かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男『泡宇宙の蛙』一首鑑賞 91

2022-06-24 11:06:56 | 短歌の鑑賞
  2022年度版 渡辺松男研究2の13(2018年7月実施)
    【すこし哲学】『泡宇宙の蛙』(1999年)P65~
     参加者:K・O、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放


91 さらさらと数学好きな配偶者さかなの骨をきれいにのこす

       (当日意見)
★「さらさらと」が全てに掛かっているような気がする。妻と言わずに配偶者といっていま
 すが、この「さらさらと」で性格からありよう、生き方まで表している。(A・K)
★平明な言葉で歌われていますが深いですね。数学と哲学って似ていることころがあります
 ね。渡辺さんの歌って全てが原始の生命に繋がっているように思うのですが、この魚も人
 間がずっと昔には魚だったかもしれない、その骨をきれいに残す配偶者は何か精神のきれ
 いさとかにも繋がっているようだ。妻というとどうしても従属的な感じが出てくるのです
 が、配偶者と言っても愛は感じられます。韻を踏んでいて、かろやかで魚の骨にも繋がる
 し、時間、歴史、全ての思想が一首に統合されている。どこで切るのかな、切れないです
 よね。(K・O)
★松男さんに魚の歌はけっこうたくさんありますね。「女の子は鮠」とか。ところで、
 「妻」とい う語が出てくる歌は第一歌集にも一首くらいしかありませんでした。現実の
 妻とどこで知り合っ てどういう人か、哲学をやったのか数学をやったのか、専業主婦だ
 ったのか、働いていたのか全 く知らないです。知る必要もないと思っていたし。これま
 でもいわゆる人間関係としての妻の歌 は無かったと思います。この歌もリアルな妻をう
 たおうとしているのではないですね。しかし「さ らさらと」という初句のオノマトペ
 で、「配偶者」と設定された人のひととなりから全てを表していますね。(鹿取)
★この配偶者は「虚」として出している。妻という関係性の中の歌とは読みが全く違ってき
 ますね。現実を一つの手段とはしているけれど、夫婦としての関係性の中の妻ではなくて
 個としてみている。私という個があって配偶者という個があって、そしてその個が魚の骨
 をきれいに残す。(A・K)
★前回のミトコンドリア・イブのおばあちゃんだと、畦に坐って紅梅より遠くを見ていると
 かってありましたが、あれはそういう設定をしているだけで、別に目の前におばあちゃん
 がいるわけではないですよね。ここは、目の前に妻はいるかもしれないけど、別に妻その
 人を写そうとしてい る訳ではないと。どこまでが設定か分かりませんが。(鹿取)
★これ、数学好きの妻とか女房って詠んだら全然つまらない歌ですよね。配偶者っていうと
 ころに、DNAレベルで、人類が存在しなかった時代の感触が出てくる。作者の中ではそ
 れが矛盾無くあるんだろうと思います。「少し哲学」というのも見過ごしそうだけど、深
 い哲学と純粋数学は響きあうところがある。それをさらさらっとしたリズムで詠んでい
 る。混み合った感じで詠んでいなくて、何か幸福感のようなものがあって、未来の希望
 が見えてくるような気がします。
   (K・O)
★この人はいつでもダイレクトにそういう命の根源に繋がっているのですね。余談ですが、
 松男さんは高校時代「数学の渡辺」って呼ばれていたほど数学が得意だったそうです。も
 ともと数学の 美しさに惹かれている人なんですね。数学好きと魚の骨の透けた感じって
 繋がっているような気がしてきます。(鹿取)
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馬場あき子の外国詠 53 中欧 389

2022-06-23 10:08:02 | 短歌の鑑賞
  22年度 馬場あき子の外国詠53(2012年6月実施)
       【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)P105~
      参加者:N・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:藤本満須子(急遽代理のため書面のみの参加)
      司会と記録:鹿取 未放


389 放牧のかほ白き牛観光のわれをあやしみ長く鳴きたり

      (レポート)
 放牧されている牛が観光客のわたしを見てまるであやしい人間だというように、鳴き声を長くのばし鳴いていることだ。雨のプラハ、雨のヴルタヴァ、カレル橋、スメタナのプラハ、虹の立つプラハとうたい、その終わりに放牧の牛をうたい、ゆっくりと時間がながれ、のどかでユーモアさえ感じさせる歌。緊張感から解きほぐされ少し明るい気分にさせてくれる。スメタナの祖国から次はオーストリア、ウイーンへ、ホフマンスタール、Rシュトラウス、エレクトラ……と混乱の時代へと移ってゆく。『世紀』〈中欧を行く〉のクライマックスに入ってゆく。楽しみだ。(藤本)


