伝的な小説、19歳のときに入信したカトリック教徒として読み込んだ聖書もの。三つの方向から創作を続けた。文学は簡潔な文体にあるという信念を守り、平明な言葉と画家を志したことがある美的感性で、文章を磨きあげた。

 91~92年には朝日新聞で「悲しみの港」を連載、単行本が伊藤整文学賞を受けた。主著に「試みの岸」「或(あ)る聖書」、「逸民」(川端康成文学賞)、「ハシッシ・ギャング」(読売文学賞)など。美術論、紀行文もある。05年、日本芸術院会員。大阪芸術大客員教授も務めた。



  「アポロンの島」小川国夫さん死去

 「アポロンの島」をはじめ、簡潔な彫りの深い文体で人間の営みを描いた作家で日本芸術院会員の小川国夫(おがわ・くにお)さんが8日午後1時57分、肺炎のため死去した。80歳だった。告別式の日取りは未定。喪主は妻、綏子(やすこ)さん。

 東大在学中、3年間フランスに留学。オートバイで地中海沿岸を旅し、帰国後、同人誌「青銅時代」を創刊。29歳で自伝的青春の書「アポロンの島」を500部自費出版したものの、注文はわずか1冊。しかし8年後に作家の島尾敏雄に絶賛され、注目を集めた。

 故郷の静岡県藤枝市に住み、寡作ながら、風土に根ざした手触りの確かな小説を発表。1986年「逸民」で川端康成文学賞、99年には「ハシッシ・ギャング」で読売文学賞を受けた。

 「小説が洗練され、人生の重みがなくなるとしたら、文学としては足りません」と語る作家は、19歳でカトリックの洗礼を受けた。「或る聖書」などの作品でも知られ、川端賞の現役選考委員だった。

 (2008年4月9日  読売新聞)



  訃報:小川国夫さん 80歳 死去=作家

 ◇純文学の北極星--「試みの岸」「逸民」

 光と影をキーワードに人々の営みを硬質な文体で描いた作家、小川国夫(おがわ・くにお)さんが8日午後1時57分、肺炎のため静岡市の病院で死去した。80歳。自宅は静岡県藤枝市本町1の8の8。葬儀の日程は未定。

 静岡県藤枝町(現・藤枝市)出身。高校時代にカトリックの洗礼を受け、小説を書き始めた。東大在学中に欧州へ私費留学。その体験を基に帰国後の1957年、短編集「アポロンの島」を自費出版。8年後に故・島尾敏雄に激賞され、注目を集めた。暴力や性衝動、信仰心を断定的で簡潔な文体とくっきりとした人物造形で描いた「試みの岸」や「或る聖書」は、戦後日本文学の到達点の一つとして高い評価を受けた。

 86年に「逸民」で川端康成文学賞、94年「悲しみの港」で伊藤整文学賞、98年「ハシッシ・ギャング」で読売文学賞を受賞した。

 生涯、故郷の藤枝市で暮らし、その求道的な執筆姿勢と純粋高貴な作風から「純文学の北極星」と呼ばれた。内向の世代」の作家の一人とも目される。他に「彼の故郷」「アフリカの死」など。紀行文や美術論も人気を集め大阪芸大教授を務めた。

 ◇宗教的な背景も--作家、黒井千次さんの話

 あの硬質な、魅力的な文体はどこからくるのか。大井川のほとりという土地が作品世界の多くを支え、同時に宗教的な背景もうかがわれそうな気がします。骨の太い強い作品が残されました。

