かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 414 中欧⑧

2024-01-21 11:31:51 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子の外国詠57(2012年10月実施)
    【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、
         藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子 司会と記録:鹿取 未放

 
414 羊のやうに群れて歩める小さき影カラードにして金持われら

     (レポート抄)
 人種はコーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄色人)、ニグロイド(黒人)に大別されている。旅の同行者達がガイドの後についてひとかたまりとなって歩いている姿が目に浮かぶ。(崎尾)


      (当日発言抄)
★この作者は、旅の都度、小柄、カラードの歌をよく作っていますね。(鹿取)
★大聖堂の高さ、壮大さと比べて、その下を歩む人間の小ささを表している。迷わない
 ようにくっついて歩いている。「金持われら」は金持ちである自分たちを皮肉って歌
 っている。自虐的に。(藤本)
★ずいぶんと卑下した歌だが、それは矜持の裏返し。(曽我)
★下の句は考えようによっては重い。人種のこととか金持ちとか重いテーマを軽く詠ん
 でいる。影、カラード、金持ちとカ音で繋いでいるのが面白い。軽いリズム感が出て
 いる。(鈴木)
★黄色人種は実際にカラードとして差別されている訳で、それはやはり重いこと。また
 チェコという貧しい国から見たら、個々人の違いを超えて外国旅行に来ている日本人
 はみんな金持ち。重いことがらを鈴木さんがおっしゃったように軽くいなして歌って
 いる。アフリカへ行った時もカラード、金持ちについては歌っていて、後ろめたさな
 ど複雑な思いを抱えている。建物の外か中かの解釈はいろいろ出たが、聖堂を出て、
 聖堂に沿って歩いている場面というのが私の感じ。中にいたら影とは歌わないと思
 う。西洋人に比べて背が低いので「小さき影」になる。羊のように調教されておとな
 しく歩いている日本人。そういう自分たちの影を見ながら複雑な苦さを噛みしめてい
 る。その苦さをカラードというような語ではね返しているような感じ。(鹿取)


      (後日意見)(2020年5月)
 日本人が小柄であることについて、馬場はこんなふうに歌っている。1首目はスペイン旅行、2、3首目はアフリカ旅行に取材した歌である。(鹿取)

  ジパングは感傷深き小さき人マドリッドにアカシアの花浴びてをり
   群れて行く日本人の小ささをアフリカの夕日が静かにあやす
   モロッコのスークにモモタローと呼ばれたり吾等小さき品種の女
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馬場あき子の外国詠 413 中欧⑧

2024-01-20 10:05:45 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子の外国詠57(2012年10月実施)
    【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、
         藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子 司会と記録:鹿取 未放

 
413 幽閉されたき窓一つあり何の木か黄葉をきはめ実を結びをり

      (レポート抄)
 目線を少しあげたところに見える小さな窓なのであろう。日常のわずらわしさから解放され孤になりたいと思っているであろう作者の心のうちが涼しげに伝わってくる。O-Henryの「最後の一葉」を連想する窓の存在。(崎尾)


      (当日発言抄)
★オーヘンリーの「最後の一葉」ってどんな小説ですか?(鹿取)
★女の子が窓から木を見ていて、あの木に葉っぱが付いている間は私の命もあると思っ
 ている、そんなお話ですよね。(慧子)
★その最後の葉っぱが落ちて、画家が少女のために葉っぱを描いてやる。画家は死ぬけ
 ど、少女は絵を見て元気を取り戻すという短編。(崎尾)
★この窓を作者はどこから見ているんだろう?(鈴木)
★外の道から見ていると思ったけど。目線を少しあげたところに木がある。(崎尾)
★「実を結びをり」のところは窓の内側から見ている感じがする。(鈴木)
★写実で言うと、窓に枝一本が掛かっているとでも歌ってくれたらイメージしやすいの
 に。(慧子)
★ここは大聖堂の内側から小さな窓を見て歌っているのではないか。その外に実のなっ
 た枝がある。外からでは下の句が活きてこない。(藤本)
★「幽閉されたき窓」だから、この窓は低いところにはないだろう。作者は外にいて、
 高い所に窓のある塔か何かを眺めている。木の葉も実も下からずっと続いていて、
 実がなっているのも分か るのかもしれない。(鹿取)
★下から続いていたら何の木かは分かるのでは。(鈴木)
★異国の木で名前を知らないということも考えられますね。次の歌(羊のやうに群れて
 歩める小さき影カラードにして金持われら)は外に出ています。事実は分からない
 が、中にいたら窓一つとは言わないのじゃないか。外から眺めて、幽閉されたいよ
 うな感じを持った。(鹿取)
★「幽閉されたき」という言葉が大事。(鈴木)
★しかし幽閉されたいとは不思議な感覚ですよね。普通は脱出したいとは思っても、あ
 まり幽閉されたいとは思わないだろうけど。(鹿取)
★舞台のような感覚なんじゃないですか。(曽我)


