■今日はワープロの日
・1978(昭和53)年、東芝が世界初の日本語ワープロを発売、価格は630万円だった。
日本語ワード・プロセッサ(以下ワープロと略す)が最初に現れたのは
1977年のビジネスショウで,シャープから参考出品の形で「かな漢字変換方式」
の「試作品」が展示された。
翌1978年9月26日に東芝から本格的なワープロ製品「JW-10」が発表され、
データショーでデモ展示。
よって、この日を「ワープロの日」とされている。
・JW-10の仕様
CPU:ミニコン「TOSBAC-40C」相当機能のLSI
ディスプレイ:ブラウン管CRT 24dot表示
ハードディスク:10MB
外部記憶媒体:10インチフロッピー・ディスク
直径、約25センチで、ウチワの代わりになった
フォント:独自開発
印刷機:24dot ワイヤドット・インパクト・プリンタ
重量:180Kg
このマシンはキーボードによる「かな漢字変換」を実用化し,
24ドットの表示・印刷機能,ハードディスク記憶装置を持つ画期的なもので,
後のビジネス用ワープロの基本となった。
その後小型化・低価格化が進み,1979年9月にシャープから発表された
「書院」は初めてタブレットによるペンタッチ入力を採用し,重さは80kg,
価格も295万円と半値以下になった。
■自分の記憶をたどってみる。
東芝のワープロ専用機発売から、さかのぼること数年、米誌「ニューズウイーク」
だったか?の記事で「Word Processor」なる技術が紹介されていた。
和洋を問わずタイプライターのミスタイプ訂正や文字の加除添削は大変だった。
「Word Processor」技術は、この問題を一挙に解決する画期的技術と紹介されていた。
これは凄い技術だ、と直感した。
と言うのも、この「ミスタイプ」、時には「原稿ミス」で、打ち直しを頼む際、
先輩お姉さんにきつい目で睨みつけられた苦い経験があったのだ。
↓当時の代表的な「邦文タイプライタ。
(画像クリックで拡大)
そして、将来きっと英語の時代が来る、勉強しとけと、先輩にそそのかされ一緒に
「英文タイプ教室」に通う羽目に「ASDFDSA、JKL;LKJ」をやらされ、三日坊主で
二人とも「自主卒業」。(^O^)/
良くよく考えてみると、将来タイピストになるわけじゃなし、英会話を勉強すべき
だった。
二人とも、最初から入口を間違えていたのである。
しかし、会社の「Renington Rand」製タイプライターで遊んでいたことが、
後に「かな漢字入力」で、まさか役立つことになろうとは・・・。
閑話休題
そんな経験から「Word Processor」があれば一挙に問題解決と、
しきりに新製品開発を号令する役員会に提案したが、あえなく「没」。 (>_<)
・1986年に自己都合で退職した時に購入したパナソニック製「パナワード」は
「MS-DOS」で動作するものだった。
営業マン氏いわく「OSはMS-DOSなので、汎用性・互換性がある」、何のことやら
分からぬまま、マァ応用が利くのかな程度の理解で買った。
※後から分かったことだが、ワ-プロメーカ各社が競って「MS-DOS を搭載した
商品を開発し、続々発売し始めたが、メディアの互換性はなく、
全く期待はずれだった。
営業マン氏自身も良く分からず、メーカーの研修会で習ったセールストークを
並べ立てたのだと思う。(@_@)
独立したディスプレイ・PC本体(FDドライブ2個)・キーボード。
諏訪精工(現EPSON)製ドットインパクト・プリンタにパソコン・ラックを付け、
価格は60数万円だったと記憶する。
保存メディアはプラスティック製のソフトケースにペラペラの5インチ磁気ディスクが
入っていた。
ほどなく、友人から節水システム販売の開発協力を頼まれ、企画費などで40数万円で
引き受け、早速ワープロ購入費の回収に充てた。
※あれから、おおかた25年経つが、最近このシステムが見直されていることを知る。
先立った友人が知ったら、さぞかし喜ぶことだろうに、残念至極。
・やがて、NECがPC-9800シリーズを発売しパソコンの泥沼に足を突っ込むハメになる。
「Multiplan」(表計算)に泣かされ「桐」(データベース)に翻弄され、
ようやく辿りついたのが、純国産本格ワープロ「一太郎」!!
「次郎」が無くて「花子」(グラフィック)「三四郎」(表計算)
「五郎」(データベース)と「国産愛用」とばかりに、のめり込んでしまった。
と言えば聞こえは良いが、すべて上澄みをかすめただけだから
「パソコンって何ができるんだろう」が分かった程度。
分からぬことを聞くにも、OSなのかハードウエアなのか、アプリケーションなのか
問い合わせ先さえ暗中模索、
電話をタライ回しされ、挙句の果て最初の問い合わせ先に逆戻り、など日常茶飯事だった。
まるで、トイレのいたずら書き
「右を見よ」→「左を見よ」→「後ろを見よ」→「キョロキョロするな」のパソコン・バージョン!
