5月5日(土)朝早く起床し、窓の外を覗くと久し振りの絶快晴。「ハーヴェストクラブ蓼科」後ろから始まるトレッキングコースに入り、展望台を目指しました。そこに立って山岳風景を望むと、山々は雪冠に白く輝き、早速、南アルプス仙丈ヶ岳と八ヶ岳にカメラを向けました。(写真:南アルプス仙丈ヶ岳)
(写真:八ヶ岳。左:赤岳、右:阿弥陀岳) この日は上諏訪でレンタカーを返却し、下諏訪を目指しました。中山道散策と万治の石仏を訪ねるのが主な目的です。(写真:中仙道の碑。ここでは”仙”の字)
信濃追分で北国街道と分かれた中山道は、この街道の難所の一つ和田峠を超えて下諏訪に至り、ここで甲州街道と合します。下諏訪は街道唯一の温泉として大いに栄えた湯宿。この近辺で中山道は諏訪大社下社春宮と秋宮を結びます。私たちは下諏訪駅から、街道とT字に交わる道を進みました。途中下諏訪でただ一つと言われる「菱友酒造」で「御湖鶴」を試飲。これが超辛口ながら美味しい吟醸酒で、帰路に購入することにしました。更に進んで、漸く中山道にぶつかり、左折して暫く歩むと「伏見屋邸」がありました。(写真:甲州街道と中山道が合流。ここでは”山”の字)
(写真:御湖鶴の暖簾) 伏見屋邸は、中村家が明治時代に商いを営んだ家で、屋号を「伏見屋」と言っていたそうです。平成22年に復元修理工事を行い、当時の面影を取り戻した屋敷で、内部を無料公開しています。(写真:伏見屋邸を正面から写す)
2階建の、和室を9室も持つ広々とした建物で、最近まで町役場で正規勤務をされていたボランティアの、品の佳い女性の方が内部の説明をしてくれました。説明が終わるとお茶とお菓子のこれまた無料接待です。実に有難い事と感謝をしながら、万治の石仏へと歩みを進めました。(写真:伏見屋邸を側面から写す)
「万治の石仏」は春宮境内を抜けた奥におわしました。右の写真に観られる様な大きな石仏で、そのネイミングは、石仏の胴部に万治5年と刻まれている事に由来します。多分昭和40年代に、芸術家岡本太郎がここを訪れ、この石仏を観て絶賛してから広く世に知られるようになりました。(写真:万治の石仏の横顔)
昭和49年、下諏訪「みなとや」に宿泊した私達は、宿のご主人の車でそこへ案内してもらった事がありました。その時のおぼろげな記憶では、田圃の真中に座す、旅ガラスの様な石仏でした。あれから40年ほど経ち、改めてじっくりとこの石仏を観ると、私にはやはり任侠旅ガラスの様に見え、何かユーモラスな感じで、親しみが感じられる仏さまでした。(写真:万治の石仏全体を写す)