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【霊告月記】第七十一回 九鬼周造とサルトル

2021年10月01日 10時00分00秒 | 霊告月記71~75

【霊告月記】第七十一回 九鬼周造とサルトル

九鬼周造のプロフィールを2021年1月2日付でツイッターに掲載しましたので、まずそれから引用します。

「九鬼周造とは何者か?→九鬼はリッケルト・フッサール・ハイデッガー・ベルクソン・サルトル等から直接に学び西欧現代哲学を摂取した上で、偶然論という哲学の根本問題を解明したのみならず、日本文化の根本理念を世界的視野で闡明した20世紀日本を代表する哲学者です」。

→これは私が今年1月の時点で抱いた九鬼周造の原イメージです。現時点でもこのイメージに基本的な変化はありません。

     
             若き日のサルトル

Q:九鬼周造とサルトルは面識があったのですか?

A:九鬼がフランスへ留学した時に担当教授にフランス語の家庭教師の紹介を依頼しました。その時にやってきたのがサルトルでした。サルトルがまだ学部の学生の頃です。約半年ほどの期間九鬼とサルトルは交渉があったことになります。サルトルが来日した際に九鬼にはフランス哲学の歴史を教えたのだと言っています。いっぽう九鬼はサルトルにハイデッガーの哲学を教授しました。後にサルトルは九鬼の紹介状を持参してハイデッガーに面会しています。九鬼は偶然性の哲学をサルトルに伝えたことは確実です。偶然性こそ実存主義の要をなすアイデアです。

映画「サルトルー自身を語る」の録音テープを文字起こしたものが書籍になって出ていますが、その中でサルトルの思想のエッセンスと思われる文言が引用されています。誰かの手によって次の文章が書き写されます。
根源的であるとは、必然性も弁明も理由もなくそこにあるということだ。それは実存する権利なしに実存するということだ」。

さらにサルトルの小説の代表作である『嘔吐』において、サルトルは主人公ロカンタンの口を借りこの偶然性の発見の瞬間すなわち実存主義の生誕の光景をみごとに語っています。

実存するものはすべて理由なく生まれ、弱さから生きのび、たまたま死んでいくのだ。大事なのは、偶然性ということだ。つまり実存は定義上、必然性ではないということ。実存するとは、そこにあるということだ。ただ単に。実存するものは出現し、邂逅させられるが、これを演繹することはできない。すべては無償なのだ、この庭も、この街も、わたし自身も、そういうことをふと理解してしまうと、胸がむかむかし、一切のものが漂い始めるのだ。わたしは、ベンチの上でぼおっとしていた、起源のないものどもの充満に茫然とし、圧倒されて、いたるところに孵化があり、開花があり、わたしの耳は実存でぶんぶんうなり、わたしの肉体自身、ひくひくと痙攣し、口を開き、宇宙のぶんぶんとしたざわめきに身を委ねていた。
(ジャン‐ポール・サルトル著『嘔吐』 鈴木道彦訳)

九鬼周造文庫には九鬼とサルトルの交渉を記録したノートも残されています。これら諸資料を踏まえ諸状況を勘案するならばサルトルの実存主義の生みの親は九鬼周造であったかもしれないという推測も成り立ちます。アメリカで九鬼とサルトルの関係を取り扱った書物も出されているそうです。

Q:九鬼周造文庫とは何ですか? その中のサルトルとの交渉を記録したノートとは?
A:死期を悟った九鬼はドイツ留学時代からの親友である天野貞祐に自分の原稿やノート・蔵書など一切を預けました。この資料を天野は甲南高校(後の甲南大学)に委託。甲南大学はこの資料を整理し九鬼周造文庫として管理運営しています。九鬼の原稿やノート等諸資料はネットで公開されています。語句検索「九鬼周造文庫」で検索可能です。サルトルの記録は「九鬼周造文庫 1.ノート 4.フランス留学中のノート サルトル氏」をご参照ください(但しフランス語)。

 サルトル『嘔吐』に出てくる曲「Some Of These Days」


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