”休息日”2日目の昨日(12月11日)、東京高等裁判所へ裁判の傍聴に出掛けてきました。
卒業式で「起立して、国歌を歌わなかった」ことにより処分された都立学校の教職員172名の原告団は、東京都を相手取り、処分取消を請求する「抗告訴訟」と、処分発令によって被った精神的損害に対する賠償(金55万円)を請求する「国家賠償請求訴訟」の2つの請求内容を有する訴訟を提起しています。一次訴訟は2007年2月9日に、二次訴訟(こちらは原告団66名)は同年9月21日に提訴されました。そのうち一次訴訟は、計10回の口頭弁論の後、今年の3月26日、東京地裁中西裁判長により「原告の請求をいずれも棄却・・・」との判決が下されていました。
当然の事ながらこの判決に納得のいかない原告団は、総会での控訴方針を満場一致で決定し、4月7日に東京高裁へ控訴。昨日はその第2回口頭弁論だったのです。
何時もは抽選による傍聴券配布、昨日は珍しく定員に満たず、希望者全員が入廷出来ました。法廷では、お二人が意見陳述人として、証言されました。お一人は、都立高校教員にして、控訴人のTさん。もうお一人は弁護士の白井 劍さん。
まずTさんの意見陳述です。
陳述の力点は「卒業生の中には、外国人の子弟もいます。過去の歴史からどうしても”君が代”を歌えない、”日の丸”に対して礼を取れない生徒もいます。その様な生徒にまで、国歌斉唱を強制する事はおかしい」と。在日朝鮮・韓国人のA君や、フィリピン国籍の母親をもつB君との長い関わりのなかで、先生と生徒との関係を超えた、しっかりとした絆が築かれて来ていた事でしょう。卒業式前に、生徒に対して「自分の思いを大切にする様に」と語り、「歌えない」というご自分の思いも大切にしたいTさんが「起立し、歌う事」は出来ない事でした。この40秒間の不起立に処分されたTさん、2回目の不起立により「減給十分の一、一ケ月」
Tさんの思いは、裁判直後配られた意見陳述書にこう書かれていました。
「A君やB君のように、父母、祖父母からの家族の歴史を背負い、そして現在の日本社会のなかで、様々な葛藤を抱え、あるいは心に深い傷を負い、学んでいる生徒達がいます。傷ついた生徒たちに寄り添うのが教員であると考えてきた私は、そういう生徒達に「日の丸」の前で「君が代」を歌わせることに、加担することはできません」、穏やかな口調での証言ながら、胸に迫りくる言葉でした。
TさんはB君の卒業式を前に極度の不眠症に襲われ、血圧の上が214、下が114と非常に高く「高血圧緊急症」に陥ります。極度の緊張とストレスの日々だった事が原因でしょうか。薬のせいで朦朧としながら、卒業していく生徒達と漸くの思いで会う事ができたそうです。
「卒業式や入学式で、起立できない、伴奏できない教職員を処分してまで追いつめようとすることは、多数者の少数者に対する不寛容の問題です。今教育の中で求められている大切なことの一つはお互いの生き方を認め合う寛容さではないでしょうか。子ども達が成長していくために、教育がどうあるべきか、との大きな観点から、私たちの直面しているこの問題の公正な判断を下して頂きたいと願ってやみません」と意見陳述を締めくくりました。この切なる願いを裁判所はどう判断するのか見守りたいところです。
続いては白井弁護士。「いわゆる”10・23通達”により処分の正当性を主張するのであれば、書面等準備して、そちら側の主張を、堂々と展開されたらどうですか」と被告側に迫ります。
裁判は次々回日程の候補までも決定し25分程度で終了。
その後、弁護士会館で報告集会。冒頭、弁護団副団長の大御所 澤藤弁護士は「両者とも感動を呼ぶ意見陳述でした」と最大級の言葉でお二人の労をねぎらいました。
卒業していく生徒達の、過去の成長の跡を振り返り、未来への門出をお祝いする、親と教職員と地域の人々の創意工夫こそ、卒業式に求められもの。それ以上に何が必要と言うのでしょうか。改めてその思いを強くして帰宅の途に着きました。
(審理後の報告集会)