         (後日意見)
 この歌はオー・ヘンリーの「最後の一葉」との関わりは薄いようだ。葉は黄葉し、実さえ結んでいるのだから。しかし、オー・ヘンリーは横領のかどで服役していたことがあるそうなので、「幽閉」とは関わって面白い。もっとも彼は模範囚で、外出許可さえ出ていたそうだ。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 412 中欧⑧

2024-01-19 14:57:47 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子の外国詠57(2012年10月実施)
    【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、
         藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子 司会と記録:鹿取 未放

 
412 彫像に見られゐるわれは小さなる一瞬に過ぎず無視して通る

      (当日発言)
★彫像は半永久的である。露わではないが人間とのかすかな対比。(慧子)
★共感しないから無視して通るのでもないし、共感もしていますね。(鹿取)
★彫像がどこのものか特定されていないのはまあいいとして、歌のつくりがおおざっぱ
 な気がする。「小さなる一瞬」というのはどこに掛かるのだろうか。(藤本)
★「小さなる一瞬」が掛かる部分はないが、自分が通り過ぎる時間のことを言っている
 のでしょう。彫像を無視して自分が通る、その一瞬。(鹿取)
★自分の存在自体の小ささと、観光が一瞬に過ぎ去っていくことを言っている。
  (鈴木)
★作者の歌の特徴で、命のないもの、人間ではないものが自分を見ているというのがあ
 るが、これもその一つ。ほかの人でも彫像が自分を見ているとうたうことがあるかも
 しれないが、作者は「無視して通る」と自意識をたてているところが面白い。私は一
 瞬の観光者にすぎず、だから彫像と対峙することもないから無視して通っていくだけ
 だと。(鹿取)
★雑な歌い方のようにみえるが、両方を振り切っていて面白い。彫像の視線と、そこを
 通るときに作者によぎった自分は小さな一瞬の存在だという思いと、両方を振り切っ
 ている。(鈴木)
          
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馬場あき子の外国詠 411 中欧⑧

2024-01-18 12:24:34 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子の外国詠57(2012年10月実施)
    【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、
         藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子 司会と記録:鹿取 未放

 
411 天井までキリストをめぐる細密画隙なしこれほどの圧倒もある

      (当日発言)
★この細密画はどこにあるのでしょうか。どの部屋か、どこの部分の細密画か特定でき
 なくてもいいが、下からずっと描かれていて天井まで及んでいるのでしょう。
  (鹿取)
★作者は息苦しさを感じたのではないか。それとここにとけ込めない感じ。ここまでや
 るのかという。日本人ならここまではやらないという怖さみたいな気分。(鈴木)
★でも日本だってお寺に行けば恐ろしいような地獄絵があるし。大聖堂とお寺では建て
 方も違うが。(藤本)
★まあ、東西を比べてではないかもしれないけど、東洋では余白ということを大事に
 しますよね。だから鈴木さんの息苦しさというのはよく分かる。(鹿取)   
          
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馬場あき子の外国詠 410 中欧⑧

2024-01-17 15:34:06 | 短歌の鑑賞
 2024年度版 馬場あき子の外国詠57(2012年10月実施)
    【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
      参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、
         藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:崎尾 廣子 司会と記録:鹿取 未放

 
410 聖堂の薔薇窓にさす朝の陽のいつかしき暗き光を見たり

      (レポート抄)
 陰を意識することで光はより輝いて目に映ったのであろう。キリストを太陽になぞらえて造ったとも、奇(くす)しきバラの花とも言われる薔薇窓の精巧さに、光の美しさに心を打たれているのであろう。(崎尾)


      (当日発言抄)
★「いつかしき暗き光」の言葉につきるのかな。実感として分かる。(鈴木)
★この窓は19世紀作、直径は11メートルで世界最大、2万6千枚以上のガラスを使
 用。(藤本)
★聖ビート大聖堂の正面を飾る薔薇窓は「天地創造」がテーマ。高さは33mで、柱と
 天井が一体となって美しい星型を作りあげているそうだ。これは塔の中に入って見て
 いるのでしょうね。ところで、ステンドグラスと薔薇窓は違うものだけど、この薔薇
 窓には実際の太陽光がさしている。そうすると409番歌(ステンドグラスの絵図に
 とこしへに苦しめる人ありそこに光とどかず)の苦しめる人に届かない光と同じ太陽
 光かもしれない。もちろんどちらも表の意味は太陽光で、裏に比喩的な「光」を重ね
 て暗示しているのだろう。「いつかしき明き光」ではなく「いつかしき暗き光」であ
 るところに重みと深さがある。(鹿取)
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