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星新一、創作の秘密

   きのうの続きです。本当は以下の部分を載せたかったのです。しかし、gooブログの文字数の関係で、きのうの夕刊との同時掲載は叶わないとわかり、2回に分け、きのうはまず、あまり知られていない星新一の一端を拾いました。

 速読だけでなく、文演も受講している方には、さらに参考になるのではないでしょうか。

  新一が最大の感銘を受けたとして紹介するのが、アイザック・アシモフの『空想天文学入門』だった。その中の『とほうもない思いつき』という章に、次のようなアシモフの三つの方法論が挙げられていた。以下は、新一が本文を『圧縮して要約』(『SF入門』)したものである。

 1、知識の断片を、できるだけ多く、広く、バラエティに富んでそなえていること

 2、その断片を手ぎわよく組み合わせ、検討してみること

 3、その組み合わせの結果がどうなるかを、すぐに見透かしてみること

 これらは創作ではなく科学的発見の方法について論じたものなのだが、これまで新一が無意識のうちに手探りでやっていた創作方法そのものだった。

  新一の遺品には単語だけ記した小さなメモや、短い文章を記したメモ、断片と断片を線で結びつけ、組み合わせを試行錯誤した形跡を示すメモ、物語のかたちになった長方形のメモなど、さまざまな鉛筆書きの下書きが大量にあった。それらが新鮮なアイデアを生むための宝の山であり、新一がメモの入った袋をかき混ぜながら斬新なショートショートを生み出していたことは、そのころ戸越の家によく通った『宝石』の大坪直行が目撃している。

 『三十枚で書ける小説を圧縮して六枚や七枚にする。普通、短い小説はそうやって書くでしょう。でも、それだとどうしても圧縮感が出てしまう、と星さんはいうんです。星さんの場合は、それとは逆。三枚から四枚ぐらいのものを七枚から十枚くらいに伸ばす。これは相当むずかしいことです。伸ばすためにはほかの要素をいろいろと入れなければならないですから。だから、いろんなところにアンテナを広げていたはずです。家にはしょっちゅう行きましたので、電話や手元の電気スタンドに創作メモがたくさん貼り付けてあるのをよく見ました

 小さなメモには脈略のない言葉が記されている。

 幽霊と催眠術。友情と動物園。月賦と殺し屋。ドラムと鬼。チョウチンとツリガネ。まばたきと変装。左利きのサル。裏がえしの憲法。やとわれた怪物……。(『短篇をどう書くか』)

  単語やセリフ、文章の意外な組合せが常識的な思考方法では思いつかない新鮮なアイデアを生む。その作業を新一が繰り返し行っていたことがよくわかる。しかし、たんに思いついた素材をパズルのようにただ組み合わせて料理すればいいというものではない。新一が繰り返し口にしていたのが、健全な常識があってこそ常識の枠を取り外した意表を突くアイデアが生まれる、という言葉である。まず、広く深く多様な素材を探すためにはそれなりの知識と常識が必要である。その場合、知識の断片に優劣はつけない。企画立案のときには、どんなつまらないアイデアでもケチをつけないというブレーンストーミングの手法と似ている。

 断片を組み合わせる場合は、いったん常識の枠を取り外し、取捨選択は最後の最後と思いながら、どんな低劣でくだらない組合せも次々に試してみる。そのなかで最良の組合せが見つかったら、それ以外は惜しくても捨てる。『もったいないからと次善のを使う習慣がつくと、いろいろと感心しない副作用が派生する』(同前)。新一はそう考えた。

 非常識な発想をあれこれと試して最良の組み合わせが見つかったら、今度は常識の枠をあてはめて作品として成立するか、組み合わせた結果が効果的なものとして物語に生かされるかと検討していく。ここで重要なのは、斬新なアイデアを生かすためのプロットづくりである。宇宙や未来など無限に広がる時空間の題材を扱うことの多いSFの短篇であれば、なおさら綿密なプロットにする必要がある。

 では、どうすればプロットを作ることができるのか。

 そう質問されたとき、新一は、『小話を覚えてみたらいいと思います』と答えている。これは晩年の講演会でも披露しているエピソードなので、生涯続けていたということなのだろう。気に入った小話があれば、感想を書くのではなく筋を要約して暗記する。暗記したら、今度は人に話してみる。宇宙塵』の例会で、新一が次々に小話を披露してみんなを笑わせたり度肝を抜いたりしていたのは、新一の小説修行の一環でもあったのだろう。『宇宙塵』の同人たちは、読書家であり、想像力が豊かで常におもしろいものを求めていたが、ありきたりの話にはあきあきしていた。だからこそちょっとやそっとの話では驚いてくれない。手強い仲間をあっといわせるには、話し始めてすぐに落ちが予測できるようなしゃべり方をしてはいけない。何度もやってみるうちに、話をする要領も身に付く。

 新一は小学生のころ、突拍子もない発言で教室中をわかしていた。おもしろいことをいって人をあっと驚かす素質は間違いなくあった。父親の影響も甚大だったろう。新しいアイデアを生む秘訣がまさに星一譲りである。新一は随筆に書いている。

 父の発言や計画は、吸収した知識を自分なりの判断で基本から再構成し、その結論としてのものだったのである。いわゆる思いつきといったたぐいとは、本質的にちがっていた。そうでなかったら、死ぬまで、新しい計画を絶えず発言しつづけることができたはずがない。アイデアを得るための、この唯一の極意、これを伝授してもらえた私は、やはり幸運であると言うべきだろう。心からそう思う。(『おやじ』)

