三・一一以後の思想の核になるべきものはふたつある。ひとつは日本武尊の国偲びの歌であり、もうひとつは日本国憲法第十三条である。
まず日本武尊の歌について。三・一一以後、痛切に想い出されるのは日本武尊の国偲びの歌である。死期を悟った日本武尊は能褒野にて故郷の大和を偲び次のように歌った。
倭は国のまほろばたたなづく青垣山隠れる倭し美し
この原始的な人間の郷土愛は誰にも共感できるものであろう。ここに「人間永遠の感情として非歴史的に実在するパトリオティズム」(橋川文三)の原型がある。しかしより重大なのは次の歌である。
命の全けむ人は畳菰平群の山の隠白檮が葉を鬘華に挿せその子
この歌の構造は、死地へ赴いた人間が生き延びた人そしてこれから生を開始する人たちへ向かって語りかける生の祝祭の歌であり、いわば生者と死者の交歓である。この歌あるがゆえに日本武尊は民族の英雄としてまた戴冠詩人の御一人者(保田与重郎)として永遠に讃えられるべき存在となったのである。
次に、憲法第十三条について。
「第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
小室直樹『日本国憲法の問題点』(二〇〇二年)にこういう一節がある。ここには極めて重要な思想が語られている。
『したがって、この条文(注※日本国憲法第十三条)の持つ意義はきわめて大きい。民主主義のエッセンスが、この一条に詰め込まれているのである。
「公共の福祉に反しない限り」という留保はあるものの、憲法第十三条は生命、自由および幸福追求に対する国民の権利は、「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と書かれている。
「最大の尊重」!
読者は、この一語にこそ注目をすべきであろう。
国家はどんな理由があろうとも、どんな逆境にあろうとも、どんな困難が待ち受けていても、国民の生命、自由そして幸福追求の権利を守るべし。何が何でも、国民の権利を保障せよ!
憲法は国家にそう命じているのである。』
しかし、こんな立派な憲法があるのに、日本はその内側から滅びようとしている。国民の生命、自由そして幸福追求の権利が、三・一一以降、決定的に侵され続けているではないか!
千年の昔から日本人は憲法第十三条の精神を理解していた。その精神は、民族の詩人である日本武尊がつとに高唱していたのである。日本武尊の絶唱は、今回の三・一一の大地震とそれに続く大津波によって失われた一万五千名を越える死者による唱和によって、民族の新たな伝統となった。これは私のみの確信ではない。すでに客観的な歴史の事実である。
我々は不退転の決意を持って、三・一一以後の思想として、新しい日本のパトリオティズムの獲得をここに宣言しよう。
★知の巨人小室直樹
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◇今回の記事にはコメントも付いていますのでご参照下さい。クリック ↓
これまでの歴史に還り、これからの歴史に向かうための道しるべを担って、失われた命のためにも、一歩を踏み出さなくてはなりません。
「小さな時計を集めても現在を超えることは出来ない。大きな時計が我々には必要なのである。しかし、その大きな時計は未来を指し示している」(好日28)
こういう文章が書けたのも海神さんの詩的な表現を盗んだからでした。海神さんこそ私の唯一人のグルです。
当該ログは、私が掲示板記事を保存しようとしてうっかり削除してしまったものです。保存データは残っていますが復活の仕方がわからないので悩み続けてきましたが、どこかに再現しようと検討中です。
とりあえず「大きな時計」のソースの部分だけ、ここに復旧させていただきます。
私のログはダンボールさんの
「好日22 言霊降臨」
へのコメントとして書かせていただいたものです。
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ダンボールさんの「新しさ」 投稿者:海神 投稿日:2007年 9月25日(火)23時53分21秒
(中略)
ダンボールさんの言葉の「新しさ」というのは、なかなか気づくことができません。
私も実はずっと誤解していた部分があるのですが、最近になってやっと分かってきた
ところがあります。
ダンボールさんは「進みすぎている」のです。
小さな時計を集めても現在を超えることは出来ない。
大きな時計が我々には必要なのです。
しかし、その大きな時計は未来を指し示している。
ダンボールさんが「大きな時計」であったことに、これからみんな気づいて
いくんだろうなと思います。
(引用ここまで)
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千年に一回の大震災に遭遇した私たちはいま、昨日今日の自分のことしか考えられない政治家や官僚・マスコミに自らを振り回されることなく、これまでの千年を検証し、これからの千年へ踏み出せる、人間としての思想を目指す指針を必要としています。
1000年に1回開催される「長谷川如是閑賞」入賞の、第一回に、論文『歴史における保守と進歩』で受賞されたダンボールさんが、今回の大震災において「千年」という大きな時を相手に時の刻みにいぞむ課題を背負った。
やがてこのブログが、未来を担うすべての志ある人々の指針となるであろうことを、私は信じております。
ダンボールさん、頑張ってください。
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私のような無名の存在のブログにしては充分な数だと思っています。これからもベストを尽して頑張ります。