 毎日新聞 2008年4月9日 東京朝刊


 いまもっとも手に入りやすいのは、講談社文芸文庫の『アポロンの島』『試みの岸』です。図書館なら筑摩文学大系のような日本文学全集で読めます。

 20代のはじめ、友人に

 ──小川国夫って知ってる? 読んでみたら。

 とすすめられたのを思い出します。

 いま、豊島区立中央図書館に行って島尾敏雄全集を2冊借りてきました(2008/04/11/19/11)。小川国夫については目次より4編見つかりました。

 ・一冊の本(第14巻)朝日新聞昭和40年9月5日初出 

 ・小川国夫著「或る聖書」(第15巻)静岡新聞昭和48年12月28日

 ・小川国夫の衝迫(第15巻)河出書房新社刊『小川国夫作品集』内容見本 昭和49年10月

  ・小川国夫「アポロンの島」解説(第15巻)新潮社刊、小川国夫著『アポロンの島』(新潮文庫)昭和53年1月

  最初の「一冊の本」は読書論、文章論としても読めます。文章は原文のママです。  



  一冊の本――小川国夫「アポロンの島」  島尾 敏雄    

 「一冊の本」ということばによって私の頭の中にまず浮かぶのは「聖書」のイメージだけれど、今の私に「聖書」について書く力はないと思う。では、それを避けてどんな本を私にとっての「一冊の本」としよう。
 以前もそうだったけれど、このごろはいっそう持続的な読書ができなくなった。すこし誇張になるのをがまんすれば、私の読書の態度には、創作の刺激を期待するようなところが出てきた。もちろんそこから知識と瞑想へのみちびきが与えられるにはちがいないが、そのうえになお、読書の結果わきたったにごりをしずめて、なにか創作してみたい気持を自分に移し植えてくれるような書物を机の周辺に置くようになった。はじめは本だなから何冊もえらびとり、随意に読み捨てて行く。あるいは自分の創作へのこころのゆれうごきも中で処理して行くと言った方がいいかもしれない。そしていちばんあとにのこる一冊がある。そのときに何を書くかのおよその見当がついているふうだ。
 小川国夫の「アポロンの島」がこの三、四年来、その一冊としてのこった。この本を知るまえには岩波文庫本の
長塚節の短篇集「炭焼の娘」がそうであった。このうつりかわりのところはうまく説明できそうでない。ただなぜか、そのいずれともそれを読むことによって、くぐまりこごえようとする私の筆が軽やかな出発にかりたてられたように思う。で、その一冊の本としての「アポロンの島」についてなお説明を加えよう。
 八年ほどまえからのことだが、「青銅時代」という同人雑誌が一年にほぼ一冊の見当で送られてくるようになった。あるとき、その何冊かを重ねて目を通しながら、ひとつの小説、というよりひとりが書いたいくつかの短篇群を読んで、どこがと指摘することはできないが、総体的にそれらの短篇のもつリズムが私のからだにいつまでもある高なりをとどめているのに気づいた。形容を抑制し、場景と登場人物の外面的な動きを即物的に写生し、透明な使い方によることばを、竹をたてかけるぐあいにならべただけなのに、その字と行の白い空間からかたりかけてくるなにかに、ひきつけられた。
 その「なにか」の内容を、すっかり承知しているとは言えないとしても、ヨーロッパ風な掟のにおいが感じられた。それは旅先のよそおいでなく、内発的な生活のリズムの中でとらえられているところがこころよかった。抑制はきいているが、つつましいというのではなく、血のにおいにむせかえる側面を見せることもある。それはどうしても物語の骨髄をふまえ、掟の重さのネガティヴな写しとりも意識のすみでとらえての筆法に相違ない、と思わせ、天主堂の祭壇わきの香部屋に出入りした少年の日を持った者の目が、その行間をうめているとしか思えないところがあった。その少年が直面しているのはいわば神々の国の日本という世界なのだから、あとずさって自分の素性をさぐろうとするとすべての風景がまた別な表情で血なまぐさくうつってくるだろうと思われた。それが小川国夫の小説であった。
 ところで、私はもっと多く彼の小説を読みたいと思い、ちょうど、その同人誌に案内の出ていた彼の短編集の「アポロンの島」を、手に入れることができた。それが私に創作への刺激を与えつづける一冊の本となったわけだ。内容は二十二の短篇が「エリコへ下る道」「アポロンの島」「動員時代」「大きな恵み」という四つの題名を与えられて区分けされ、その中から、ひとりの日本の青年がヨーロッパの生活の中を(中でも白い家々や太陽をまぶしくはねつけている道など南欧の部分の印象が強いのだが)ひとりで旅をしながらおなじ理解のがわでかかわっている状況と、あのねんねことかすりとへこおびや竹やぶや背戸、土蔵の柿渋のようなくらい日本の素性を自伝のかたちであとずさりさぐりつつある状況との、二つの世界が、先に書いた筆法によって表現されているのを感じとることができた。
 言うまでもなくそこには二つの世界のバランスの問題が当然からみついているが、それは私にとってもかかわらざるを得ないモチーフなので、布置されることばのひとつひとつがからだにひびくようなのだ。もっとも「アポロンの島」につづく決して少なくない彼の短篇や長篇が、私の視野にとらえられていることは言うまでもない。それらはいずれも抑制の中で戦慄を用意しながら、私にはこころよい律動ともなった文体で、ある「過程」を、たしかな細部を記録しつつ示してくれるような気がする。彼のものを読むといつも、小説を書く仕事の方に、たのしみをもっておしやられている自分に気がつく。

 



コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
文字。 (古い生徒3。)
2010-02-09 22:33:14
 あ、どうも。追悼の記事にこんなコメントで
すみません。

 島尾敏雄さんからの引用部の15行目、『出発に
かりたれられた』は『かりたてられた』では
ないでしょうか?

 重箱の隅をつついてしまいました。
 
 
 
 
たいへんだあ (小川)
2010-02-10 00:09:45
松田さん、こんばんは。

直したところを読んでみたら、『かりたてれられた』になっていますよ。

私のコメントなぞアップせず、こそっと直しといてください。

それではまた。
 
 
 
いつも不思議に思っていたのですが (空猫)
2010-02-10 04:47:08
皆さん、「文章におかしいところがあったら指摘する」という約束事があるんですね。

それをこっそり直さずに、指摘部分全部残してあるのがちょっと面白いなと思いました。

私も本題から逸れてすみません。
 
 
 
誤植です (m)
2010-02-10 14:08:17
空猫さん、こんにちは。

「おかしいところ」とはいっても、誤植関係だけです。内容までになってしまったら大変なことになってしまいますので。

また「全部」でもないんですよ。
小川さんの「たいへんだあ」は受けちゃいました。
 
 
 
おすすめ作家さん (空猫)
2014-12-26 05:41:07
この間のコメント欄で、後藤明生、古井由吉をおすすめいただいたので、図書館で探してみました。どちらも閉架扱いになってたので、司書さんに頼むだけで楽でした。

あと、過去記事の石田衣良も。見付けたので借りてみました。どれもこれからですが。

できれば、すすめられた本はお試しだけでも読んでみたいなあと思ってます。
取りあえず、最近の図書館はネット検索ができるので、閉架のものから、順に。

そのうち開架のものまで司書さんに頼み出しそうな自分がこわいですけども。

前回のコメントに続いて追悼の内容でなく、本当に申し訳ないです。
 
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