今年は荒井由美(松任谷由実)がデビューして50年とか。
最初のレコードアルバム『ひこうき雲』が出た1973年(昭和48年)は就職した年だった。
ニクソンショック(電撃的なニクソン大統領の中国訪問とドル紙幣の金交換停止)があり、石油危機があり、〝狂乱物価〟でトイレットペーパーの争奪戦があったり。
今、あの頃とどこか似ている。
給料は上がっていないようだが。
勤務地の道南の江差から札幌に出張した時に買ってきたLPレコードを6畳一間のアパートでよく聴いていた。
荒井由美の都会的で鋭い感性の曲と風の強い日本海の夏の白波、冬の鉛色のうねりが干渉し合っていた気がする。
専門的なことは分からないが荒井由美の声にはモンゴルの独特の歌であるホーミーと同じ周波数の声域があるらしい。
そういえば江差追分節も諸説のなかでモンゴルから信州を経由して伝わってきた馬子唄だという説もあり、波の風景や音と一体となって心に浸み込んでくるような魅力がある。
TOSHIBA EMI
1974年10月に出た2番目のアルバム「MISSLIM」に収めらている『瞳を閉じて』も海がモチーフになっていて好きな曲だが、これが長崎県五島列島の高校の愛唱歌になった詳しい経緯を知ったのは2019年夏、平成最後の年のNHKラジオの特集番組でのことだった。
企画したのは当時NHK長崎放送局に勤務していた黒沢アナウンサー。
アルバムリリースから45年が経っていた。
先日、本屋のCDコーナーで真っ赤な50年記念CDが並んでいるのを見かけて、久し振りに特番の録音を聞いてみた。
特番で流れたオープンリールのデモテープの素朴さと荒井由美の50年の音楽活動の始まりが伝わって来る。
歌が行ったり来たりして受け継がれる運命と感動をこれからも大事にしたいと語っている。
『瞳を閉じて』は、長崎県立五島高校の奈留島分校の女生徒が隣島にある本校の校歌が馴染めず、住んでいる奈留島の情景を謳った〝分校の校歌〟が欲しいとニツポン放送の「毛利久の作曲コーナーBy荒井由美」という深夜のコーナーに出した手紙がきっかけだった。
毛利久(本名;渋谷森久)は東芝レコード(現・東芝EMI)の名物ディレクターだった。
デモテープは荒井由美が奈留島の情景を思いの限りのイマジネーションを巡らして念写し、1974年2月26日に女生徒に送ったもの。
分校は県立奈留高校となり、今も愛唱歌として歌い継がれている。
地図を見れば五島列島は起伏のある海岸道路が多く、自転車旅は躊躇していたが訪ねてみたくなった。
「瞳を閉じて」や「ひこうき雲」はその曲と歌詞だけでも充分心に響きますが楽曲の由来と曲を結び付けたものを考えると胸を揺さぶられるような思いに・・・という印象です。
わかってはいるつもりでも、大きく、頑丈な体に細やかな神経のI.SATOさんを再認識するような記事に感銘を受けました。
今もいい曲ばりだなぁと思います。
学生紛争の4年間を経て世の中に出たばかりで、何か共鳴するものがありました。