1月16日(木)、「新春浅草歌舞伎」第一部(昼の部)を観てきた。風邪の為、観劇が叶わなくなってしまった方からの突然の電話だった。
実は、今年の浅草歌舞伎の主役は、市川猿之助と片岡愛之助と知って、東京新聞のチケット抽選「夜の部」に応募し、当たっていたので、図らずも昼夜「新春浅草歌舞伎」を観劇出来る幸運が舞い込んで来た分けである。
さて昼の部の出し物は次の二つ
1・『源平布引滝 義賢(よしかた)最期』(主役 愛之助)
2・『上州土産百両首』 (主役 市川猿之助)
今回は、すっかり「新春浅草歌舞伎」の顔となった片岡愛之助に触れたい。
昼の部の幕開きは平家全盛の世を舞台とした義太夫狂言『義賢最期』。平治の乱で源義朝が敗死したのち、弟の木曽義賢のもとに平清盛の使者が白旗詮議に現れる。その義賢を演じるのが愛之助である。
愛之助の舞台は初めてだが、映画とテレビで観たことがあった。映画「小川の辺」に登場し、東山紀之との決闘場面での見事な剣捌きを見て、私は彼のファンとなった。テレビでは、あの”倍返し”の『半沢直樹』で、金融庁の主任検査官。”おネエ”口調のキャラで、半沢直樹と対をなす、インパクトの強い役柄を演じ、ひと際強烈な印象を残した。その愛之助が、迫力ある立ち回りを演じ、”仏倒し”という荒業を演じた。(写真は義賢役の愛之助)
平家の追撃をもはや逃れられぬことと悟った義賢は、武士の礼服表襖大紋に着替え、多勢の平家軍兵を相手に戦い、壮絶な最期を遂げる。激しくも見事な立ち回り場面だった。7段はあろうかと思える階段を俯せになって転げ落ちる愛之助。よくぞ怪我をしないものだと、11月に階段から滑落し両膝内出血という、脆かった私は、その鍛え抜かれた体力や芸に感心してしまった。見事な倒れ方に万雷の拍手喝采で幕となった。
帰宅して学んだことだが、仏倒しとは、階段などを転げ落ち前へバッタリと倒れる荒技。義賢最後の場面が有名だとの事。いい場面を観ることが出来た。
『源平布引滝』の二段目に当たる『義賢最期』の場面は、歌舞伎では長らく途絶えていたが、1969(昭和44)年に、片岡仁左衛門が大阪中座で復活し、これを愛之助が受け継いだことも知った。(義賢絵図:上の写真とともに髪は長く、額左には赤い切り傷がある)
今日のブログは、その道に詳しい人から見れば、噴飯ものだろうが、幾つかの失敗を重ねながら、漸く、CDの表面を印刷しての音楽CDが完成したという話である。
11月26日(火)に開催した「てみの 津軽昔っこ」の録音を、ハルコさんから頼まれて、オリンパスのICレコーダーで私が録音した。あわせてそれをCDに焼いてほしいとも頼まれ、早速、数日後には作業を開始した。対馬てみさんの、この昔っこの語りは人気が高く、注文をとると合計で30枚弱。CDに写真を焼いたことは何度もあるので、それに倣って簡単に焼け、それをパソコンのDVDドライブに入れると良く聴けた。一見落着と思いきや、注文主は70歳以上の方が主なので、パソコンではなく、普通、CDプレーヤーを使用する人の方が多いはずと考え、プレーヤーにセットするも音が出てこない。CDにはデーターのコピーが出来ただけであった。・・・失敗1
音楽CDの焼き方が分からないので、富士前福寿会のKさんに尋ねると、ソフトは「Windows Media Player」を使って焼けば良いと、その方法が書かれたA4用紙1枚を手渡された。この用紙を見ながら悪戦苦闘して、漸く焼けたが、前半が56分、後半が63分の音声は1枚のCDには焼けなかった。何度も繰り返すが駄目。
そこで小川町にあるオリンパスの「サービスセンター」に出掛けて、その理由を訪ねた。1枚のCDには74分までしか焼けないと知らされた。2枚のCDに焼かざるを得ないと悟り、改めて音楽CD50枚セットを買ってきて、その表面を良く見ると、Kさんが云ったように、”80分”の表示があり、最大でも焼けて80分。これを知らなかった・・・失敗2
その後は順調に作業は進んだ。注文主に2枚渡すのに、2枚とも表面に、てみさんの写真を印刷しようと気合いが入ってきた。暮にプリンタをキャノンの「MG6330」に買い替えてあったことが幸いした。プリンタルディスクも買って来たし、その作業手順もしっかり説明書に書かれているから、簡単だと思った。しかしである。プリンタルディスクトレイがどこにも見当たらない。プリンターを設置した後に慌てて、ゴミと一緒に捨ててしまったかと思い、ヤマダデンキなどに行ったが、その部品は置いてないとのと。今度はキャノンの「サービスセンター」に電話すると、プリンターの内部に付属されているとの事。説明書を熟読すれば分かったことなのに、無いと思い込んで平常心を失っていた。・・・失敗3
しかし。先週になんとか30組が完成した。冒頭のCDがそれ。
苦労したが、その分、一連の作業はよく覚えられた。それが一番大きい成果か?
