かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞  271

2021-07-26 19:06:17 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究33(15年12月実施)
   【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)112頁~
    参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、藤本満須子、鹿取未放
     レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放


271 声を張り上げるものこそ中心ぞ日輪へ鳴く葦切の口

     (レポート)
 二句の終わりから三句にかけ叫ぶように「‥ものこそ中心ぞ」と詠っているが、この「声を張り上げるもの」とは何か。強く主張するものの喩か、渾身で唱える者の喩か、はたまた葦叢の葦の枯れ枝にとまり鳴いている一羽の葦切そのものか。鳴いている一羽の葦切の命こそが、この葦叢の中心だと思えたのだろう。決死の覚悟に主張している運動家のすがたにも見える。いずれにせよ一心に生きる命への讃歌ではないだろうか。(真帆)


     (当日意見)
★歌の内容が大きいですよね。歌柄が大きい。(曽我)
★「運動家のすがたにも見える」という鑑賞ですが、私にもそのように見えます。日
 輪というのは政府とか会社の上役とか、そういう人の叫びを葦切の口としてとらえ
 ているんじゃないかと。(M・S)
★どういうところから運動家の姿を連想されるんですかね。(藤本)
★日輪という絶対者のようなものに向かって一生懸命声を上げている、お前が中心だ
 よと言っているようにも見えて。(真帆)
★そうすると何か世俗的な歌になってしまうでしょう。(藤本)
★これは比喩の歌ですか?(曽我)
★比喩ではないと思います。(鹿取)
★「声を張り上げるものこそ中心ぞ」っていう上句が分かりにくかったのですけれど。
「声を張り上げる」のは葦切ですよね。葦切が日輪に向かって一生懸命鳴いて声を
 張り上げている、それこそ生きている世界の中心だ、っていうことですかねえ。
   (藤本)
★「葦切の口」って止め方がどうかなあと思って、そこを教えて欲しいです。(真帆)
★この歌は韻律が面白いですね。初句から2句へかけて句跨りになっていて、ちょっ
 と読みづらいですね。これはわざと韻律を壊しているんでしょうかね。小さなもの
 をうたっているけど、張りがあって強い歌で、私は大好きな歌です。比喩ではなく
 葦切そのものを詠んでいると思います。生殖の為、生きるために一生懸命声を張り
 上げている、それも小さな葦切が日輪に向かって声を張り上げている。声を張り上
 げているお前が中心なんだぞって、葦切の応援歌みたいになってる。そして小さな
 鳥の小さな口に歌を収斂させている。体言止めがうまく活かされていると思います。
 真帆さんが最後に書いているように、命の讃歌だと思います。(鹿取)

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渡辺松男の一首鑑賞  270

2021-07-25 19:33:29 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究33(15年12月実施)
   【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)112頁~
    参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、藤本満須子、鹿取未放
    レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放


270 臍に底のあることなんとなくおかし夕光のさすわが臍の底  

        (レポート)
【解釈】夕日のひかりが作者の臍へ射し、臍の底面を晒している。臍に底のあることが今つくづくもおかしく感じられてきたよ。
【鑑賞】前269番歌(大洋にはてなきこともアンニュイで抹香鯨射精せよ)のうたは果てのない海がモチーフだったが、今度は底のある臍だ。臍もこのように短歌になるのかと驚いてしまう。臍に底のあることはそんなにおかしいだろうか。逆なら、と思ってみる。もし臍が底なしだったらそれは怖い。体の中心地なのに、なんの謎もなく、あっけらかんと平和な正体をさらしている臍の底。そう思うと確かに「なんとなくおかし」の気分が伝わる。うらさびしい夕べの光がさしている臍の底の景は、リアルなようで幻想のようで、ふしぎな奥行きと寂しさを帯びている。(真帆)


      (当日意見)
★臍の底って実際にどこのことですか?(藤本)
★臍の穴の底です。(真帆)
★そういう言いまわしはないだろうけど、作者がそう言ってるんでしょう。穴ではなく塞
 がっているから。(鹿取)
★ネットで調べたら、臍の底ってたくさん出てきましたよ。(真帆)
★母体と繋がるわけだから、どこなんだろうと。(藤本)
★ええ、臍の緒切ったら、あとは何の役にも立たないものよね。そこがこっけいなんでし
 ょう。「夕光のさす」だからお腹出して眺めている図ですよね。そこもかなしくて
 おかしい。(鹿取)
★面白い歌を作る方ですねえ。(曽我)
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渡辺松男の一首鑑賞  269

2021-07-24 18:44:40 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究33(15年12月実施)
   【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)112頁~
    参加者:泉真帆、M・S、曽我亮子、藤本満須子、鹿取未放
    レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放


