連句の周辺
連句は千年の時空に支えられた芸術のジャンルでありこれまで様々な人間が関わって来た。積み重ねられた崇高な伝統。それを独自の観点から集約し蘇らせた天才も出現した。芭蕉の出現は連句形式を永遠なものにした。このことは疑い得ないことであろう。天才が出現するかどうかは一般にそのジャンルの可能性を知るのに最も適切な方法であって、ひとたび天才が出現したジャンルは永遠に滅びることなく輝くものである。一人のソクラテス、一人のモーツアルトが出るまでの時間も無視できないが、彼等の出現自体がある不滅の創造的ジャンルを作ったとも言えるのである。 連句は千年の時空を背景に持つ滔々と流れる大河のようなものである。その大河からは幾つもの支流が作られた。俳句もその一つであるが、俳句は天才が出にくい芸術のジャンルであろうと私は思う。俳句には連句と違って芭蕉のような天才はまだ出現していない。その原因は俳句という芸術のジャンル自体が極めて人為的な発生の仕方をしたところに求められるのではないか。
俳句とは何か。その本質はなんであるのか。宗匠と言われるべきほどの人ならば必ずその問いに対して自分なりの答えを持たなければならない。なぜなら、そんな芸術のジャンルはもともと存在しなかったのであるから。季語は必ず必要なのだろうか? 是非とも五七五で詠むべきものなのか? こんな簡単な問いにさえも、俳句では共通の答などはないのである。各々の宗匠が答を見付けその答に意味づけを与えなければならない。そしてその答は各自の観点からは絶対的に正しい。正しくなければならないのだ。なぜならば、もしその答が正しくなければ、俳句というジャンルはそもそもそこに発生し得ないのであるから。
俳句というジャンルは自らのアイデンティを絶えず問われている。俳句は「俳句」という文芸のジャンルの発生の必然性を絶えず自分自身に証明し続けなければならないのである。これは歴史的にみるならば俳句というジャンルの弱点というよりむしろ強みであった。様々な才能がこの未開拓の領域に赴いた。そして様々な俳句理論が作られそれらの理論が実作を導いても来たのである。絢爛たる俳句実作の歴史、それは我々が目にしている通りである。
アイデンティティ それが、他とは異なる、まさにそのもの
であるということ。自己同一性。「自分のーを主張する」
(岩波国語辞典第四版より)
ところで、このアイデンティティという概念は、アメリカの心理学者エリクソンが自らの心理学のキー概念として使用し、まずアメリカで広まった。(もともとはフロイトが論文で最初に使ったのだが、それをエリクソンが拡張した)。
アメリカという国はそもそも人工国家である。建国の理念を掲げて作られた国である。したがって絶えず指導者は「アメリカとはどんな国であるか、どんな国でなければならないか」を国民にに示し続けなければならない。自らのアイデンティティを絶えず確認する行為を必要とするのがアメリカである。アイデンティティという概念がなぜアメリカで受け入れられたかの事情をこれは物語るのではないだろうか。たかだか二百年ほどの歴史しかない国においては伝統に安住することは許されない。絶えざる国家理念の再確認こそがその国を繁栄させる根拠なのである。この意味でアメリカは若い国なのだ。比喩的に言えば、俳句とはアメリカのごとき人工国家である。そこでは形式が伝統ではなく理念によって支えられている。理念が先立って建設された形式なのである。 まず生活という事実があって、そこに国家ができた。これが古きヨーロパの国々の事情であり、それは日本という国においても同様である。そこにおいては伝統というものが重層性を持って沈殿している。理念は生活の一部としてのみ存在する。
連句においては、発句は必ず付句を予想している。連衆あっての発句である。連句の視点からは、俳句とはその必要性もないのに家を出ていった家出息子のように思える。彼はなぜ家族を離れて家出しなければならなかったのか(なぜ発句は独立しなければいけないか)、彼は自他の為に証明し続けなければならない。
簡単に纏めれば、連句と俳句はまるで位相が違う文芸である。生命体とロボットほどにも連句と俳句は違った存在なのだ。生命は連続であり、時期至れば進化する。生命の発生は無限に遡及しうる。しかし人工物には必ず終焉がある。
方向を変えよう。降っては中世。乱世の時代に連句の原型である連歌は普及した。この連歌について山崎正和は、連歌に代表される中世の文学はそれ自体が人間の社交をそのまま洗練させた構造を持っていたと述べ、さらに次のように指摘する。
ここで要求されるのは一座の気分の流れを正確に掴む能力
であり、それにいきいきと、しかも控えめに自分を合わせて
