マドンナさんが、炎上を呼んでいると聞いた。
武漢ウィルスは誰にでも公平だ、と言った意味の投稿をツイッターでしたらしい。
それを聞いて、確かにみんな等しく心の中は感染してしまっていると感じた。
ウイルスだけに、耳から頭ん中へインストールされて、こころはウィルスに支配されてしまっている。
北へと車を走らせ、遠く山並みがかすんで見えるところまでやってきた。
日差しは暖かく、窓を少し開けて風を感じながら進んだ。
やがて日差しは消えて、暗雲垂れ込め雨が降り出した。
窓に張り付き震え流れていく水滴を白けた目で眺めている。
来る日も来る日も、かすかに感じる光を頼りに、出口を探し歩き回っている。
届きそうで届かないその光の先に、何が待っているのかはどうだってよくなって来てもいる。
この光景は、私の外で展開している姿であると同時に、私の中で起こっている現象でもある。
自分という言葉は自然の一部分と分解できるという話を聞いたことがある。
私の中にもあるこの自然は何ものなんだろう。
外にあるように感じている自然が、鏡みたいなものだと面白いな。