清見糺鑑賞20 鎌倉なぎさの会 鹿取未放
127 吉野山いずこ春昼もぐもぐと老人パスで乗りこんでくる
「かりん」98年6月号
春のひなか、バスであろうか、老人が特有のくちもとをもぐもぐさせるしぐさで、老人用の無料パスを使って乗り込んでくる。せっかちな作者はいらいらとそののろい動作をみている。花ざかりの雅びな吉野山はいったいどこの世界のことであろうか。
「吉野山いずこ」ということばは作者も愛読していた丸谷才一の『新々百人一首』に解説がある。丸谷は、室町時代の歌僧・正徹(しょうてつ)の歌論書『正徹物語』にある言葉を引用して次のように言っている。
人が「吉野山はいづれの国ぞ」と訪ね侍らば、「只花にはよしのの山、
もみぢには立田を読むことと思ひ付きて、読み侍る計りにて、伊勢の国や
らん、日向の国やらんしらず」とこたへ侍るべき也。(「読み」はママ)
歌枕は現実の地図にはなく、王朝貴族の心のなか、それとも彼らの文学的伝統
にまつわりついて存在するものだったから……中略……「伊勢の国やらん、日向
の国やらんしらず」と答えるのがいいといふ正徹の覚悟は、ここから生じる。
(引用文中の中略は鹿取)
この正徹の言葉は、歌枕というのは現世に実在する地名とはかかわりのない文学上の理念にすぎないということを説いているのだろう。この正徹の言葉を念頭において再度掲出歌を読み直してみると、歌はさらに複雑な意味合いを持つことが分かる。桜の咲きみちる吉野山の雅びは現実世界からはほど遠いものだ。作者が感じていたのはそういう失望の気分だろうか。もちろん吉野山という土地はある。だが、目の前の老人が象徴するように、そこはひたすら俗にまみれていて、吉野山のイデアのようなものは存在しないのだ。
ところで、実はこの歌は高野公彦の次の歌の本歌取りである。
吉野山はいづこ 春昼踏みわたる横断歩道の白き吊橋
『水行』(1991年刊)
高野の本歌と掲出歌は仮名遣いは違うが「春昼」までが同じであり、自分なら吉野山の歌枕をこう詠むよ、という高野への挑戦だったのだろう。高野の歌の意味は、仕事に忙殺された都会人がせかせかと雑踏の横断歩道を渡っている、雅びな吉野山のお花見など夢のかなたであるというのだろう。横断歩道と吉野山を断絶させないために、山に架かる吊り橋のアナロジーとして横断歩道を出したところが巧みである。
また、岡井隆の『臓器(オルガン)』に載る〈さくら見し昼シルバー・パスをかかげつつ濡れたる駅をすり抜けてゆく〉の歌が作者の発想に影響を与えているようだ。ちなみに、『臓器(オルガン)』は2000年刊行で、作者がかりんにこの歌を載せたのは98年、岡井の歌集との間に2年のタイムラグがあるが、先にどこかの雑誌に掲載された岡井の歌を作者は見たのではあるまいか。
(追記)2020年5月
作者がこの歌を作るはるか前、「かりん」に「吉野山はいずこ」という評論を書いていることに気がついた。そのなかで高野の右に挙げたうたを論じているので、その一部を紹介しておく。(鹿取)
古代の人人の大自然に溶けこんだおおらかなくらしのイメージが漂っている。 せかせかと、人がミズスマシよりももっとせつなく動きまわらせられている現 代への作者の異議申し立てとしてこの吊り橋のイメージは穏やかに作用する。
清見 糺「吉野山はいずこ」(「かりん」1992年6月号)
127 吉野山いずこ春昼もぐもぐと老人パスで乗りこんでくる
「かりん」98年6月号
春のひなか、バスであろうか、老人が特有のくちもとをもぐもぐさせるしぐさで、老人用の無料パスを使って乗り込んでくる。せっかちな作者はいらいらとそののろい動作をみている。花ざかりの雅びな吉野山はいったいどこの世界のことであろうか。
「吉野山いずこ」ということばは作者も愛読していた丸谷才一の『新々百人一首』に解説がある。丸谷は、室町時代の歌僧・正徹(しょうてつ)の歌論書『正徹物語』にある言葉を引用して次のように言っている。
人が「吉野山はいづれの国ぞ」と訪ね侍らば、「只花にはよしのの山、
もみぢには立田を読むことと思ひ付きて、読み侍る計りにて、伊勢の国や
らん、日向の国やらんしらず」とこたへ侍るべき也。(「読み」はママ)
歌枕は現実の地図にはなく、王朝貴族の心のなか、それとも彼らの文学的伝統
にまつわりついて存在するものだったから……中略……「伊勢の国やらん、日向
の国やらんしらず」と答えるのがいいといふ正徹の覚悟は、ここから生じる。
(引用文中の中略は鹿取)
この正徹の言葉は、歌枕というのは現世に実在する地名とはかかわりのない文学上の理念にすぎないということを説いているのだろう。この正徹の言葉を念頭において再度掲出歌を読み直してみると、歌はさらに複雑な意味合いを持つことが分かる。桜の咲きみちる吉野山の雅びは現実世界からはほど遠いものだ。作者が感じていたのはそういう失望の気分だろうか。もちろん吉野山という土地はある。だが、目の前の老人が象徴するように、そこはひたすら俗にまみれていて、吉野山のイデアのようなものは存在しないのだ。
ところで、実はこの歌は高野公彦の次の歌の本歌取りである。
吉野山はいづこ 春昼踏みわたる横断歩道の白き吊橋
『水行』(1991年刊)
高野の本歌と掲出歌は仮名遣いは違うが「春昼」までが同じであり、自分なら吉野山の歌枕をこう詠むよ、という高野への挑戦だったのだろう。高野の歌の意味は、仕事に忙殺された都会人がせかせかと雑踏の横断歩道を渡っている、雅びな吉野山のお花見など夢のかなたであるというのだろう。横断歩道と吉野山を断絶させないために、山に架かる吊り橋のアナロジーとして横断歩道を出したところが巧みである。
また、岡井隆の『臓器(オルガン)』に載る〈さくら見し昼シルバー・パスをかかげつつ濡れたる駅をすり抜けてゆく〉の歌が作者の発想に影響を与えているようだ。ちなみに、『臓器(オルガン)』は2000年刊行で、作者がかりんにこの歌を載せたのは98年、岡井の歌集との間に2年のタイムラグがあるが、先にどこかの雑誌に掲載された岡井の歌を作者は見たのではあるまいか。
(追記)2020年5月
作者がこの歌を作るはるか前、「かりん」に「吉野山はいずこ」という評論を書いていることに気がついた。そのなかで高野の右に挙げたうたを論じているので、その一部を紹介しておく。(鹿取)
古代の人人の大自然に溶けこんだおおらかなくらしのイメージが漂っている。 せかせかと、人がミズスマシよりももっとせつなく動きまわらせられている現 代への作者の異議申し立てとしてこの吊り橋のイメージは穏やかに作用する。
清見 糺「吉野山はいずこ」(「かりん」1992年6月号)