マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

久し振りの加藤健一

2018年03月21日 | 映画・美術・芝居・落語

 3月11日(日)、加藤健一事務所公演『ドレッサー』のチケットを頂いていたので、久し振りに下北沢・本多劇場に行って来た。「本駒込」を語り終えた翌日の観劇。「チケットを差し上げます」とのメールを頂いたとき、「偶然にも、お役目を終えた翌日の観劇、ご褒美の様です」と嬉しい気持ちをメール返信した。

 本多劇場も加藤健一も下北沢も本当に久しぶりだった。何年振りか思い出せないほどの昔。
 その頃とは下北沢へのアプローチの仕方が違っていた。昔は小田急線を利用した。シルバーパス愛用の現在は、三田線・都営新宿線直通京王新線・井の頭線と乗り継いだがそれほど時間は掛からなかった。しかし下北沢駅は大工事中で、よく利用した改札口が分からず、見知らぬ改札口から出て“迷子”になってしまい、道筋を聞かねばなら羽目に。

 本多劇場も加藤健一も変わってはいなかった。カトケンのハリのある声を再び聴けたことが何よりも嬉しかった。初めてカトケンを観たのは一人芝居『審判』。その記憶力の良さと迫真の演技に感動したことを思い出していた。
 『ドレッサー』はイギリスの脚本家ロナルド・ハーウッドとかの、有名な作品で、今までに6回上演されたそうだ。妻はこの作品は2度めの観劇。主演男優の名前を暫し思い出せなかったようだが、PARCO劇場で、平幹二郎(座長役)と西村雅彦(ノーマン役)で観たことを思い出した。私には全く初めての作品だった。
 第二次世界大戦下のイギリス。とあるシェイクスピア劇団では、若くて健康な俳優は軍隊に取られてしまい、年老いた座長(加藤健一)などを含め僅かな劇団員で上演を続けていた。連日の空襲の恐怖や劇団の現状に身心共に疲弊した座長は、ある日街中で奇行に及び病院送りになってしまう。座長夫人(西山水木)と舞台監督マッジ(一柳みる)は、今夜予定の『リア王』の中止を決断するが、ドレッサーのノーマン(加納幸和)はなんとか舞台の幕を開けようと孤軍奮闘を繰り広げる。
 『ドレッサー』はそんな状況のもとで幕が開く。舞台裏の楽屋。ドレッサーとは俳優の衣装係兼付き人。座長が常に舞台でスポットライトを浴びているのに引き換え、ドレッサーのノイマンは一貫して影の人。召使的一面を持ちながら、「ご主人」の座長の演技を批判したり、友達の様に対等な冗談を交わしたりしながら何とか座長を舞台に立たせようとする。この二人の関係を軸にして座長夫人・舞台監督・新人女優などが楽屋裏に現れ、座長との葛藤が展開する。浮かび上がってくるのは「己の居場所」の問題。
 
劇中劇『リア王』の演じ方が新鮮で面白かった。楽屋裏に黒色の薄い膜が降りて来ると、楽屋にいた『リア王』の役者は膜の向こう側に行き、その又向こう側にいると想定される観客に『リア王』を演じるのだ。私達は『リア王』を演じる俳優の黒い後ろ姿の影法師を観ることになる。どうでもいい事の様に思えることだが、私はこういった次元の事柄に興味を感じてしまう。
 主役の加藤健一の演技力とハリのある声に魅了されるとともに、ノーマン役加納幸和のトボケタ様な味のある演技を楽しめたのでありました。