![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/46/dcfee8f7f5b969c9ec27c11f564e4e3d.jpg)
これはクマリの館だったろうか、建物壁面の象
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/3d/2aa6caf3d648ebd24caba7164ce40afb.jpg)
これはどこで見たものだったか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/b6/9f77f6bd4fd6e232d4fb2e0c1538339c.jpg)
カトマンズの街角の土産物屋さん
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別のお店に掲げられた面たち
馬場あき子の外国詠 20(2009年8月実施)
【牛】『ゆふがほの家』(2006年刊)94頁~
参加者:N・I、Y・I、泉可奈、S・S、T・S、曽我亮子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:T・H 司会とまとめ:鹿取 未放
160 一寸の金の仏を得たる街犠の水牛の血を見たる街
(当日意見)
★金の仏を土産に買ったのか、下の句は別のことがら。(S・S)
(まとめ)
カトマンズだろうか、この街で小さな金の仏を買った。いっぽう、同じ街で水牛が何かの生け贄として血を流しているのを見た。そういう混沌とした街の様子を感慨深く思い巡らせたのだろう。「~街」、「~街」とぶっきらぼうな感じもその統一感のなさに、しばし思考停止してことがらだけを投げ出した感がある。しかし、金の仏と水牛を対照させ、混沌そのもののような街や人間を面白がっているのであろう。(鹿取)