269 大洋にはてなきこともアンニュイで抹香鯨射精せよ
        
        (レポート)
・「抹香鯨(マッコウクジラ)」はハクジラ亜目マッコウクジラ科の哺乳類。熱帯〜寒帯の外洋に生息するハクジラ(歯鯨)の最大種。成長停止時の平均体長は雌で十一メートル、雄で十六メートであるが、まれにそれぞれ十三〜十八メートルを超える個体もある。(略)繁殖はほぼ一年中行うが、出産は秋に多い。(世界大百科事典一九八八年平凡社刊より)
 大洋が限りもなく広がっていることを思えばアンニュイな気分になってくる、だからさあマッコウクジラよ大海に射精せよ、という歌か。
【鑑賞】眼前に青々とひろがる大海原も、この地球の球体を泳いでゆけばエンドレスだ。おわりのなさを思うとダルい。やりばのない倦怠感には射精するほかない気分だ。そんな諦めや、やるせなさ、おかしみが一首にはあるように思う。「アンニュイ」の語のたゆたうようなニュアンスから一転、大きな抹香鯨を登場させ、本能の解放を求める。鯨にことよせた巧みなうただと思う。品のあるやわらかな文体がいっそう寂しさを濃くする。二句目「はてなきことも」の助詞「も」は、「もまた」と取ってよいのか。アンニュイのただなかにいる作者を詠んだ一首とおもう。(真帆)


        (当日発言)
★抹香鯨というのは香料がいいんですよね。だからアンニュイな気分を吹き飛ばした
 くて抹香鯨を入れたのかなと思いました。(曽我)
★「いっそう寂しさを濃くする」と鑑賞されていますが、下句の言い方が割と強く感
 じるので、寂しさとかは私には伝わってこない。大海原に負けないくらいに射精せ
 よと抹香鯨に対する強い呼びかけのような気がする。(藤本)
★自分をここでは抹香鯨に投影しているんだろうな、やっぱり寂しいんだろうな、ア
 ンニュイなんだろうなと思います。前にも書いたので引いて来なかったけど、松男
 さんの昔の評論に、大きな図体のものが悩んでいるから詩になるので、もしダニが
 悩んでいたら人は笑うだろうとあって、大笑いしました。「射精せよ」は確かに強
 い呼びかけで、発散の一つの方法でしょうけれど、たとえ射精しても寂しさやアン
 ニュイは消えないでしょうね。生を繋いでいく行為、生きていくこと自体が結局は
 淋しい、存在そのものが淋しいですから。その現れの一つが大海に果てが無いとい
 う形、だから助詞「も」が使われているのかな。(鹿取)


         (後日意見)
 渡辺松男の評論について、鹿取の発言はうろ覚えで、図体とか詩とかは本人は言っていないので以下、正確に引用する。「かりん」1997年2月号に載った評論「日常宇宙」から。(鹿取)
  鯨のようにスケールの大きいものが、言葉なくその存在に耐えながら泳ぐからその
  淋しさもいいのであって、百姓の祖父の場合はかっこよくもなんともなかった。淋し
  いなどとは言えないし、言おうものならぶったおされた。もっと小さければどうだろ
  う。そもそも感情移入などしきれない。ダニが耐えていたら人は笑うだろう。
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渡辺松男の一首鑑賞  268

2021-07-23 18:25:51 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究32(15年10月実施)
    【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)110頁~
    参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:鈴木 良明   司会と記録:鹿取 未放
       

268 法師蟬づくづくと気が遠くなり いやだわ 天の深みへ落ちる

       (レポート)
 オスの法師蟬は、夏の終わりから秋にかけて鳴くが、鳴き方に特徴があって、「ツクツクボーシ」や「オオシイツクツク」などと聞える。メスはその愛の告白「~ツクツク」を繰返し聞いていると「づくづくと気が遠くなり」「いやだわ」秋の「天の深みへ落ちる」ような気がしてくるのである。(鈴木)