帯広に住む息子が用事で鳥取方面へ行くことになり、直行便がないので、羽田に着いた後、成田発の米子行き便を利用することとなった。その時に上手い計画を思いついた。14日(火)に私たち夫婦と羽田空港で合流し、レンタカーを借り、アクアラインを通って勝浦に至り、家族3人でハーヴェストクラブ勝浦に一泊し、翌日の15日(水)に成田で車を返却するという計画だ。その計画の中での主な狙いは、懐かしいハーヴェストクラブ勝浦宿泊だったろう。 実は、私たちは、1989年(平成元年)から10数年ほど、ホームグランドを勝浦とする「東急ハーヴェストクラブ」の会員だった(現在は天城高原の会員)。40代後半から50代後半にかけて、家族で楽しむだけでなく、職場の同僚やランニング仲間・クラスメイトなど実に色々な方と、多様な目的でこのホテルを使用し楽しんできた。ランニング大会・フグ釣り・ゴルフ・食べ歩き・ミニクラス会・房総半島菜の花巡り・ビック雛祭り等など。(写真:12階建のホテル。ここの高台から眼下に太平洋が望める)
それにも増してよく利用したのは妹家族との宿泊。小学生だった二人の姪も含め家族4人と。更には、家人の妹家族3人も含め、私たちの家族と合わせて10人で宿泊した夏もあった。息子から見て、いとこが3人。小学生だった子供たちはホテルのプールや、近くの遠浅の海岸などで思いっきり水遊びに興じた。クリスマスにサンタが部屋に現れる演出に大喜びした子供達の嬉々とした表情。彼等を交え、大人たちは海辺で、魚を焼いてのバーベキューに舌鼓を打ったこともあった。私にとっても数多くの思い出があるが、特にその頃小学生だった息子や姪たちにとっては格別に思い出深い処らしい。二児の母となってここにやって来る姪などは特にその頃を懐かしんでいる。息子にも同じ思いがあってのハーヴェストクラブ勝浦だろう。(宿泊部屋からの撮影:雪舞うプール)
14日、羽田のトヨタレンタカー店を16時50分出発。アクアライン(料金は800円)利用で勝浦の「磯料理 カクイ」には18時30分着。頼んでおいたお任せ料理で再会を祝った。家族3人だけでのここでの食事は、15年ほど前、息子が運転免許を取得したときに宿泊して以来のこと。馴染みの女将も食卓に顔を見せてくれた。6月には料理を余したが、今回は若手がいたので完食。
ハーヴェスト勝浦は開業以来24年となるが、古びた感じはしない。定期的に休業し、きちんとメンテナンスしているからだろう。東急の会員制ホテルは手入れが良いこともあり、蓼科・勝浦のハーヴェスト以来27の施設を持つに至っている。懐かしさのあまり訪れても幻滅を感じさせない状態にあるのが非常に良い。
15日朝、窓を開けると、外は雪。勝浦に通い出して24年での初体験。10時30分、金谷目指して出発。金谷で昼食後、途中成田山に詣で、息子は16時の便で米子へ出発していった。
”伝統芸能は歌舞伎だけではないぞ”との声が聞こえてきたからではないが、1月10日(金)に石見神楽公演を観て、度肝を抜かれた。驚愕の舞台であった。
石見神楽公演がシビックセンターの小ホールで開催されることを知った家人が申し込み、当選した公演で、入場料無料。開場18時で開演19時の会場に18時半に到着するも、既に前半分の席は殆ど埋まっている。第1回目も超満員だったらしい。
実は津和野町と文京区は姉妹都市。何故津和野町と文京区が姉妹都市か?両者を結び付けたのは森鴎外。生誕が津和野で、文京区内にある「観潮楼」で晩年を過ごし、この地で没した鴎外。一昨年、鴎外生誕150年を記念して、千駄木に、鴎外図書館が鴎外記念館に衣替え新築された。それを記念して2012年10月からの姉妹都市。
島根県西部を流れ、清流度日本一と謳われる高津川は、一級河川で唯一、支流も含めダムを持たない。その流域にある津和野町と益田市・吉賀町が合同で、文京区まで”出張”し、物産展開催などで交流を深めている。その一環としての石見神楽。
