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中央大学創立百周年記念長谷川如是閑賞授賞論文
『歴史における保守と進歩』
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解剖台の上でのミシンとこうもり傘の偶然の出会いのように美しい!
ロートレアモン
時間は人間の発展のための場である
(Time is the room of human development) マルクス
======<内 容 目 次>===========================
<はじめに>
第一章 福沢諭吉の進歩主義
第二章 柳田國男の保守主義
第三章 解剖台の上の進歩と保守、
あるいは、人間の発展はいかに可能か
<さいごに>
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<はじめに>
福沢諭吉(1835~1901)と柳田國男(1875~1962)は、日本近代史における進歩主義と保守主義のそれぞれ典型的思想家である。
福沢の「進歩主義」は自身によってもしばしば明言されており、(『民情一新』の第二章の標題に「保守の主義と進取の主義とはつねに相対峙して、その際におのずから進歩を見るべし」とある)
柳田の「保守主義」に関しては例えば橋川文三氏の研究がある。(「柳田國男はわが国における最も純粋な保守主義を代表すると私は考える」ー『保守主義と転向』より)
しかし、少しでも研究を進めてみると、ただちに両者には逆の側面が立ち現われてくるのもまた事実である。福沢の保守性、柳田の進歩性を発見するのはむしろ容易ですらある。福沢が自由民権論の主張と必ずしも同調せず官民調和論を展開したのを、その例証ともみなせよう。一方柳田は、敗戦直後の第一回参議院選挙の時、日本共産党から立候補した中野重治を応援してか、『アカハタ』に「私は共産党へ立候補する」という推薦の談話を寄せたこともある。そうした事実をも踏まえた上でなおかつ、福沢の進歩主義・柳田の保守主義を規定せねばならないのである。
そこで、おこりうる誤解を避けるためにあらかじめ一言するならば、福沢の思想は、革命主義ないしは政治的急進主義とは明確に区別されるような穏健性を持っており、柳田の思想はまた、いっさいの反動思想とは相容れない開明性を備えていたことを指摘しておきたい。急進的な時代風潮に反して福沢は進歩的だったのであり、反動的な時代風潮に反して柳田は保守的だったのである。彼らが革命や反動とは一線を画そうとした傾向性、その動力学が福沢の保守性や柳田の進歩性といった印象を生むに過ぎない。
さらにまた、福沢や柳田を、単に進歩主義、単に保守主義の典型としてのみ扱うのは正当かという問題も残る。単なる政治思想家としてのみは律し切れない巨人の事業を、両者は生涯をかけて成し遂げたのであって、その政治的識見などはある一側面に過ぎないとさえいえる。福沢は日本の近代教育の普及にも功があり、さらに『時事新報』の創設による言論活動、近代産業の育成のための人材作りなど幅広い活躍をなした人であるし、柳田はいうまでもなく日本民俗学の創始者であり、その学問の組織者でもあった。けれども、こうした事情だからこそ逆に、人間に根差した政治意識、内容を持った政治見識が発見可能となるのであって、両者の人格が多面性を持ち深みを持つのは、ディメリットではなくむしろメリットになりうるのである。むろんメリットになりうるのは、両者の政治性が、正確に抽出されるという条件つきのことであるのはいうまでもない。
さて、両者の思想は、革命的でもなく反動的でもなく、それらの中間領域に位置を占め、その意味では同一性格を具有しており、同一地盤に立脚しつつ思想的な成長を遂げたものであると言えよう。では差異はどこからくるか? 言い換えれば、進歩主義と保守主義の差異は、両者においてどのような起源を持つか? このような問題提起によって抽出せしめられた福沢の進歩主義と柳田の保守主義を、さらに日本近代史の文脈において比較・考究しようとするのが、この小論の枠組みである。
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