大好き!のてんこ盛り

Everyday is a special day!!

海賊版かと思ったよ。

2008年02月28日 23時13分08秒 | 五月天使給我力量
台北駅前の佳佳唱片で、五月天のDVD「十萬青年站出來演唱会」を見つけました。

特価! 199元!

こちらには、おまけがついてました。もうひとつの棚の方には、DVDのみで500元ちょっとしてました。でも、安いし、おまけも付いてるようだから、えいっ!買っちゃえ!と思い
購入。
そして、帰りのバスの中で、あんまり安かったから、これってまさか海賊版???と不安になりました。
家に帰ってきて、PTTを覗くと、私と同じようにこのDVDを買ったファンがいたようで、その方の情報によると、この特価のDVDは、2001年の卓上カレンダーがついた限定版だったようです。
とりあえず正規版で安心しました。ライブDVDなどは、500元~600元くらいするので、あまりにも安すぎて海賊版かと思いました。
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趙記ワンタン。

2008年02月28日 22時58分35秒 | 台湾でパクパク
228記念館に行った帰りに、こちらのワンタン屋さんでお昼を食べました。
ここのワンタン、ひとつが大きくて、餡がぎっしり!
私は、小碗を頼みましたが、6粒入っていて、最後の方は満腹で食べられないくらいでした。スープは、セロリと薄焼き卵と海苔が入っていて、かなりあっさり味でした。
私は、そこに醤油をちょっぴりたらしてみたら、うま~い!!

お店の人が数人で、ワンタンを包んでいました。持ち帰り用の生ワンタンもありました。
場所は、総督府などがある官庁街に近く、台北駅にも近いのにゴミゴミしていなくて静かな所でした。
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和平記念日。

2008年02月28日 17時56分02秒 | Weblog
今日は、和平記念日でお休みだったので、この祝日に関連して、228記念館に行ってきました。

記念館でいただいたしおりを元に、228事件の概略を書きます。
台湾の日冶時代が始まったのが、日本の明治時代、日清戦争後です。当時、後藤新平が初代長官として任命され、台湾に赴き、道路整備、教育の普及、衛生観念の普及などを行いました。
第2次世界大戦後、台湾は旧政府に接収されました。228事件の原因のひとつとして、
中国との考え方の違い、生活水準の違いが上げられます。また、その経緯として、

1.官民の対立
2.軍隊による鎮圧
3.旧政府の一般人の摘発

228事件の発端となったのが、闇タバコの取り締まりによる、市民殺傷事件です。
台湾各地で民衆のデモが起こり、旧政府でも抑えきれなくなった為、大陸に援護を頼みます。
1947年3月8日、基隆に中国の支援部隊が上陸、台湾全土で軍隊による一般人の鎮圧が始まり、後に旧反政府勢力の摘発と弾圧へと発展していきます。

1949年5月19日 戒厳令が敷かれる=白色テロ時代
1987年7月15日 戒厳令解除 

この事件の真相は、いまだ明らかにされていないとのことです。
台湾語の先生が言っていたのですが、この事件については、タブー視されていて、耳にしても、しゃべってはいけない事だったそうです。歴史の教科書もこの事件には、触れていないとのこと。だから、台湾人はこの事件について全く知らなかったとのことでした。
また、戒厳令下では、公の場所で台湾語日本語が禁止され、例えば学校などでうっかりしゃべってしまうと、罰として「私は國語を話します」という大きなカードを首からぶらさげられたそうです。
私の友人も、小学生の頃そうだったと言ってました。

また、当時の台湾のエリートたちは、殺害されるか投獄されるか、国外逃亡しかなかったそうです。

今回、ボランティアの年配の日本語ガイドさん(82歳とか)から当時の台湾についての説明なども聞くことができました。
「日本が台湾にやってきて、道路整備や教育の普及などをしてくれた。それまでは、台湾はとても遅れていた為、このことによって、台湾の近代化が進んだ。国民党は、そういう業績を台湾人に知らせていないので、私たちは、それを伝えなければならない。
また、第2次世界大戦後、日本は台湾を手放しましたが、中国に返還したとは言っていない。だから、大陸が台湾を中国とみなすのは、おかしいことです。」

台湾の近代史は、ちょっと複雑だなぁと思っていましたが、ここを訪れたことで理解への第一歩になりました。今まで、自分が知らなさすぎました。
戒厳令が解かれたのが、たったの20年前だったんですよね。私が生まれ育った日本は、すでに平和で、それが当たり前だと思っていました。でも、まだまだそんな「平和」を得ることができない国がたくさんあります。
世界中の人が、お互いを認め合い、違いを認め合い、平和に暮らせることを願っています。

228記念公園では、午後から228事件61周年記念式典も行われました。また、記念館の見学者はお年寄りが多かったのですが、その中に混ざって台湾の高校生、日本人学生も熱心に見学をしていました。

**つけたし**
翌日、会社の同僚に記念館に言ってきたことを話しました。すると彼女は、
「自分は、敢えてそういうところには行かない。なぜかというと、そういう所は、被害者も加害者も見学に訪れるだろうから、その雰囲気にいたたまれなくなる。」
とのこと。
それから、彼女はこの事件について話してくれました。彼女のお父さんは、国共内戦により大陸から台湾に逃げてきたとのこと。その渡ってきた中国人たちも大変な苦労を強いられたとのこと。
そこで、私は気づきました。自分は第3者の立場でこの事件について理解しようと思っていましたが、どこかで台湾よりに考えていました。
確かに、展示品などを見ると、台湾の人たちはひどい目にあった事は事実なのですが、
彼女の話を聞いているうちに、誰が悪くて、誰が良いとか言えなくなってしまいました。



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