昨日12月22日早朝、母は肺炎の為95歳の生涯を閉じました。
大正3年、東京は深川の生まれです。同世代の東京生まれの多くの方々がそうであった様に、母も大正12年の関東大震災に遭遇し、太平洋戦争の戦火の中を文字通り潜り抜け、敗戦後の困難な日々を生き抜いてきました。夫は南ボルネオ島で戦病死。より多くの困難を抱えながらの子育てだった事でしょう。私達兄妹が今日あるのは、母の渾身の努力の賜物と感謝しています。60歳を過ぎてもなお働き続けた姿は、私に多くの影響を与えています。
後半生は、妹夫妻と同居、孫達にも恵まれ穏やかに過ごす日々でした。数々の旅行に同行してもらえたのも長生き出来たからこそ。妹夫妻にはハワイに連れていって貰いました。孫夫妻にも数々の温泉の案内をして貰い、妻に連れて行って貰ったのは葵祭り。1981年のカナダ旅行では、私と二人、カナディアンロッキーを眺めました。1985年は、個室寝台を利用しての九州への家族旅行。70歳半ば、鳩待峠から大清水への尾瀬一周にもつき合わせました。私が運転免許取得直後の北海道ドライブ、周りの人々の大きな不安の中での旅もありました。10年前の「黒部・立山アルペンルート」が一緒に行った最後の旅行でした。卒寿のお祝いに、多くの方々に集まって頂いたときの嬉しそうな顔が思い浮かびます。
別れに際し「有難う、ご苦労様」と心の中で語りました。