     (当日意見)
★「いやだわ」なんって女言葉を使って、変わっているね。(曽我)
★女性になって詠うのが渡辺さんの歌にはたくさんあるけど、それほど深く意味を考えな
 くていいと思います。(藤本)
★天へ落ちるというのが渡辺さんらしい。天なら普通は登るなんだけど。落ちるだから歌
 の深みを増していると思うけど。一字空きで艶っぽい場面を入れていらっしゃるのかな
 と思います。レポーターの雌だという解釈が面白いと思います。(石井)
★天の深みに落ちるのが艶っぽい感じです。「いやだわ」なんっていうのも。法師蟬とい
 うのが「づくづく」を出すための前提として使われています。(M・S)
★なんとなく気持ちがうずくというのが作者が女性になっているから。(藤本)
★私は一匹の蟬が鳴いていて、季節の終わりでもう弱ってきている。それで鳴きながら
 気が遠くなって落ちていく。雄なんだけどこういう女言葉で詠っていると読んでいまし
 た。鈴木さんの解釈だと鳴いている雄は背景において、一首全体の主体は雌で求愛の鳴
 き声を聞いているってことですよね。みなさん蟬の鳴き声から鑑賞が始まっているけ
 ど、考えたらどこにも鳴くとかは書いてないですね。私自身も「づくづく」に引っ張ら
 れて鳴いているとばかり思いこんでいましたが。
  天なのに落ちるというのは渡辺さんの歌にはたくさんあります。裏側にというのもあ
 ります。彼の思考の特徴だと思います。これまでに天に落ちるについては何度か例歌を
 引いたりしたので、ここではもう触れません。この歌のもう一つの特徴は女性言葉です
 ね。もう4年ほど前ですが、東京歌会の勉強会で渡辺松男の歌のレポーターをやったの
 ですが、その時に女性性、女言葉の問題に少し触れました。渡辺さんの歌の女性言葉に
 ついては何本もの評論が書ける重要な事項だと思うのですが、私の知る範囲では未だ渡
 辺松男の女性言葉に絞った評論というのを見たことがないです。(坂井修一さんや川野
 里子さんの評論で、女性言葉を部分的に論じていらっしゃるものはあります。)私自身
 も興味深い視点だと思いながら、まだそれに絞った勉強はしていないです。追求してみ
 る価値は充分にあると思いますが。
  たとえば、女性言葉の例として第3歌集の『歩く仏像』に「きもちのよいことでしょ
 うか 死 いやですわ たくさんの蝶が舞うんですって」などがあります。これは性愛
 の中の死という読み方もできますが、今まで見てきたところでは不安感とか恐怖感、特
 に死など危機に直面した場面で女性言葉(あるいは幼児言葉)が多く使われているよう
 です。そうすると歌としては危機感は表に出ないで、柔らかでユーモラスな感じに仕上
 がる。読む方が気持ち悪いという人もいますが。(鹿取)
★渡辺さんの中にある女性性とか男性性とかあって、場面に応じて使っている。パンを産
 みたいという歌があったけど、男の中にもそういう女性性はある。この歌も「いやだわ」
 って何かわざとらしい気がした。セミは鳴くのは雄だけだから鳴いている方は気が遠く
 なんかなっていられない。聞いている雌の方が気が遠くなっていくととった方が作者の
 意図に合っているのじゃないか。(鈴木)
★優れた詩人はみな両性具有ですね。(鹿取)
★さっきのパンの歌は「夢にわれ妊娠をしてパンなればふっくらとしたパンの子を産む」
 です。(真帆) 
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渡辺松男の一首鑑賞  267

2021-07-22 19:34:56 | 短歌の鑑賞
 渡辺松男研究32(15年10月実施)
    【全力蛇行】『寒気氾濫』(1997年)110頁~
    参加者:石井彩子、泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、N・F、
        藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:鈴木 良明   司会と記録:鹿取 未放
       

267 独酌にわが酔うころやぽつねんと富士山は口開けておるらん

      (レポート)
 「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」と同じように、われの行為と外部の景を脈絡もなく結び付けている。富士山は想像上の景なのだが、独酌に酔っているわれと、ぽつねんと火口を開けている富士山は呼応して、実景のように重なって見える。(鈴木)


      (当日意見)
★脈絡が無いのではなく繋がっていて、関東ローム層に富士山の噴火の跡がある。口開け
 ているところでは虚空に繋がるようなところもある。行為と外部には繋がりはないかも
 しれないけど、一連の流れではまとめるような歌かなと思います。(真帆)
★「柿食へば鐘がなるなり法隆寺」と同じような歌の作り方で、内容的に脈絡がないとは
 言っていないです。(鈴木)
★今までの歌と少し違って俳諧のような洒脱味を感じます。展開している。口開けている
 のは悪い予兆のようにも思える。昔は休火山って言われていましたが。(石井)
★でも、富士山は何度も噴火もしていますよね。西行なんかも富士山の煙を詠っているし。
   (鹿取)
★噴火と関係なく富士山は口開けています。(慧子)
★でも、「わが酔うころや」という条件が付いているから。(鹿取)
★この「や」は詠嘆じゃないですか?下の句とは関係がない。(慧子)
★意味のないものを持ってこないでしょう。(石井)
★富士山も口を開けて酒を飲みたそうにしている。(曽我)
★独酌だから、お猪口のような富士山を思い浮かべているのかなあ。(真帆)
★ふるさとの山ではなく富士山だから、あまりにも通俗的ですよね。日本の象徴の富士山
 をウイットで捉えているのでしょうか。(石井)

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