かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 10(ロシア)

2020-02-24 19:21:06 | 短歌の鑑賞
馬場あき子の外国詠1(2007年10月実施)
   【オーロラ号】『九花』(2003年刊)135頁~
    参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、Y・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:K・I       まとめ:鹿取未放

 ◆この一連は、なにげなく詠まれているようにみえて、歴史について、現代や現代の国の関係に
  ついて深く思いを凝らしている洞察力のある歌々である。2001年7月の「ロシアの帝都と
  黄金の環・吟行の旅九日間」には私も同行したため、一首鑑賞からはみ出して蛇足を加えてい
  る部分が多いが、懐かしさの故と思ってお許しいただきたい。


10 王妃の馬の額を飾る大きなるルビー諧謔として人を見てゐる

             (まとめ)
 値段もつけられないような高価な大きなルビーは、もちろん庶民には縁のないものだが、それが王妃が乗るからという理由でかつて馬の額を飾っていた。それが今展示されていて観光客が「へえ、馬に飾ったんだって」などと言って驚いて見ているのである。
 この歌は主客をひっくり返して、ルビーが諧謔として人を見ていると歌っている。このルビーは王朝の歴史、ひいてはロシアの歴史的背景すべてを背負っているのである。
 こんなふうに人から見られるはずのものが、逆に人を見ているという歌い方は、この作者の一つの特色をなす方法である。思い当たる歌を歌集の新しい順に少しあげてみよう。

 今帰仁(なきじん)のノロの勾玉かぐろ玉ある日わが眼に入りて世を見る 『世紀』
 夕雲は静かに窓に近づきて少し眠つたのちの吾を見る『飛天の道』
 あたたかきぶあつき体にふれしめて少し不似合に馬の眸がみる『青い夜のことば』
 蛸はみるまろくかぐろく陰惨にわたつみの底をみし眼もてみる
『青椿抄』
人間はいかなる怪異あざあざと蛸切りて食ふを蛸はみてゐる
烏数羽黒きビニール裂きゐしが静かなる迫力に吾を見つ
 
 また最近の「かりん」(07年1月号)にも次の歌が載る。
 ヘラ鮒を沢山釣つたあとの沼静かに鉛色の眼に吾れをみる

最後の歌、吾れにヘラ鮒を釣られてしまった沼の恨みと悲しみの入り混じったような沼の眼が見えるようである。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 9(ロシア)

2020-02-23 19:24:54 | 短歌の鑑賞
馬場あき子の外国詠1(2007年10月実施)
   【オーロラ号】『九花』(2003年刊)135頁~
    参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、Y・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:K・I       まとめ:鹿取未放

 ◆この一連は、なにげなく詠まれているようにみえて、歴史について、現代や現代の国の関係に
  ついて深く思いを凝らしている洞察力のある歌々である。2001年7月の「ロシアの帝都と
  黄金の環・吟行の旅九日間」には私も同行したため、一首鑑賞からはみ出して蛇足を加えてい
  る部分が多いが、懐かしさの故と思ってお許しいただきたい。


9 ロマノフ王朝の宝石はざくざくの乱反射青い光赤い光深く野性的

           (まとめ)
 下句の破格の詠い方が魅力である。3句めも「大判小判がざっくざっくざっくざく」などと使い古された感のある擬態語だが本来のイメージ力をもって迫ってくる。それほどふんだんに宝石類が使われ、見飽きるほど展示されてもいたのだった。宝石類は、エルミタージュ美術館でもエカテリーナ宮殿でも見たが、この場面はモスクワ、クレムリンの武器庫のものであろう。
 「ロマノフ王朝」は、1613年、ミハイル・フョードロヴィッチ・ロマノフがツァーリとなった時から1917年ニコライ二世がロシア革命で廃位されるまで300年余り18代続いた王朝。
ワイルドな詠い口が、ロマノフ王朝自体のもっていた野生をそのまま掴んでいるようだ。それゆえに苦しめられた民衆のことはここでは考えなくていいのであろう。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 8(ロシア)

2020-02-22 20:13:06 | 短歌の鑑賞
馬場あき子の外国詠1(2007年10月実施)
   【オーロラ号】『九花』(2003年刊)135頁~
    参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、Y・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:K・I まとめ:鹿取未放

 ◆この一連は、なにげなく詠まれているようにみえて、歴史について、現代や現代の国の関係に
  ついて深く思いを凝らしている洞察力のある歌々である。2001年7月の「ロシアの帝都と
  黄金の環・吟行の旅九日間」には私も同行したため、一首鑑賞からはみ出して蛇足を加えてい
  る部分が多いが、懐かしさの故と思ってお許しいただきたい。


