マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「縄文のビーナス」の謎

2016年09月04日 | 歴史

 茅野市内はもちろん、日本で見つかった殆どの土偶は壊された状態で出土しているとか。にも拘わらず国宝「縄文のビーナス」は棚畑遺跡の中央に位置する第500号土坑から、寝かせるように安置した状態で、“五体満足に”出土した。この出土状況からは、壊す意図がまったく感じらないそうで、何故壊されないままに埋められていたかは出土当初からの大きな謎であったそうな。(写真:ビーナスの右側面)
 その謎に対しては幾つもの仮説が提出されている。
 私は『国宝土偶「縄文ビーナス」の誕生』(著:鵜飼幸雄 発行:新泉社)を読んで、なるほどと思える仮説に出合った。今日は以下にその要旨を綴りたい。




 
 まずは黒曜石について話が展開する。『縄文人は食を得る手段として主に狩りをして暮らした。弓矢の先に付ける矢尻を石で作った。矢尻として、適当な堅さと強さがあり、細かな加工をする上で最適なものが黒曜石。霧ヶ峰は良質の黒曜石の原産地であつた。棚畑遺跡に隣接する駒形遺跡は、黒曜石の集散、あるいは石器製作の中心的集落であったことが分かってきた。黒曜石製品や黒曜石原材は「縄文王国」の特産品として広く関東地方や東海地方にまで流通品として伝わったに違いない』と話が進んだ後、







 『棚畑遺跡は、黒曜石の一大集散地域のなかで、枢要な拠点集落の1つであった。集落の中には大勢の人びとが集ったであろう大型住居もあった。黒曜石や石鏃を求めて、絶えず各地から縄文人が棚畑集落を訪れたに違いない。多くの人が集い、彼らの間に感謝と喜びを共有する感情が生まれたであろう。そこに「まつり」という行為が営まれ、そのシンボルとして何かが求められる・・・』。鵜飼の説はそこで一時止まっている。
 鵜飼は自説を語るに変えて、彼の考古学仲間三上徹也の意見を紹介している。
 <・・・こうした土偶が夕暮れ時、集落の中央でかがり火に照らされ、浮かび上がる姿を見た人々の興奮を推し量ることは容易である。そこに集まった人々は、棚畑遺跡をはじめ近隣の集落の者や、甲府盆地から松本平に及ぶ広範囲からの縄文人であった。何のために人々は遠くから集まったのか。連帯の確認・情報や物資の交換・豊饒祈願や感謝の祝いもあったかもしれない。しかし、男女の出会いの機会であった意義が一番であった気がしてならない。・・・
>(写真:上は棚畑遺跡出土の黒曜石の石鏃など。下の写真は棚畑遺跡からの黒曜石供給ルート)
 
 古代日本の風習であった歌垣に相当する「まつり」
のシンボルとして「縄文のビーナス」を見ているわけである。
 『その点でビーナスは多くの土偶とは異なる。象徴は壊されることなく最後まで大切にされ、手厚く埋納されたのだ』と鵜飼は結んでいる。