     (当日発言)
★ガリバー旅行記の馬の国のことを思い出した。馬より人間の方が下がった地位にある深淵
 な小説だ。(崎尾)
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馬場あき子の外国詠 53 中欧 388

2022-06-22 09:27:11 | 短歌の鑑賞
  22年度 馬場あき子の外国詠53(2012年6月実施)
     【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)P105~
       参加者:N・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:藤本満須子(急遽代理のため書面のみの参加)
     司会と記録:鹿取 未放


388 はるか見るチェコ原子力発電所稼働拒まれしままに立ちゐつ

      (レポート)
 列車かバスか移動しているのだろう。窓から見えるはるか遠くには原子力発電所が建っているが、その発電所は稼働を拒否されている。建ってはいるがずっと立っているだけだ。1999年頃の旅行の時、作者はこのような視点で原子力発電所に目をやった。尚、2002年にはついに稼働を開始したと聞く。(藤本)


     (当日発言)
★高野公彦さんも原子力発電所を詠んでいた。何を孕んでいるか分からない原発に文殊とか
 普賢とか最高の智恵の名前を付けているという歌。何年頃の歌かは知らないが。(慧子)
★ドイツなどは自分のところでは作らないで、よその国から原子力の電気を買っている。
  (曽我)
★バスか列車の中から見えたのをガイドが指さして、稼働はしていない云々と概略の説明が
 あったのではないか。チェルノブイリ原発事故は1986年。この旅は1999年、随分
 時間は経過しているが、その事故の記憶がチェコの反対運動に拍車をかけていたのだろ
 う。作者が原発に注 目して詠ったのも、チェルノブイリ事故あってのことだろう。チェ
 コ原発については調べてきた ので概略を説明します。ここに詠まれているのはテメリン
 原子力発電所です。
【1987年に建設を開始したが、抗議活動が続き、幾度も建設は中断した。1999年建
 設支持は47パーセントまで落ちていたが、同年5月、政府による建設継続の最終決定に
 基づき建設続行、2002年に1号炉の営業運転を開始。2003年には2号炉の運転開
 始。現在はテメリン2基に加えドコバニに4基の原発が稼働しており、原発によりロシア
 への依存が減り、電力輸出国としての地位を築き上げた。2011年の日本の原発事故後
 も原発促進を固持する国の一つとなっている。隣国オーストリアやドイツなどの反対は根
 強いが、国内での反対はあまり表面化していないようだ。】(Wikipediaなど数種のネッ
 ト情報より)(鹿取)


      (後日意見)
 作者の旅行は1999年秋なので、上記情報によるとまだ原発は完成していない。ただ反対運動は続いていたのかもしれない。それが完成はしていないが「稼働拒まれしままに立ちゐつ」と詠った所以だろう。3・11後の今読むとどきりとする。作者がこの歌を詠んだ折、チェルノブイリ原発事故のことが強く意識にのぼっていただろう。そして日本の原発についても漠然とした不安を感じていたのだろう。当日意見にある高野公彦の歌とは「近江なる観音を見て若狭なる<もんじゅ><ふげん>を見ず帰る旅」(『地中銀河』1994年刊)のことだろうか。 (鹿取)

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馬場あき子の外国詠 53 中欧 387

2022-06-21 13:18:20 | 短歌の鑑賞
  22年度 馬場あき子の外国詠53(2012年6月実施)
     【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)P105~
      参加者:N・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:藤本満須子(急遽代理のため書面のみの参加)
      司会と記録:鹿取 未放


387 スメタナの記念館の椅子翳ふかくヴルタヴァに雨そそぐ昼なり

        (レポート)
 382番歌(ヴルタヴァの朝雨に立つ虹見ればかなしきかなやスメタナの祖国)ではここスメタナの祖国であるよとうたう。雨のプラハ、雨のヴルタヴァ、時間は昼であるが、スメタナ記念館の椅子はかげを深くおとしている。スメタナ記念館はカレル橋の旧市街側のたもとにあり、ヴルタヴァ川がすぐ脇を流れている。スメタナは1863年から1869年までここに住んでいた。〈売られた花嫁〉〈ダリボル〉をここで作曲した。作者のスメタナへの思いが深く表れている歌。(藤本)