8 繰りかへしゴルビーが好きだといふ時を高揚しをりロシアガイドは

         (まとめ)
 ゴルビーはゴルバチョフ大統領の愛称。1931年生まれ。1985年、ソ連共産党書記長。1986年のチェルノブィリ原発の大事故による社会的政治的危機を打開し、国の停滞を打破しようとペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を推し進めた。マルタ会談で東西の冷戦を終結に導き、アフガンから軍を撤退させた。1990年、ソ連大統領就任。同年、世界平和に貢献したかどでノーベル平和賞受賞。しかし、ゴルバチョフみずから導入した経済改革と共産党組織との乖離によって体制に大きな揺らぎができ、1991年、クーデターによりゴルバチョフは拘束され、その後は連邦の求心力が弱まりソ連は崩壊、ゴルバチョフは退陣した。(この項、ウィキペディア等を参照)
 馬場一行がロシアを訪問したのはそれから10年後の2001年、エリティンも既に去ってプーチンの時代だった。ソ連崩壊後の国はどうであったか、ガイドの言動を通して一国の変遷を詠っている。現ロシアの国情についてはさまざまに取りざたされているが、崩壊後厳しいインフレに見舞われたことは記憶に新しい。しかし、この旅行中われわれにロシアの素顔を見ることは叶わなかった。ある地方都市の市場はわれわれの再三の懇願にもかかわらず見学することを拒否されたし、地方に行く街道沿いの道ばたでは給料不払いで現物支給のタオルやぬいぐるみなどを売っている人々を随分と見かけたりもした。ともあれ、このロシアガイドは現体制に批判的であるのかゴルビーを繰りかえし褒め称えているのであった。O(オー)さんという愛嬌のあるガイドさんで、痩せていたため私は密かに「折れ釘のO(オー)さん」とあだ名していたのだった。ガイドだから当然なのだが日本語が堂に入っていてタイミングをみはからっては日本のことわざを巧みにおりこみ、われわれは拍手喝采したものだった。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠 7(ロシア)

2020-02-21 20:07:45 | 短歌の鑑賞
馬場あき子の外国詠1(2007年10月実施)
   【オーロラ号】『九花』(2003年刊)135頁~
    参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、Y・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:K・I まとめ:鹿取未放

 ◆この一連は、なにげなく詠まれているようにみえて、歴史について、現代や現代の国の関係に
  ついて深く思いを凝らしている洞察力のある歌々である。2001年7月の「ロシアの帝都と
  黄金の環・吟行の旅九日間」には私も同行したため、一首鑑賞からはみ出して蛇足を加えてい
  る部分が多いが、懐かしさの故と思ってお許しいただきたい。



7 神を讃ふるうたの静かな暗い渕に金色(こんじき)こまやかな裸形をりたり

           (まとめ)
 6番歌(金いろの玉葱形の屋根の下聖母眼を伏せてしづけきロシア)と同じ場面であろう。賛美歌が静かに流れている、その暗い渕に金色に描かれた裸形のキリストがいる、というのであろう。
 「暗い渕」は、歌の内容としてのそれでもあり、教会の建物の中の位置関係をあらわすのでもあろう。ロシア正教では像は安置されず壁などにイコンとして描かれるので、賛美歌の歌われている堂の中央に対して、周囲にある薄暗い壁などを指すのだろう。あるいは、凡愚の人智では至るのが難しい教義の深淵であるのかもしれない。金色はその深淵を象徴的にあらわしている色なのかもしれないし、こまやかなのはその造形や彩色の丁寧さをあらわしているのだろう。6番歌の続きを重視すると裸形は聖母マリアに抱かれた幼児のキリストだろうか。それとも、奥深い精神性をたたえた磔刑のキリストだろうか。
 「あり」ではなく「をり」といったところに生きてこころが動いている人格(神格)を感じる。6首目の聖母と同じようにやはり人々を見ているのであろう。七・七・六・九・七と一・三・四句目を字余りにして、流れをわざと滞らせているようだ。(鹿取)


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写真入り 馬場あき子の外国詠 6(ロシア)

2020-02-20 19:55:53 | 短歌の鑑賞
   
              ピンボケだが、バスの窓から撮ったもの

馬場あき子の外国詠1(2007年10月実施)
   【オーロラ号】『九花』(2003年刊)135頁~
    参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、Y・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:K・I まとめ:鹿取未放

 ◆この一連は、なにげなく詠まれているようにみえて、歴史について、現代や現代の国の関係に
  ついて深く思いを凝らしている洞察力のある歌々である。2001年7月の「ロシアの帝都と
  黄金の環・吟行の旅九日間」には私も同行したため、一首鑑賞からはみ出して蛇足を加えてい
  る部分が多いが、懐かしさの故と思ってお許しいただきたい。


6 金いろの玉葱形の屋根の下聖母眼を伏せてしづけきロシア

                            (まとめ) 
 金いろの玉葱形のドームを持つ教会はロシアのいたるところにある。だからこの場を特定する必要もないのであろうが、その厳しく静謐なイメージから、この歌と次の歌【神を讃ふるうたの静かな暗い渕に金色(こんじき)こまやかな裸形をりたり】はヤロスラブリにある聖母女子修道院を詠ったもののように思われる。
 しかし、下の句の「聖母眼を伏せてしづけきロシア」で、作者は何をいいたかったのであろう。なぜ聖母は眼を伏せているのだろうか。宗教が禁じられたソ連時代のことを思っているのだろうか。(ボルシェビキは、一説には全国5万以上の教会を閉鎖あるいは破壊したそうである。)迫害された民衆の苦悩だろうか。現代の利潤追求にあけくれ、宗教が民衆のこころから忘れ去られていくことをであろうか。また、なぜロシアはしづかなのだろうか。戦争がないからか。政争がないからか。一党独裁で民衆のさまざまな考えが抑えられているからか。四句め、「て」を入れなければ7音の定形に収まるところをわざわざ「て」を入れているのはここでたゆたいを出し、立ち止まって読者に何かを考えてほいしからであろう。(鹿取)


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