石見神楽といっても数々の石見神楽があるらしい。この日上演された神楽は、白谷神楽社中演ずる石見神楽。出し物は「塵輪(じんりん)」と「大蛇(おろち)」
まずは「塵輪」が舞われた。登場人物は、仲哀天皇・高麻呂と塵輪。塵輪という名の、身に翼があり神通自在に飛び行く大悪鬼が登場。異国から兵を率いて日本に攻め入る危機に、天皇や高麻呂らが、この大悪鬼を退治するというストーリーで、両者の激闘が見応えがあり、岩見神楽の代表的な演目の一つとのこと。
続いて登場したのが「大蛇」。この話は私も知っていた。須佐之男命が高天原を追放され、出雲の国斐の川に差し掛かった時、嘆き悲しむ老夫婦と娘に出会う。山奥に住む大蛇に何人もの娘を攫われ、今またこの娘にも災難が迫っていると聞かされた須磨之男命は、山奥に出向き、大蛇に酒を飲ませ退治するという物語。
大蛇は八頭も登場する。それも巨大な大蛇で、長い尾を持つ蛇。それが舞台狭しと暴れるのである。2頭が絡み合って娘を飲み込むシーンもあれば、8頭が一体に合体する場面もある。息のむ展開が延々と30分は続いたであろうか。
拙いペンでは上手く情景が伝わらない。前日には椿山荘での公演があり、次の①のURLからその時の写真が見られる。又②のURLからは石見神楽の動画も見られる。ご希望の向きはそちらへ。
①URL http://blog.livedoor.jp/koda129-shiratanikagura/
②URL http://video.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=%E7%9F%B3%E8%A6%8B%E7%A5%9E%E6%A5%BD%E5%8B%95%E7%94%BB
2時間弱の公演中の写真撮影は禁止されていたが、終演後の撮影はOK。最後にそちらの写真を。
今まで見た神楽と比較して、”神話の国”での神楽は、”神と人が織りなす 荘厳華麗な神話の世界”の奉納舞踏劇と悟った。
東京新聞の月曜日の朝刊には、2面を割いて「伝統芸能」が掲載される。「伝統芸能」の殆どが歌舞伎で、例えば今日は、復活狂言で奮闘中の尾上松緑や沢潟屋の成長株市川弘太郎の個人紹介のみならず、かぶき”彩時記”と名付けたコーナーでは「封印切」の小判が語られている。更には‘’津軽三味線が初登場 歌舞伎、海老蔵と共演‘’と題して、津軽三味線の若手第一人者上妻宏光が登場していた。自分が観てきたものがすぐさま紹介される記事を読むのはひと際楽しい。
『「壽三升景清」に初めて津軽三味線が登場。観客の注目を集めている。歌舞伎の三味線といえば長唄や清元が定番だが、海老蔵の依頼で津軽三味線の若手第一人者・上妻宏光が作曲・演奏している』と。
海老蔵は昨年11月の山形県の巡業先で上妻の演奏を聴き、その日に出演を依頼し、上妻も「やらせてほしい」と快諾。年末の数日間で曲を書き上げたともある。
そういえば、牢破りの場面では迫力ある曲を、最後に景清が解脱に至る場面では静かな曲を、長唄・大薩摩の三味線と合奏していた。『これが縁となり今後も歌舞伎の舞台で演奏できるようになれば』とも話していたそうで、そうなれば歌舞伎を観る際の楽しみが又ひとつ増える。 津軽三味線は何度か聴いたが、殆ど知らない世界。私は、上妻宏光の名前も初耳で、作曲もしてしまうとうい彼の姿を知りたくてネットで調べ、驚いた。Wikipediaから抜粋すると、
『15歳10ヶ月のときに、津軽三味線全日本金木大会で史上最年少優勝。中学卒業後に上京し、ロックバンドに加入するなどの活動を続けて腕を磨き、1995年・1996年の全国大会で2連覇を果たす。2連覇時と3連覇のかかった翌年に、じょんから節に較べて地味で、五大民謡中最大の難曲とされる「津軽よされ節」でただひとり出場。「四枚撥」と呼ばれる高度な技を織り込みつつ、圧倒的な完成度で見事に優勝した・・・』とある。(写真:上妻宏光オヒシャルブログより)