 ただし、『知識』の『再編成』ができても、それだけでは作家にはなれない。さまざまな人生経験を積み、紆余曲折を経てようやく話の通じる『宇宙塵』のSF仲間たちに会い、くすぶっていた才能が再び引き出され、一気に開花したというべきか。

 親一から新一になったころの変化をもっともよく知る人物は、やはり牧野光雄だろう。

 『星君はめったに自分をさらけ出さない人です。でも、調子づくとはしゃぐんです。べらべらしゃべりだす。そうするといいアイデアが生まれるみたいでした。ただ、相手によって、はしゃぐ場合とそうではない場合を整然と分けている。誰かに会うときは常にヒントを求めているところがありました。これは作家になる前からそうでした。話をしていると突然笑い出すんですよ。たぶん、ほかのことを考えていたんでしょうね。次に話すことを常に考えていて、相手の本心を読みとったりして。人と同じことをしたり、右に同じというのは絶対にやらない人間でした。だから、ことわざのような常套句やだじゃれを嫌った。造語が大好きで、落語も好きでした。笑いたくないときや笑ってはいけないときに、何かある言葉を発することでおかしくなる瞬間があるでしょう。そういう感じです。普通はそういうふうに受けとらないという答をして相手を笑わせようとする。言葉で人を驚かせて、相手が呆気にとられるのを楽しんでいた』(P284~)

 最後に、『宇宙塵』主宰者、柴野拓美の回想を掲載します。

 「ぼくらの仲間はお互いのことは本当に詮索しませんでした。なぜでしょう。家庭の事情を隠してるというわけじゃないんです。遠慮して聞かないというのでもない。ま、興味がないんでしょうな。普通の人が興味をもつことに興味がない。普通の人が身につまされるようなせせこましいドラマには興味がない。のぞき見趣味はないんですね。でも、浮世離れしたことはのぞき見したくてみんなうずうずしてる。あの壮大な宇宙の果てはどうなっているのか、人類はこの先いつまで生き延びられるんだろうか、などということを思うと身につまされる。普通の方々とは、ずれがあるみたいな気がしますね。私は学生時代も就職してからも、おまえは変わり者だと家族からいわれ続けて、自分でもそうかなと思っていましたけれど、『宇宙塵』の月例会で集まり始めてからはそうは思わなくなりました。上には上がいるってね。あの仲間うちでは、私が一番平凡な常識人ってことになっています」(P290) 
 

 この本の定価は2,300円(税別)です。よく知られていない星新一のことを知ることができて税込み2,415円とは。

 本の値段は安過ぎと、ときどき思います。できるだけ、そう感じられる本と出会いたいものです。  真       
      
 
                  

 おまけ1

 筒井康隆が『ボッコちゃん』文庫版の解説で訴えようとしたのも、星作品とまともに対峙しようとしない文壇と世間への批判であった。あとにも先にも、この解説ほど作家・星新一に透徹した理解を示しつつ、かつ挑戦的な星論はない。新一から初めての文庫の解説者に指名された筒井は、代表作の解説を書かせてもらえるなんて大変な名誉だと思い、『これは書かないかんと思って書きました』と振り返る。

 筒井の解説は、まだ作家デビュー間もないころから、作品集が出るごとに1枚の葉書にショートショート一編ごとの感想を細かく記して新一に送り、全作品を読破していた筒井の、星作品への愛情あふれる分析的技術批評のすすめとでもいうべきものである。新一もまた、デビュー前後の筒井の才能を見抜き、筒井であれば自分の作品を理解してもらえるだろうと考え、指名したはずだ。

 筒井の解説を短くまとめるとこうである。

 日本人好みの『怨念やのぞき趣味や、現代との密着感やなま臭さや、攻撃性が持つナマの迫力』などが徹底して締め出された透明感のある星作品を、日本の批評家が評価しにくいのはよくわかる。新一の作品に対してよく指摘される『欧米的ユーモア感覚』なり『価値の相対化』なり『東洋的原思想家』といった評価も、それだけではまだ十分に星新一の世界をつかみきれたとはいえない。星新一の『巨大な頭脳』に蓄積された、対立概念や、視点や、プロットや、ギャグや、ナンセンスの数多のアイデアのパターンのせめて1割は知っていなければ、酒席での放言も含めて、星新一が次にどんなアイデアを生み出してみせるか、どんな新しいパターンの組み合せで吐き出すかなど理解できないだろう(P413) 

 おまけ2

 講談社文庫出版部長の宍戸芳夫の「星新一ショートショート・コンテスト'81」の回想。

 『原稿読みは大変でしたけど、楽しかった。5225編を全員が一度は読もうといって、編集部ではぼくと、小島、宇山の3人で必死に読みました。1か月で4万枚、1日1千枚以上です。それぐらいのスピードで読まないと追いつかないですから。普通、小説を選考する場合はだいたい始めの5、6枚で判断できます。でも、ショートショートの場合はなんだか下手な流れだなあと思っても結末でバーンとひっくり返しますから最後まで気が抜けない。文庫出版部のほうから、部長が席にいてくれないと困りますと怒られたんだけど、ほんとうに楽しかった。徹夜で読みましたよ』(P456)

  

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