かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 148

2021-01-21 16:57:53 | 短歌の鑑賞
   渡辺松男研究 18 二〇一四年八月
       【夢解き師】『寒気氾濫』(1997年)65頁~
        参加者:泉真帆、鈴木良明(紙上参加)、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:渡部 慧子 司会と記録:鹿取 未放
            
           
148 多磨霊園に夕かげながれ骨という骨がさかなのごとく跳びだす

             (レポート)
 夕暮れがきた。生者には気持ちが不安定になる者もあろう。そんな危うい時間帯の霊園をとらえる。埋葬されている骨が今ぞとばかり跳びだしてきたというのだ。「夕かげながれ」が効果的で「ながれ」に乗って「跳びだす」と思える「さかな」は「骨」なのだが……。「霊園」を「幼稚園」に「骨がさかなのごとく」を園児にみたてているように思う。そのみたてがユーモラスなのだが、さらに世界への複眼性と言ったらよいのか、それを秘めている。生者には危うく思える時間帯に溌剌たるものがいると詠う。(慧子)


          (紙上意見)      
 多磨霊園の墓地の間の骨のような枯れ葉が、夕影のなか風にあおられて、さかなのようにはね出したのだろうか。(鈴木)

        (当日発言)
★慧子さんのレポートの「『霊園』を『幼稚園』に『骨がさかなのごとく』を園児にみたてている
 ように思う。」という部分、前半からとても飛躍していて、その論理的な整合性が分からない。
 慧子さんが幼稚園の園児がわーと跳びだすように霊園から骨が跳びだすんだとイメージするのは
 自由だけれど。(鹿取)
★夕方の光にお墓が照らされてまるで命をもらったように、何か魂がお墓から跳びだして来たんだ
 よというふうに受け取りました。魚だとトビウオの飛ぶだから足偏の跳ぶだから、さかなは比喩
 でお墓から幽霊が跳びだしてきたように作者は面白く思われたのかなと。あんまりユーモアとい
 う感じはせず、ゆうかげに刺激されてわーと跳びだしてきたもの、この作者の生と死をあまり区
 別しない場面が描かれているように感じました。(真帆)
★私は元気より夕かげによる刺激説ですね。夕日の射す時刻、霊園の上が微妙な赤紫のような色に
 染まってただよう中で、そこに文字通りお墓の中の骨たちがばーと跳びだす楽しいイメージ。解
 放された感じ。独特の時間帯の一瞬のイメージを捉えている。(鹿取)


      (まとめ)
 うたい口からすると、前川佐美雄の初期のシュールな歌のような感じ。あくまで埋葬された人間が魚の骨だけのように、(骸骨のような形で)続々と跳びだしてくる様子。怖いより漫画チックなな楽しいイメージなのではないか。(鹿取)

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