マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

”巨大地下神殿”を見学

2012年03月22日 | 江戸の川・東京の川

 我が家が購読している新聞は3種類、朝日新聞・日経新聞(土・日のみ)・赤旗日曜版です。その赤旗日曜版に「ミニ学習会 巨大地下神殿(貯水槽)見学と渡良瀬遊水池へのバスハイクのお誘い」の折り込み広告が入りました。
 主催が新協建設工業株式会社という企業である事を不思議に感じつつ、私の好きなテーマでかつ費用が1000円とお安いので早速参加申し込みをすると、抽選に当たりましたとの連絡が来て、3月19日(月)家人と共に出掛けて来ました。

 当日は快晴ながら強風が吹きすさんだ日、46名もの参加者を乗せて、満員のバスは8時30分に北千住を出発し、まずは渡良瀬川方面へと向かいましたが、紹介の順序は逆転し、後から訪れた巨大地下神殿即ち「首都圏外郭放水路」から先にレポートします。


 首都圏外郭放水路は、低地が広がる中川・綾瀬川流域の浸水被害を軽減するために建設された地下トンネル形式の放水路です。私たちが見学したのは、放水側の、埼玉県にある「庄和排水機場」です。








  (写真:排水機場屋上から見る江戸川。背景は筑波山)

 ここの建物の内部には、この地下放水路の機構を説明するモニター等の色々な機器が設置されていて、それらを用いながら係員からの詳しい説明がなされます。概略次の様な説明がありました。
 『国道16号線の地下50mを貫く総延長6.3Kmのトンネルを通して江戸川に流す、世界最大級の洪水防止施設です。日本が世界に誇る最先端の土木技術を結集し、平成18年6月に完成。完成に先立ち、平成14年から部分的に稼動し、毎年5~7回の洪水を安全に処理することで、高い治水効果を発揮しています。

 右図右端の第5立杭からは大落古利根川の水を、第4立杭からは幸松川の水を、第3立杭からは中川と倉松川の水を、第2立抗からは第18号水路の水を、それぞれ吸い込み、地下水路で水を誘導し、第1立杭では逆に水を”巨大地下神殿”に放出し、ここから強力なポンプで水を江戸川に放出するのです。』(写真:右端が第5立杭。左端が江戸川)



 説明を受けた後、係員の誘導で、実際に地下神殿に降りて行きました。降りる階段は116段。地下22mの位置にある床に立って、全体を見渡すと、巨大神殿と形容されるのが良く分かります。私たちが立つている構内は幅78m、奥行177mと広大で、59本もの巨大なコンクリートの柱が林立し、非常時となればここに大量の水が流れ込んでくるのです。なかなか目に触れることの少ない地下にこの様な施設が建設されていた事に驚かされるとともに、私の知らない事が多々あることを改めて知らされたのでした。
 この3月は百段もの階段を昇り降りする機会が2度もありました。


古書店巡りを趣味とする友

2012年03月21日 | 読書

 これは古書に纏わるフィクションではありません。
 週に2~3回、神田などの古書店を巡り歩くことを常とする友にSさんがいる。先週金曜日の16日、池袋「すしざんまい」で一献傾けた。その日は神田から五反田に廻り、古書祭を覗いてきたとのこと。

 Sさんと知り合ったのは30年前。向丘高校の同僚として知り合い、同じ学年を組み、50数回の山行を共にして来た。山行のみならず、旅行・温泉・お酒・スキー・ゴルフ・味噌造り・釣りなど実に多くの遊びも共にして来た。彼の故郷青森県脇野沢を訪ねたこともある。人事院委員会に提訴した闘いでは、共に代理人を務め最終陳述もした。
 長い付き合いの中で聞いたその経歴は強烈なものであった。中学卒業後通った大湊高校定時制は、遅くまで続く力仕事の為、午後6時過ぎでないと登校出来なかった。卒業後上京し、仕事をしながら大学も夜間部に入学、途中昼間部に転部し、大卒後は大学院でも日本古典文学を学び続けた。
 働きながら学んで来た人には親近感を抱きやすい私は、同じ学年を組んで直ぐに彼と意気投合した。多くの趣味を持つSさんは、取り分け古書蒐集に情熱を燃やしている。

