かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『寒気氾濫』の一首鑑賞 299

2024-08-08 09:36:24 | 短歌の鑑賞
  2024年度版 渡辺松男研究36(16年3月実施)
    【ポケットベル】『寒気氾濫』(1997年)120頁~
     参加者:S・I、泉真帆、M・S、曽我亮子、船水映子、渡部慧子
     レポーター:鈴木 良明 司会とテープ起こし:泉 真帆


299 家族ああ昨日とまったく同位置にポットはありて押せば湯がでる

     (レポート)
 テーブルの上の定位置にポットが置かれていて押せば湯が出る。それは太陽が毎日東から昇り西に沈んでゆく自然の運行のように、ついあたりまえと思ってしまう。しかし、その陰でそれを毎日用意してくれている今の家族の存在にあらためて気づき、そのかけがえのなさに、「家族ああ」と感嘆しているのだ。(鈴木)


     (当日発言)
★いつも適温の湯が出ることは、ポットに水を足したりする陰の家族達の力、バック
 アップがあってのこと。その素晴らしい家庭を感じます。(M・S)
★私達はなくしてはじめて、そのものの尊さを感じる。家族とは当たり前だが、本当に
 いてよかったと。ポットも、いつも置いているポットが押したらすぐ湯が出るとか、
 そういったありがたさ、幸せ、を詠っていらっしゃると思いました。(S・I)
★家はいいなーという感じ。怖ろしい「死」も「政治」もないから。全てがいつものよ
 うにあって、安心感があって、安らぐ。そういうことを詠んでいらっしゃる。
   (曽我)
★家族を語ればきっと語り尽くさないのだ。それをポットに象徴させ、思いをポットに
 ひとつに置き換えて詠われたところが、お上手と思いました。(慧子)
★私などは、歳とって自分の体が思うように動かなくなってきて、だんだん当たり前の
 ことが有り難いと思う様になったが、松男さん、この年齢でこういう歌を詠えるって
 凄い。(鈴木)(出版年の作者は42歳)


     (後日意見)
 この歌を長い間、家族の倦怠を詠んだものかと思っていた。「ああ」という詠嘆が私にそう読ませていた。しかし、皆さんの意見を読んでゆくと、なるほど家族の温かさを詠んだのかとも思う。この一連の流れからすると後者の読みの方がいいようだ。『寒気氾濫』には「妻」と明らかに書かれた歌は確か一首もなかったが、妻を対象化する必要がないほどなじんでいたということなのだろう。(鹿取)

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