MKママと親爺の『四季つれづれ』

古希を迎た田舎おやじがMKママ(家内)と孫とワンコで綴る気まぐれ日記。

むかしがたり。本州最南端の町、和歌山県串本町「橋杭岩伝説、弘法大師と天の邪鬼」

2016-10-10 07:01:30 | SK君の写真館


写真愛好家のSK君がありがたい画像を送ってくれました。
橋杭岩、和歌山県串本町、串本の東海岸から紀伊大島方向に大小40ほどの奇岩が建ち並んぶ、国の名勝地、天然記念物。その橋杭岩、ある方向から見ると、まるで僧侶に見えると言うありがたいお話。
SK君の画像、まさに後光をいただくお坊さんと真ん中の二体、僧侶と尼さんが向き合ってお祈りを捧げているようです。その珍しい画像、どうぞご覧頂きたいと思います。

さて、その橋杭岩、弘法大師と天の邪鬼とが一晩で大島まで橋を架ける競争をしたが、負けそうになった天邪鬼が鶏の鳴きまねをして夜が明けたと思わせたため、弘法大師が作業を止め、橋を完成させることなく杭だけで終わったという伝説を生み出した奇岩群、熊野古道大辺路の民話にも登場しています。その橋杭岩伝説、むかしがたり、田舎親爺も読んでみました。よろしければご覧ください。

朝日に向かって拝でいるお坊さんに見えませんか。


真ん中の二体、僧侶と尼さん、法衣を纏って祈りを捧げているようですね。


【橋杭岩伝説】
昔々、弘法大師(こうぼうだいし)と天(あま)の邪鬼(じゃく)(人の邪魔ばかりする悪者)が熊野地方を旅して串本までやって来ました。大島の人々が不便でたいそう困っているのを聞いた弘法大師は、「人に見られないように一晩の内に海に橋を架けてやろう」と思い、天の邪鬼にも手伝ってもらうことにしました。しかし、天の邪鬼はいつも人の反対ばかりする上、偉い弘法大師には引け目を感じていましたので、何とかして弘法大師を困らせたいと思っていました。
夜になると、いよいよ二人は橋をかけ始めました。天の邪鬼はふだんから働いたことがなかったので、すぐ疲れてきました。それであまり手伝おうとしませんでした。いっぽう、弘法大師は山から何万貫もある大きな岩を担いできてひょいと海中に立ててどんどん橋杭を立てていきました。「この調子で橋を作ると朝までには立派な橋ができ上ってしまう。何とか邪魔をする方法はないものだろうか」と天の邪鬼は考えました。そこで弘法大師が人に見られぬように夜のうちに橋をかけてしまいたい」と言っていたのを思い出して鼻をつまんで「コケコッコー夜が明ける~」と鶏の鳴きまねをしました。弘法大師は「まだ夜が明けるはずはない」と耳を疑いましたが、もう一度天の邪鬼が「コケコッコー」と鳴きまねをすると夜が明けてしまったと勘違いしてあわてて工事を止めてしまいました。それで今でも橋杭岩は海の中ほどまでしか続いていません。この珍しい岩は、大正十三年に国の天然記念物に指定されました。
出典:熊野古道大辺路の民話    発行:和歌山県西牟婁振興局

コメント (8)
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