 3ヶ月に一度程度会って来たSさんと一献傾けるのは今年になって初めて。このところ良く利用する「すしざんまい」に行った。極上本マグロがウリで、回転寿司ではないのが気に入っている。その夜もマグロを中心に食して、お安く終わった。
 二人の間で話題になったのが古書。彼は毎週2~3回の古本屋巡りで、夏目漱石・森鴎外・藤沢周平・吉村昭などの著になる単行本の殆ど全てを手に入れかつ読み終えたとか。それも初版本を狙っているが、一冊5万円は下らない書もあり、そこまでは手が回らないと。最近は松本清張の著作を中心に買い集め、後20冊で全て揃うとのこと。因みに「『熱い絹』は読んだ?」と聞くと、読み終えているそうで、流石!と感心。
 古書蒐集と読書に情熱を傾ける友の話を聞いて、私はコレクターではなく、オンライン派ですが、煽られたような感覚になりました。百名山は現在65の彼とは次回は金峰山に登る事を約して別れた。

 

 


『ビブリア古書堂の事件手帖』(著:三上延 メディアワークス文庫)を読む

2012年03月20日 | 読書

 今人気のミステリーです。3ヶ月前に図書館にオンライン予約して漸く順番が巡って来ました。
 物語の主人公は北鎌倉駅付近で「ビブリア古書堂」を営む栞子さん。初対面の人とは満足に口もきけないほどの人見知りで、接客商売には向いていない人柄ですが、古書の知識は並大抵ではなく、本には人一倍情熱を燃やす、若き女性です。
 物語の語り手はやはり北鎌倉に住む”俺”五浦大輔23歳。
 

 第一話は 夏目漱石『漱石全集・新書版』。祖母亡き後、本の整理をしていた母は、漱石全集『第八巻 それから』の表紙の見返しの右側に細い文字で
 ”夏目漱石
     田中嘉雄様へ”
と書かれているサインを発見します。これは夏目漱石の本物サインかも知れないと期待する母に頼まれ、俺は「ビブリア古書堂」を訪れ、そこで初めて栞子さんと言葉を交わします。
 実は、”俺”は6年前の高校2年生の夏、この古書店の中から出て来た綺麗な若い女性に出会っていました。その時の彼女こそ栞子さん(と語り手は書きます)と思い至るのでした。
 豊富な古書に関する知識から、サインの真贋のみならず、”俺”のおばあちゃんの過去の謎と自分の出生の秘密にまで迫る栞子さんの推理。”俺”はこれが縁で「ビブリア古書堂」で働き始めます。
 第2話 小山清『落穂拾ひ・聖アンデルセン』。第三話 ヴィノグラードフ・クジミン『論理学入門』。第四話 太宰治『晩年』。いずれの物語も、高価な古書をテーマにして、栞子さんと大輔が古書にまつわる謎を解き明かします。入院中の栞子さんに謎を持ちこむのは大輔。その謎を居ながらにして解くのが栞子さんです。
 表題に「事件手帖」の文字が入りますが、いずれの事件でも血なまぐさい殺人が起こるわけではありません。古書にまつわる謎を解くこの小説、「それから」以外、具体的にその古書を読んでいない私でも充分に楽しめました。そのパート2も既刊されていて、順番が来て読める日を心待ちしています。


「天城高原ハーヴストクラブ」から河津桜へ

2012年03月18日 | 

 3月12日(月)、MOA美術館を訪れた私たちは、熱海から伊豆急に乗車し伊東へ。ここで妹夫妻と合流。これ以降13日(火)夕刻、自宅に帰るまでの全行程、有難いことに義弟運転の車での移動となりました。目指すは天城高原ハーヴェストクラブです。


 東急ハーヴェストクラブの会員となつて、既に24年ほど経過しました。ホームグランドは勝浦→京都→天城高原と買換えて来ましたが、現在の天城高原の露天風呂付きコテージが家人のお気に入りで、最近はここを利用する頻度が増しています。オナー特別ご優待の宿泊案内が来て、MOA美術館鑑賞後の足を天城高原まで延ばすことにしました。(写真:小ぶりな部屋付き露天風呂)




 ここのウリは8階展望風呂からの富士山の眺めですが、何度か宿泊しましたが富士山が展望出来たことは一度もありません。この日も富士山は姿を現してくれませんが、8階からは相模湾と駿河湾の両湾にくびられた伊豆半島北部がはっきりと見渡せ、間近に目を転じると、天城連山に沈みゆく夕陽が素晴らしく、初めてこの光景を観た妹は感激していました。(写真:コテージ側から見たクラブ本館)



