ブログ版馬場あき子の外国詠1(2010年12月実施)
【白馬江】『南島』(1991年刊)74頁~
参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。
256 秋霞濃ゆき彼方に白馬江流るると言へば心は緊まる
(レポート)
とにかく秋霞が濃ゆくて白馬江はみえないのであろう。一首は実景に迫っているというより、たとえば松を配するのみの能舞台を思ってみたい。掲出歌は舞いながら謡う一人(作者)が思われる。流るると思うでも、流るるを聞くでもなく「流るると言へば」としているところなど、まさしく作者はシテなのだ。「秋霞濃ゆき彼方に」と幽玄を示し、四句「流るると言へば」と自己を顕たしめている。何も見えないところに自分の声が響き、それを聴いている。無辺なうちに「心は緊まる」と焦点を絞り込んだ結句だ。(慧子)
(当日意見)
★ガイドなどが「見えないけど向こうに白馬江が流れていますよ」とあっさり告げた。そのあっ
さりさと、自分の思い入れとのギャップを詠っている。まあ、レポーターのいうように自問自
答でもよいが、いずれにしろ自分の中の白馬江とのギャップが主題。(実之)
★私はガイド説をとるけど。少なくとも声に出して〈われ〉が言ったのではない。この作者は「誰
か言ふ」などのフレーズが出てくる作り方をよくしていて、そういう場合はいずれも天の声のよ
うに必要な言葉がいずこからともなくひびいている感じ。
この歌を読んで前川佐美雄の「春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思へ」
(『大和』)が脳裡をよぎったが、それも少し計算されているのかもしれない。(鹿取)
(まとめ)
663年、倭国がここに出兵して大敗をきたした白馬江、いよいよその川にまみえるのかと、名を聞いただけで緊張している場面。
この一連全体に関係するので作者自身の『南島』あとがきの関連部分を引用する。(鹿取)
「白馬江」は同年の秋十一月、朝日新聞歌壇が催した歌の旅であるが、詞書にも
書いたような事情で、私は白馬江に特別な感慨をもっていた。美しく、明るい豊かな
流れが、夕日の輝きの中をゆったりと蛇行していた景観は忘れがたい。妖しいまでの
淡彩の優美な景の川に船を浮かべて、長い長い歴史の告発を受けているような悲しみ
を感じていた。(鹿取注:「同年」とあるのは歌集『南島』のハイライトである沖縄
七島を巡る旅をした3月と同じ1987年という意味)
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