      (当日発言)
★雨が降っているゆえの翳が作者の心情に影響していて、印象深い。(N・I)
★私が行った時は川に記念館の影が映って、川が暗く見えた。(曽我)

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馬場あき子の外国詠 53 中欧 386

2022-06-20 16:48:14 | 短歌の鑑賞
  22年度 馬場あき子の外国詠53(2012年6月実施)
      【中欧を行く 虹】『世紀』(2001年刊)P105~
       参加者:N・I、崎尾廣子、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
      レポーター:藤本満須子(急遽代理のため書面のみの参加)
     司会と記録:鹿取 未放


386 雨けむるカレル橋の彼方プラハ城大統領執務中の旗ありき窓

      (レポート)
 384(旅人に見えざる歴史の時間あれどカレル橋雨のヴルタヴァを見す)ではカレル橋から下を流れるヴルタヴァを見下ろしてうたったが、ここではカレル橋から上を見上げてプラハ城の姿を見ている。雨にけむるカレル橋の向こうには大統領の執務中という旗がある窓がもやっとしている中に見えている。執務中の大統領の姿まで何と生き生きと浮かび上がってくるようだ。(藤本)
  カレル橋:ヴルタヴァ川にかかる最古の橋。1357年カレル4世着工、60年かけ
       て完成。ゴシック様式、520メートル、幅10メートル、聖像が両側に
       並ぶが、彫刻はバロック様式。


      (当日意見)
★プラハ城はかなり遠くなんだけれど。(曽我)
★この旗は今この部屋で執務しているよという意味ではなく、大統領は国内にいるよという
 意味で立ててあるそうです。(鹿取)


     (追記)(2013年11月)
 プラハ城は雨に煙っているくらいだから、大統領執務中の旗などカレル橋の手前から見えるわけがない。この一連の一首目は雨のプラハの街を去ってゆく歌だから、昨日だか一昨日だか、少なくともこの旅の間に作者は城を見学してこの旗を見たのだろう。鮮やかに懐かしげに翻っていた旗を思い出しているのだ。今は雨降りであるし、遠いのでその旗は見えない。だから「旗ありき」と過去の助動詞「き」を使って思い出している。間近に見た昨日は(あるいは一昨日は)大統領執務中の旗が鮮やかに靡いていたなあ、という気分。(鹿取)


    (追記2)(2018年1月)
 プラハ城は9世紀後半に建てられた。以後この城には明暗さまざまな歴史が刻み込まれた。それは概ね外国に侵略され、支配を受け、また自由が弾圧された暗い歴史である。
 近い所では、第一次世界大戦後の1918年にハプスブルク家が崩壊、400年間の支配から解放されてチェコスロヴァキア共和国が成立した。1920年には、長く外国にあって独立運動を続けていたマサリクが初代チェコスロバキア大統領に選ばれ、民衆に歓迎されながらプラハ城の大統領府に入った。マサリクはそこで演説を行い、「真実は勝つ」という旗をプラハ城に掲げ、偏狭な民族主義を諫めた。
 しかし、1939年にはヒトラーによってまたプラハは占拠され、プラハ城ではヒトラーがマサリクと同じ演壇に立って演説を行った。1945年までナチスの支配が続いた。
 第二次大戦後は、社会主義国チェコスロヴァキアの首都となったが、その後も平坦な道ではなかった。1968年にはプラハの春と呼ばれる改革運動が起こるが、ソビエト軍が侵攻し、プラハの春は潰された。その後は共産主義政権になり、改革派は弾圧された。民衆に自由はなく、全ての映画が検閲されたという。しかし、1989年、ベルリンの壁が崩壊し、ビロード革命により共産党政権は崩壊、革命の立役者だったハヴェルが最後のチェコスロヴァキア大統領となり民主化を行った。1993年にはチェコとスロヴァキアが分離し、ハヴェルがチェコの初代大統領となり、プラハはチェコの首都となった。
 馬場あき子一行がプラハを訪れたのはその6年後の1999年秋である。ちなみに馬場の旅より10年後の2009年、オバマ大統領が核なき世界を唱えた「プラハ演説」がプラハ場外のフラチャニ広場で行われた。
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