 この日、展望風呂に2回、部屋付き露天風呂に2回入浴。あまり出歩くことも無く、お酒とお喋りと温泉を楽しんで時を過ごしました。



 明けて13日(火)、夜来の雪となり、かなり積もっていました。一昨年訪れた折は霧氷。標高は890mとそれほど高いわけではありませんが、この近辺の地形が冬型気候になり易いのか、3月中旬でも外に出ると非常に寒く感じられます。早朝展望風呂に入ると、富士の頂上は雲に隠れていますが、裾が見渡せます。全望が見渡せれば雄大な富士の姿が拡がるだろうと想像出来るのでした。(写真:裾だけ見えた富士山)



  (写真:南アルプスは雪冠。白峰三山の右端が北岳)



 10時少し前、ここを立ち河津を目指しました。河津桜祭りは3月10日で終了していましたが、ここの満開はかって経験したことのないほどの遅れで、丁度祭り終了日直前が満開。祭りの期間を11日~16日まで延長した事を知り、訪れたのです。(写真:かじやの桜は満開)








 河津桜、満開は去ったようですがまだ咲いていました。見頃の美しい樹もあります。河津川沿いはかなりの人出で、屋台も残り、例年の桜祭りの様な賑わいです。日本人は桜好きと言われますが、私も花見は大好きで、今年もこの時に出合えた有難さを思いました。(写真:この瞬間は青空が見えました)


MOA美術館で「岩佐又兵衛絵巻」を観る

2012年03月17日 | 映画・美術・芝居・落語

 


 3月12日(月)に熱海MOA美術館に出掛け、「岩佐又兵衛絵巻」展を観てきました。MOA美術館では、世界救世教の教祖・岡田茂吉が蒐集した古美術品が、この美術館のコレクションの中心をなします。尾形光琳筆の国宝「紅白梅図」や仁清作の国宝「色絵藤花図茶壺」の他、岩佐又兵衛絵巻3巻も所蔵され、開館30周年を記念して、その3巻全てが公開されています。(写真:MOA美術館正面入口)

 第Ⅰ期 3月3日~4月4日 山中常盤物語
 第Ⅱ期 4月6日~5月9日 浄瑠璃物語
 第Ⅲ期 5月11日~6月5日 堀江物語    

 2010年5月14日にMOA美術館へ出掛けた折に観た絵巻は「浄瑠璃物語」の1巻のみ。その時見た絵巻物語は、絵に添えられた文字を最後まで辿ると一遍のストーリーが完結します。絵巻物語に興味を抱く切っ掛けとなりました。
 今回の長期に亘る展示では全てが公開されるとのことで、3月中に「山中常盤物語」を、6月には「堀江物語」を鑑賞しようと家人と相談し、今回の運びとなりました。
 

 行方の知れぬ息子牛若丸(後の源義経)の身を案じていた母常盤御前は、牛若丸が奥州藤原秀衝の元でしあわせに日々を過ごしていることを文で知り、乳人の侍従と二人奥州路へと旅立ちます。遠国への徒歩の旅は辛く、山中の宿(現在の岐阜県関ケ原町)で重い病の床についてしまいます。
 そこへ、6人の盗賊が押し入り、常盤と乳人の着ている小袖まで剥ぎとってしまいます。常盤は「肌をかくす小袖を残すがなさけ、さもなくば命もとっていけ」と叫ぶと、盗賊たちは常盤を刺し、乳人をもなきものにして逃げ去ります。この物語のクライマックスです。(写真:文春新書「岩佐又兵衛」表紙より)





 物語の後半は、後日この事を知った牛若丸の復讐譚です。6人の盗賊全てを成敗した牛若丸は秀衝の館に戻り、その後3年3ヶ月の月日を経て平家打倒の為十万余騎の大軍を率いて都へと上るのでした。
 全巻で150メートル余りの大作です。
 (写真:美術館壁面より)









 これは史実ではありません。何故かこの様な物語が口伝として伝えられ、又兵衛が絵巻として残しました。常盤が殺害される場面がリアルで惨たらしく、この様な場面を他の絵巻や絵画で観た記憶がありません。
 又兵衛の父荒木村重は信長に反旗をひるがえすが失敗。一族はその殆どが惨殺されますが、その時2歳の又兵衛は乳母に助けられ、本願寺に難を逃るという数奇な生い立ちを背負います。このことが深い影を落としたかと愚考しています。
 牛若丸が飛び跳ねるように盗賊達に襲いかかる場面は又違った迫力です。血腥い活劇シーンの連続ですが、最後の殺害の場面はあまりにも凄まじく、外へ出て、暫し遥か彼方に浮かぶ大島を眺めていました。