ゆず色時間

日々の出来事、毎日のお弁当、料理やお菓子など作った物の記録。日々思うコト書いてます。独り言と日記&雑記帳デス。

自転車と私

2011-03-23 15:57:26 | 日記
今日はとてもいい天気です。
近くのスタンドで灯油を売ってる!の情報が入り自転車でgo!!

全然並んでなかったし、一人一本でしたが買えました

近く…と言っても、自転車で片道15分くらいかかるし…
そして、その後は水を汲みに再び自転車で。

風が強いし、水が重いし、足腰が痛いよ~。

自転車こぐのって大変よね~。でも慣れなきゃね。


疲れきってしまったし…もう今日は何もしないでいましょ。


今朝も少し大きい地震があったけど、いつになれば安心できるんだろう…

眠れぬ夜の現実逃避

2011-03-22 21:44:48 | ひとりごと
あの地震から、夜はやっぱり怖いです。
今は避難生活ということもあり、ひとつの部屋に両親と私と妹とくっついて寝ています。

もう一人では眠ることできないかも…

家に戻ったら自分の部屋で寝ることになるけど…

もともと私は誰か隣にいると眠れないタイプだったのですが…
これは困ったなぁ。

「よし!落ち着いたら婚活しよう!そうすれば寂しくないよね!」
なんて考えたり。

こんなこと考えたことなかったんだけど、こんな状態になると、心を支えてくれる人がいたらなぁって思って。

「怖い」とか「苦しい」とか言ったときに「大丈夫だ」って言ってそばにいてくれる人が欲しいなって。

弱ってますね…私。

「おまえら(母と私と妹)イビキすごすぎ。眠れなかった」
なんて父に言われちゃった私ですけどね。

婚活。

一人で眠れるようになったら忘れちゃうかも。
ですけどね

避難生活、命のご飯

2011-03-22 11:48:37 | 日記
今は仙台からちょっと離れたところに住んでる叔父の家の、裏の空き家をお借りして生活しているのですが、その前は仙台市の叔母の家にお邪魔してました。

スーパーやコンビニもあちこち開いているし、小さなお店の前では「弁当500円」など店頭販売してるところもあります。

ただ…
どこで買うのにも並ばないと店には入れず、買うときも数に制限があったり、高かったりで、家の食料は常に不足気味。

私もスーパーで買い物するのに、二時間半待ちましたよ。

そんな中、私の叔母と叔父のは(叔父も叔母も料理がうまいの!)は少ない食料をやりくりして、ガスも来てないので、ホットプレートで調理して、私たちにご馳走してくれました。

そして叔母はとても情報通で、ちょっと家にいないなーと思うと、マンションの下の辺りで誰か近所の人と話してたりして。

この前も
「ゆずかー!みんなつれておりきなー早く!早く!」
と私たち一家を呼び、何かと思ったら
「近所の牛丼屋、無料で牛丼200食配ってる!」
って。
「え?」
訳もわからずみんなでダッシュ!
牛丼屋さんの前の行列に加わり、「牛丼並み盛り」を一人ひとつずついただいてきました

それをおいしくお昼にいただいたのですが、あったかいのと、おいしいのと、ありがたいのとで、じんわりした牛丼でした。

世の中では便乗値上げしているところもあるのに、こんな風に無料で配っているところもある。

こういう時にその企業の本質がわかるわね。

落ち着いたら、ちゃんとお金払って牛丼食べに行きます!

本当においしい牛丼でした

牛丼屋さん、おばちゃん!ごちそうさまー

避難生活、命の水

2011-03-22 10:30:55 | 震災のこと
今日はとてもいい天気です。
朝から叔父に連れられて水汲みへ。こちらはまだ水が出ないんです。

水を汲むところまでは自転車で片道20分くらいかな?
ガソリンがあれば、車でビューっといけるけど、今はまだ手に入りにくいので、えっちらおっちら自転車こいでいってきました。

自転車の前と後ろのかごに20リットルの水のタンクをのせ、リュックにこれまた2リュックのペットボトルを2つ入れたんだけど…

慣れない自転車に坂道。
水を入れたタンクはかなり重く、帰ってきたときは腰も足も痛くて…
こんな時はお風呂でのんびりしたいけど、水とガスがないからねぇ。

喉もカラカラだけどごくごく飲めないし。

本当、水は命ですね。

洗濯ができない、お風呂入れない。

着替えもあまりないので、ずっと同じの着てるし。

ご飯も、食器を洗わなくて済むように、ラップしいて使ったりして。

でも一番困るのがトイレ。

せっかく汲んできた水を使うんだものね。
考えてみれば、飲める水を流しちゃうんだから、もったいないことしてるわけよね。

もっと大事に使わないとね。
節水。
節電。
心がけないとね。

避難生活してます。

2011-03-21 22:11:03 | 震災のこと
お久しぶりです。

私は今、仙台へ避難してきています。

テレビで連日放送されている「原発問題」

福島県内の私の住む町は、原発から離れているものの、安心できない微妙な所。
家族揃って避難してから一週間過ぎました。

いつ戻れるのか、戻っても仕事はどうなのか。
まったくわからない状態です。


あの地震の時、うちの店はスプリンクラーが作動してしまい、店内は水浸し。
水がかかったレジも使えず、商品は破損に加えて水濡れ状態。

そして従業員のほとんどが避難生活です。

メールや電話で連絡を取ったりする人もいますが、ほとんどの人はどこへ避難してるか(無事でいるのか)わからないです。

津波の被害にあった人。
地震で家が半壊、全壊した人。
いろんな方がいます。

私は仙台へと避難してきましたが、会津に行った人、山形に行った人、群馬にいった人、と様々です。

友達も同様で、やっぱりバラバラ…

「戻れるのかな?」
そんなことをメールや電話で話してしまう。

不安と悲しみと恐怖と寂しさ。

どれも今までに感じたことがないくらい、強く重く心にのし掛かっていました。