・最近は「聞き流すだけで、突然英語が話せるように・・・」とか
「一週間でパソコンできちゃった!」などの広告を見ると、凄い人たちがいるもんだと
感心したり「一体何ができちゃったのだろう?」と首をかしげている
“忠太”でございます。
・1978(昭和53)年、東芝が世界初の日本語ワープロを発売、価格は630万円だった。
日本語ワード・プロセッサ(以下ワープロと略す)が最初に現れたのは
1977年のビジネスショウで,シャープから参考出品の形で「かな漢字変換方式」
の「試作品」が展示された。
翌1978年9月26日に東芝から本格的なワープロ製品「JW-10」が発表され、
データショーでデモ展示。
よって、この日を「ワープロの日」とされている。
・JW-10の仕様
CPU:ミニコン「TOSBAC-40C」相当機能のLSI
ディスプレイ:ブラウン管CRT 24dot表示
ハードディスク:10MB
外部記憶媒体:10インチフロッピー・ディスク
直径、約25センチで、ウチワの代わりになった
フォント:独自開発
印刷機:24dot ワイヤドット・インパクト・プリンタ
重量:180Kg
このマシンはキーボードによる「かな漢字変換」を実用化し,
24ドットの表示・印刷機能,ハードディスク記憶装置を持つ画期的なもので,
後のビジネス用ワープロの基本となった。
その後小型化・低価格化が進み,1979年9月にシャープから発表された
「書院」は初めてタブレットによるペンタッチ入力を採用し,重さは80kg,
価格も295万円と半値以下になった。
■自分の記憶をたどってみる。
東芝のワープロ専用機発売から、さかのぼること数年、米誌「ニューズウイーク」
だったか?の記事で「Word Processor」なる技術が紹介されていた。
和洋を問わずタイプライターのミスタイプ訂正や文字の加除添削は大変だった。
「Word Processor」技術は、この問題を一挙に解決する画期的技術と紹介されていた。
これは凄い技術だ、と直感した。
と言うのも、この「ミスタイプ」、時には「原稿ミス」で、打ち直しを頼む際、
先輩お姉さんにきつい目で睨みつけられた苦い経験があったのだ。
↓当時の代表的な「邦文タイプライタ。
(画像クリックで拡大)
そして、将来きっと英語の時代が来る、勉強しとけと、先輩にそそのかされ一緒に
「英文タイプ教室」に通う羽目に「ASDFDSA、JKL;LKJ」をやらされ、三日坊主で
二人とも「自主卒業」。(^O^)/
良くよく考えてみると、将来タイピストになるわけじゃなし、英会話を勉強すべき
だった。
二人とも、最初から入口を間違えていたのである。
しかし、会社の「Renington Rand」製タイプライターで遊んでいたことが、
後に「かな漢字入力」で、まさか役立つことになろうとは・・・。
閑話休題
そんな経験から「Word Processor」があれば一挙に問題解決と、
しきりに新製品開発を号令する役員会に提案したが、あえなく「没」。 (>_<)
・1986年に自己都合で退職した時に購入したパナソニック製「パナワード」は
「MS-DOS」で動作するものだった。
営業マン氏いわく「OSはMS-DOSなので、汎用性・互換性がある」、何のことやら
分からぬまま、マァ応用が利くのかな程度の理解で買った。
※後から分かったことだが、ワ-プロメーカ各社が競って「MS-DOS を搭載した
商品を開発し、続々発売し始めたが、メディアの互換性はなく、
全く期待はずれだった。
営業マン氏自身も良く分からず、メーカーの研修会で習ったセールストークを
並べ立てたのだと思う。(@_@)
独立したディスプレイ・PC本体(FDドライブ2個)・キーボード。
諏訪精工(現EPSON)製ドットインパクト・プリンタにパソコン・ラックを付け、
価格は60数万円だったと記憶する。
保存メディアはプラスティック製のソフトケースにペラペラの5インチ磁気ディスクが
入っていた。
ほどなく、友人から節水システム販売の開発協力を頼まれ、企画費などで40数万円で
引き受け、早速ワープロ購入費の回収に充てた。
※あれから、おおかた25年経つが、最近このシステムが見直されていることを知る。
先立った友人が知ったら、さぞかし喜ぶことだろうに、残念至極。
・やがて、NECがPC-9800シリーズを発売しパソコンの泥沼に足を突っ込むハメになる。
「Multiplan」(表計算)に泣かされ「桐」(データベース)に翻弄され、
ようやく辿りついたのが、純国産本格ワープロ「一太郎」!!
「次郎」が無くて「花子」(グラフィック)「三四郎」(表計算)
「五郎」(データベース)と「国産愛用」とばかりに、のめり込んでしまった。
と言えば聞こえは良いが、すべて上澄みをかすめただけだから
「パソコンって何ができるんだろう」が分かった程度。
分からぬことを聞くにも、OSなのかハードウエアなのか、アプリケーションなのか
問い合わせ先さえ暗中模索、
電話をタライ回しされ、挙句の果て最初の問い合わせ先に逆戻り、など日常茶飯事だった。
まるで、トイレのいたずら書き
「右を見よ」→「左を見よ」→「後ろを見よ」→「キョロキョロするな」のパソコン・バージョン!
・最近は「聞き流すだけで、突然英語が話せるように・・・」とか
「一週間でパソコンできちゃった!」などの広告を見ると、凄い人たちがいるもんだと
感心したり「一体何ができちゃったのだろう?」と首をかしげている
“忠太”でございます。