2013年10月3日→13日 能登の旅
・10/ 3 恵庭(JR)→苫小牧市(バス)→苫小牧東港(フェリー)23:30→
・10/ 4 敦賀港着 20:30(船員会館)
・10/ 5 敦賀港→坂井市 120Km(Yさん宅)
・10/ 6 滞在;永平寺、丸岡城、越前竹人形館など
・10/ 7 坂井市(JR)→羽咋ハクイ市(民宿)
・10/ 8 羽咋市→輪島 90Km(民宿)
10月7日
好天の下、お世話になった坂井市のYさん宅からいよいよ能登半島へ。前夜ご馳走になった「鱒の押し寿司」を奥さんが弁当にと沢山持たせてくれた。
JR北陸本線春江駅まで車で送って貰って、11:50に乗車。早速、お寿司を半分食べた。油桐の葉で包んであり、酢で締めているので長持ちした。
金沢でJR七尾線に乗り換え、2時間30分の輪行で14:39に羽咋市のJR敷浪駅に到着した。
堅く締まっていてオートバイ、車でも走ることが出来る「なぎさドライブウェイ千里浜」をツーリングして、「ユーフォリア千里浜キャンプ場」に泊まるというのが当日の予定だった。
しかし、MTBのタイヤでは流石に砂に埋まる。ギアに砂が入る危険性もある。諦めて普通道路で終点に向かい、隣接したキャンプ場に泊まることにした。
周辺には名物の「浜ぐり焼き」の出店や「砂像」があった。ここの砂は粒子が揃っているため水を含ませると硬く締まり、彫像し易いとのこと。
レストハウスでキャンプの受付をすると、最後に「何かありましたら警察の電話番号はこです」とメモ紙を渡された。
何だか漠然とした不安が募り、台風24号と25号の影響で雲行きが怪しくなってきたこともあり、直ぐに取り消して羽咋市内の民宿を探すことにした。
宿に落ち着き、台風で使うことは無くなったキャンプ道具一式をダンボール詰めにして家に託送した。
10月8日
羽咋市内にある能登一宮の気多神社にお参りして輪島を目指した。大国主命を祭神に祀る。創建2000年。
能登半島は国定公園に指定されていて、輪島に至る日本海岸には松本清張の『ゼロの焦点』で悲劇のヒロインが身投げをする「ヤセの断崖」などの奇岩、断崖が30Kmに亘って続く「能登金剛」がある。
《能登金剛 右が「巌門」》
《「義経・弁慶の船隠し」》;1185(寿永4)年、兄・源瀬朝の厳しい追手から逃れる義経と弁慶らが、奥州へ下る途中、荒波を避けるため舟を隠したと伝えられている入り江の岩場。48隻もの船を隠したとの伝説がある。
《「ヤセの断崖」 看板の白い矢印方向の突端 下の写真は断崖上部》;高さ35メートル。2007年の能登半島地震(M6.9)により突端部分が崩落した。
〝ヤセ〟の由来は痩せ地であったという説や断崖から海を見下ろした時の痩せる思いがするなどの説がある。
《能登らしい風景》
《輪島方面と皆月海岸方面の分岐》;皆月海岸に降りてしまうと輪島へは行き止まりになって登り坂を戻ることになる。
お~、90Kmを走って輪島に来た。ところがところが・・・。 (つづく)