何だかんだ言っても車の世話になっているなあ。複雑な思いである。というのも、僕は運転が好きではないからだ。
車が好きではないけれど運転する以上、故障もする。自慢ではないが、運転以上に故障が嫌いだ。だからJAFに入っている。全国に同好の士はいっぱいいるだろう。これも同嫌の士というべきか。
さて、JAFの会員になると、定期的にJAF Mate という冊子が送られてくる。熱心に読んでいるわけではないが、役に立つこともあり、現に僕が持っているたった3着のセーターのうち2着はこの冊子の通販で購入したのである。
ここ数ヶ月、タレントで栃木県あたりに住んで農作業をしながらエコロジーの啓蒙活動のようなことをしている女性が、ゲストと対談しているコーナーがある。僕は芸能界に疎いので名前を覚えられない。名前と顔がまったく一致しない。健康保険は芸能人健康保険というのに加入していて、売れっ子タレントたちに支えられているにもかかわらず、感謝の心が足りないのであろうか、覚えない。
この女性がどうも苦手でね、正しい道を説かれているようで。これは余談。
2,3ヶ月前、これまた自然体験の大切さを子供たちに教えているというタレントの男性と対談していた。この人もよい人の顔をしている。顔は見覚えがあるが、名前は分からない。
二人は意気投合していた。まあ、この手の冊子で対談に呼んで、大激論に発展するはずもないからね。あったらおもしろいのだけれど。小林秀雄さんと江藤淳さんが対談中に、三島由紀夫の自決について意見が分かれて、とても面白い。編集してもあの調子なのだから、実際はすごかったのではないか、と空想を掻き立てられる。でも、JAF Mate でそんなことが起こるはずがない。決まりごとのように対談は進む。NHKのようだ。
男性タレントが「僕は都会の人が言う自然て自然ではないと思う。人工的な緑だ」と言い、女史も力強くその発言を肯定しているのをみて、僕は奇異な感じがした。
当たり前のことだ。都会から緑が失われ、まとまってある場所といえば、整備された大きな公園だけだということは、住んでいる人が誰でも知っていることだ。その上、大きな公園といっても実際にはアメリカやイギリスの公園と比べると、みすぼらしいほど狭い。それを大自然と感じる人がいるはずがない。
しかし、都会に住む人が、猫の額ほどの庭の草花を愛でる心を自然というのではないだろうか。タレントの二人にしても、もしも売れっ子になっていなかったら、都会で暮らしながら、あるときは「大自然」の中で自然食を満喫するという幸福には恵まれなかっただろう。その時には、自分の周りには自然がない、と嘆くだろうか。庭の雑草に雨粒が付いているのだって、美しいさ。
と書いて、最近マンションの一角を、それも1メートルばかりの隙間を柵で囲って樹を、3本植えて「保存緑地」と札が立っているのをよく見かけるのを思い出した。あれは僕の言っていることとは何の関係もないぞ。あんなけちな光景は笑うを通り越してあきれる。開いた口が塞がらない、というがあれは開いた口がはずれる。こういうのはイカサマというのだ。黙っていればこれも自然だ、と僕からお墨付きがもらえるのにね。遠慮がちにしておけばよいのに、いけずうずうしく主張したばかりにイカサマ呼ばわりされる。
自然と書いて思い出したことがあるから、改めて書くことにする。
車が好きではないけれど運転する以上、故障もする。自慢ではないが、運転以上に故障が嫌いだ。だからJAFに入っている。全国に同好の士はいっぱいいるだろう。これも同嫌の士というべきか。
さて、JAFの会員になると、定期的にJAF Mate という冊子が送られてくる。熱心に読んでいるわけではないが、役に立つこともあり、現に僕が持っているたった3着のセーターのうち2着はこの冊子の通販で購入したのである。
ここ数ヶ月、タレントで栃木県あたりに住んで農作業をしながらエコロジーの啓蒙活動のようなことをしている女性が、ゲストと対談しているコーナーがある。僕は芸能界に疎いので名前を覚えられない。名前と顔がまったく一致しない。健康保険は芸能人健康保険というのに加入していて、売れっ子タレントたちに支えられているにもかかわらず、感謝の心が足りないのであろうか、覚えない。
この女性がどうも苦手でね、正しい道を説かれているようで。これは余談。
2,3ヶ月前、これまた自然体験の大切さを子供たちに教えているというタレントの男性と対談していた。この人もよい人の顔をしている。顔は見覚えがあるが、名前は分からない。
二人は意気投合していた。まあ、この手の冊子で対談に呼んで、大激論に発展するはずもないからね。あったらおもしろいのだけれど。小林秀雄さんと江藤淳さんが対談中に、三島由紀夫の自決について意見が分かれて、とても面白い。編集してもあの調子なのだから、実際はすごかったのではないか、と空想を掻き立てられる。でも、JAF Mate でそんなことが起こるはずがない。決まりごとのように対談は進む。NHKのようだ。
男性タレントが「僕は都会の人が言う自然て自然ではないと思う。人工的な緑だ」と言い、女史も力強くその発言を肯定しているのをみて、僕は奇異な感じがした。
当たり前のことだ。都会から緑が失われ、まとまってある場所といえば、整備された大きな公園だけだということは、住んでいる人が誰でも知っていることだ。その上、大きな公園といっても実際にはアメリカやイギリスの公園と比べると、みすぼらしいほど狭い。それを大自然と感じる人がいるはずがない。
しかし、都会に住む人が、猫の額ほどの庭の草花を愛でる心を自然というのではないだろうか。タレントの二人にしても、もしも売れっ子になっていなかったら、都会で暮らしながら、あるときは「大自然」の中で自然食を満喫するという幸福には恵まれなかっただろう。その時には、自分の周りには自然がない、と嘆くだろうか。庭の雑草に雨粒が付いているのだって、美しいさ。
と書いて、最近マンションの一角を、それも1メートルばかりの隙間を柵で囲って樹を、3本植えて「保存緑地」と札が立っているのをよく見かけるのを思い出した。あれは僕の言っていることとは何の関係もないぞ。あんなけちな光景は笑うを通り越してあきれる。開いた口が塞がらない、というがあれは開いた口がはずれる。こういうのはイカサマというのだ。黙っていればこれも自然だ、と僕からお墨付きがもらえるのにね。遠慮がちにしておけばよいのに、いけずうずうしく主張したばかりにイカサマ呼ばわりされる。
自然と書いて思い出したことがあるから、改めて書くことにする。