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【霊告月記】第六回 続・保田興重郎「みやらびあはれ」

2016年04月01日 10時00分00秒 | 霊告月記6~10

【霊告月記】第六回 続・保田興重郎「みやらびあはれ」

 保田興重郎は「みやらびあはれ」で、たとえばどんなことを書いているのか?

ーーー涙川といふのは王朝の女流詩人の教へたことばであった。身体に血のながれるみちがあるように、と私は注釈するが、涙は川をなして体の中を流れてゐると、その女性は歌った。このやうなことを味わった女性達は、どのやうなおそろしい深い体験の持主であったことだろうか、例へ彼女の経験が、多彩で苦難にみちつゝも、すべてみな情事のものであったとしても、それが男子の思ふ一大事と、どこに何の差異があろう。」
(保田興重郎「みやらびあはれ」『日本に祈る』)

では「みやらびあはれ」を書いた保田興重郎とはそもそも何者か? 橋川文三の証言を聞いてみよう。

ーーー日本ロマン派、とくに保田与重郎は、ある時期の一部の青春像にとって、トータルな意味を持った精神的存在であった。そのトータルという意味は、それがその世代のものにとって、自分達の存在様式を保証し、正統化する意味をもったということである。
 一昨年の春、特集「文芸春秋」の一冊として出された「赤紙一枚で」のグラビア・ページの中に、人はその歴然たる証拠の一つを見ることができる。そこには「学徒出陣」の際に東京帝国大学総長内田洋三から贈られた日章旗の写真があるが、その旗に記された幾多の寄書の中に、一きわ鮮かに墨痕をとどめているのは、「尊王攘夷保田与重郎」の文字である。
 (橋川文三『日本浪曼派批判序説』あとがきより)

 尊王攘夷の思想が安政七年(1860年)の桜田門外の変を引き起こした。映画「桜田門外ノ変」は、その大老井伊直弼暗殺事件の現場指揮者であった水戸浪士関鉄之助を主人公とする物語であり、ヒロインいのはその関鉄之助の愛人という設定である。関鉄之助を思ういのの心境がこの映画の主題歌のモチーフとなっている。

さて、保田興重郎の「例へ彼女の経験が、多彩で苦難にみちつゝも、すべてみな情事のものであったとしても、それが男子の思ふ一大事と、どこに何の差異があろう」という言葉が、この映画とその主題歌の正確無比の注釈となっていると感じるのは私だけであろうか?

 alan / 悲しみは雪に眠る

 

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