雲一つない空が広がっていた。
朝の冷え込みも昼過ぎには気にならないどころか、嘘のように暖かくなっていた。
互いに距離を測りながら、思い思いにお天道様の光をいっぱいに浴びていた。
その中には、3月から長い臨時休暇に入っている学生諸君もいる。
教育を受ける権利云々という方もあるのを尻目に、本能の欲求まっすぐに体を動かしている。
よせばいいのに、現代において必要最小限度の教育ってなんだろうか、なんて思った。
読み・書き・そろばんという明確な課題が、明治時代から昭和にかけてはあった。
多くの人がこの三項目くらいはできるようになることで、文化的水準を高めようという意図があった。
今でいうとどうなるのだろうか。
ともかく今や、そろばんはまだまだという人もいるけれど、読み書きは多くの子供達が可能となっている。
教育が学問ではなく、学歴の為のお勉強ならば、こういった通学できない機会を機に、
高等学校からは高級官僚や弁護士を目指す学歴コースとノーベル賞や起業家を目指す学問コースに大きく分ければどうだろう。
学歴コースは全国一律の卒業基準を何段階か設けて、
そのそれぞれのクラス資格試験へ向けて創造性や個性も捨てた現制度のままのような卒業を目指す。
学問コースは純粋に学問を追求し、研究課題に対しての論文発表や実験を気のすむまで次々とやり続ける。
皆が卒業しなくてもいいようにすればいいと思う。
入学も読み書きそろばんのみの最小限の試験でOKとすればいい。
部活動は年齢制限を設けて今まで通りやればどうだろう。
そうすれば、カリキュラムの遅れを気にする人も減ると思う。
学問コースにお金を出す親はいないかもしれないけど、
無償化が進むと高校ぐらいは・・・やっぱり無理やろなぁ。
てな具合で、私の心と頭の中は今日も雲だらけである。