かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 256 韓国①

2024-05-29 10:17:20 | 短歌の鑑賞
  2014年度版 馬場あき子の外国詠34(2010年12月実施)
     【白馬江】『南島』(1991年刊)74頁~
     参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、
         T・H、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:渡部慧子   司会と記録:鹿取未放
                

日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
  ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
      へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。  


256 秋霞濃ゆき彼方に白馬江流るると言へば心は緊まる

      (レポート)
 とにかく秋霞が濃ゆくて白馬江はみえないのであろう。一首は実景に迫っているというより、たとえば松を配するのみの能舞台を思ってみたい。流るると思うでも、流るるを聞くでもなく「流るると言へば」としているところなど、まさしく作者はシテなのだ。「秋霞濃ゆき彼方に」と幽玄を示し、無辺なうちに「心は緊まる」と焦点を絞り込んだ結句だ。(慧子)


        (当日意見)
★ガイドなどが「見えないけど向こうに白馬江が流れていますよ」とあっさり告げた。
 そのあっさりさと、自分の思い入れとのギャップを詠っている。自分の中の白馬江と
 のギャップが主題。(実之)
★私もガイド説をとります。少なくとも声に出して〈われ〉が言ったのではない。この
 作者は「誰か言ふ」などのフレーズが出てくる作り方をよくしていて、そういう場合
 はいずれも天の声のように必要 な言葉がいずこからともなくひびいている感じ。
  この歌を読んで前川佐美雄の「春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大
 和と思へ」(『大和』)が脳裡をよぎったが、それも少し計算されているのかもしれ
 ない。 (鹿取)


      (まとめ)
 663年、倭国がここに出兵して大敗をきたした白馬江、いよいよその川にまみえるのかと、名を聞いただけで緊張している場面。
 この一連全体に関係するので作者自身の『南島』あとがきの関連部分を引用する。
     (鹿取)

    「白馬江」は同年の秋十一月、朝日新聞歌壇が催した歌の旅であるが、詞書に
    も書いたような事情で、私は白馬江に特別な感慨をもっていた。美しく、明
    るい豊かな流れが、夕日の輝きの中をゆったりと蛇行していた景観は忘れが
    たい。妖しいまでの淡彩の優美な景の川に船を浮かべて、長い長い歴史の告
    発を受けているような悲しみを感じていた。(鹿取注:「同年」とあるのは歌
    集『南島』のハイライトである沖縄七島を巡る旅をした3月と同じ1987
    年という意味)  

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 馬場あき子の外国詠 255... | トップ | 馬場あき子の外国詠 257... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事