2013年10月3日→13日 能登の旅
・10/ 3 恵庭(JR)→苫小牧市(バス)→苫小牧東港(フェリー)23:30→
・10/ 4 敦賀港着 20:30(船員会館)
・10/ 5 敦賀港→坂井市 120Km(Yさん宅)
・10/ 6 滞在;永平寺、丸岡城、越前竹人形館など
10月5日
東尋坊を出て、福井市、続いて坂井市の看板を見てホッとするも束の間、市街地から抜けるのに迷う。何度も停まってはスマホのカーナビアプリを見て進行する。
本州は古い街道が入り組んだりしていて、道路標識も北海道ほど親切でないような気がする。
街の位置関係を頭にたたき込んでおかないと停まっている時間が長くなる。薄暗くなってくるとなおのこと。
坂井市内で遂にSOS。Yさんに車で迎えに来てもらって予定より1時間以上オーバーして18:00過ぎに到着。ひと風呂浴びさせてもらって久々の友との酒宴。
Yさんは学生時代から北海道で過ごし、40年振りで故郷の福井県に戻ったのだった。
テーブルには奥さんが近所のオバァチャンから習った心と手間のこもった郷土料理が並んだ。
通称〝油桐〟の葉で包んだ鱒の押し寿司は、優しく美味だった。多めに作ってくれていて旅立ちの時に「お弁当に」と持たせてくれた。デカイ油揚げ料理も名物だ。
そして友人が揃えてくれた地酒の数々。苫小牧東港から敦賀港に一昼夜をかけて着き、翌日、120Km離れた〝約束の地〟に無事到着した安堵感を美酒が包んだ。
『もてなし』とは旅人への暮らしに根づいたねぎらいか。次の旅のことも考えずに夜更けまでお互いの日常を語り合った。
10月6日
Yさん宅に滞在し、観光地を案内して貰った。
北海道には無い家庭菜園のモグラ被害。地上へトンネルを掘った土が山盛りになっている。根の食害があるそうだ。
福井県と言えば曹洞宗・道元の永平寺。ここは修行にやってきた「雲水」の登用門。寺社の右側の細い道の先にあった。『龍門』とある。
専用口で問答試験があり、合格すると入門が許されるという。お寺の跡取りばかりでなく、一般の若者で門を叩く人も多いという。
樹齢数千年の杉に囲まれた鐘つき堂。
丸岡城。
1576年に信長の家臣が築城。最古の天守閣を有することから国宝だったが1948年の福井地震により崩壊、一部を再築したため現在は重要文化財。
屋根に石を用いているのはこの城だけ。寒さと水に強い「笏谷(シャクタニ)石」というものが使われ、北前船で北海道にも運ばれたという。
往きはバラスト代わりに船底に積み、帰りは身欠きニシン、肥料用ニシン糟、昆布を積んで帰った。
「笏谷石」は江差・中村家の土台石にも使われている。江戸時代の大江商人・大橋宇兵衛が建設し、大正初期に中村米吉が譲り受けた。よくこの坂道を歩いたものだった。(重要文化財)
自転車旅はすっかり北前船の時代を航海している気分になった。
天守閣から坂井市の街並み。
福井市一乗谷遺跡。
越前を100年に亘り治めていた朝倉氏は、近江の浅井氏との連合軍で信長に臨んだが破れ、一乗谷の城下に放たれた火は三日三晩燃え続けたと言われている。
当時は2万ともいわれる人々が生活し、小さな谷を埋め尽くすほど家々が立ち並でいたという。
歴史の表舞台から姿を消したこの地は、往時の屋敷や人家跡がそのままの状態で田畑の下に眠っており、今もそれらの発掘作業が続けられている。
国から「特別史跡」「特別名勝」「重要文化財」の三重指定を受けているのは「金閣寺」「銀閣寺」「醍醐寺」「厳島神社」と、この一乗谷朝倉氏遺跡だけという。
先祖が花巻の我が家と何の関係も無いが丸岡城によく似た家紋があった。
ゆっくり休養した。坂井市から能登半島の付け根の羽咋市へJR輪行して、いよいよ能登半島へ。 (つづく)