行く能力である。試されているのは人間のもっとも精妙な心
の働きであり、野暮や気障や、その他もろもろの醜さがここ
ではたちどころに馬脚をあらわす仕掛けなのである。
こういう場所で試しあい、そこで許しあった人間だけを信
じるということは、乱世の人ひとの驚くべき知恵だったとい
える。それはあらゆる政治制度が毀れたあとにも残る、人間
関係のエッセンスというべきものであり、本当はこういう場
所こそ人間社会の真の表街道であるかもしれない。
(山崎正和『室町記』)
連句は連歌から切れている側面もあるが継承している面も多い。山崎正和がここで指摘しているような座の思想はある意味で二十一世紀の連句芸術の可能性すら示唆していると言えるのではあるまいか。連句人とは文芸を通して人間関係のエッセンスを抽出しようとする者のことなのである。モダーンな言い方をすれば、二十一世紀に我々が必要としている文明人とは、座の思想を掴み取ったネットワーカーであるべきなのだ。このような文明的課題にも応え得る文芸形式として連句を見たいと私は思っている。
連句が連歌から継承した性格として、洗練された社交の形式を体験できるということがある。連句は芭蕉に至って、より高度な詩的形式として深まったけれども、依然連歌のその性格は連句に継承された。けれども連句は連歌にない大事な側面を持っている。それは説明するのが難しいのだが、人間の社交を詩に昇華したものが連句だとは必ずしも言いきれないということである。逆説的な言い方に聞こえるかもしれないが、むしろ連句においては人間の消滅といった事態が起こるのではないか。
連句における詩作は自分(人間)から出発するのではなく前句(言葉)から出発する。言葉自体が次の言葉を呼び寄せる。次に来る言葉はそれが誰に書かれたにせよ前の言葉との高度な調和があるかどうかによってその存在が認められる。いわば言葉それ自身がオートマチックな運動を始めてしまうのであり、個々の参加者の才能はただその場に捧げられるのだけなのである。良き言葉が良き言葉を無限に呼び寄せる。だから連句を巻くのは天使がテレパシーを使って対話している光景に似ている。連句を読むことは天使たちのテレパシーを盗聴する経験によく似ている。
連歌は筑波の道と呼ばれ、日本武尊と御火焼の翁との酒折の宮での唱和が起源とされる。神話的時間が設定されているのに注意する必要がある。それではより根源的で高度な詩的対話を目指す連句はいつどのようにして発生したのか? 我々はここにおいては歴史的にではなく、原理的に考察しなければならない。
さてここからは私の空想である。天使はテレパシーが使えるが、人間にはなぜテレパシーが使えないのだろう。天使は何語であろうとあらゆる言語を解読できる。しかし実は天使は言語を解読しているのではなく、人間の内面を直接に読んでいるのである。人間が言語を発する瞬間には思考が結晶作用を起こす。天使はすばやくその瞬間をキャッチするのだ。天使には自分の内面を読まれても困るようなものは何もない。だから天使は言語を持っていない。内面の波動をちょうど音楽のようにあるいは波のようにお互いに伝えあっているだけだ。
ところが人間の内面には秘すべき様々の悪が存在する。天使の内面には存在しない様々の悪の発生。堕落した瞬間に、人間はテレパシーを使えなくなった。そこで悪想念をコントロールしつつコミュニケ-ションするための通信手段が必要となる。かくして人間は言語を獲得した。天使と人間の差異。それはテレパシーと言語の差異に還元できる。
天使たちの対話と人間たちの対話、対話にはこの二種類が存在する。詩的対話とは天使たちのテレパシーに限りなく接近しようとする人間の試みである。連句という芸術形式はこの失われた天使たちの対話を復元するために人間が考え出した天使的メディアなのではないか。連句の起源は天使が堕落して人間が言語を使用するようになった時点まで遡ることが可能である。
詩人はまず生を愛するだろう。生き延びることが先決問題であるから。詩人は理論を好む者ではない。理論が彼の詩作のレベルを上回ることはないのを知っているからだ。あらゆる理論は虚構でしかない。しかし虚構の中にも真理はある。そして真理には強度の差が存在するだろう。生きる時間の中のエアポケット。そこに向けてこの空想的な試論は発射された。
連句にとっての周辺。連句と俳句、連句と連歌、そして連句の起源という問題。連句への旅はまだ始まったばかりだ。
連句は私にとっていまなお「大空を行く四輪馬車」なのである。
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