季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

失踪事件

2008年08月24日 | 
薬殺のいうショッキングな題名で書いたが、続きは穏やかな題名に替えて書きましょう。

シェパードとボクサーの混血というミスマッチめいた子犬が無事ぜんぶもらわれて、僕たちも余計な気を遣わずにすみ、めでたしめでたしのはずだった。

ところがそうはならなかった。

「たまにしき」はすでに僕たちの生活に入っていたのである。来るはずのたまにしきがこないことになった、だけではすまなかった。たまがどこかへ行ってしまった。まるで失踪事件が起こったかのような気持ちになった。これは思いもかけなかった心の動きだった。

名前まで付けていなかったらこうはならなかったかも知れない。

僕たちはたまを探すことにした。急いで土曜日版のハンブルガー・アーベントブラット紙を買い、シェパード子犬売りたし、の欄を探した。飼うとなったら、今度は純粋なシェパードがほしかった。

この新聞の土曜日版は広告版になっていることは、どこかで書いたような気がする。恋人まで探せるのだもの、シェパードの子犬くらいわけはない。

果たして数件の広告があった。シェパード子犬、3ヶ月、トイレ躾け済、といったあんばいだ。

因みにドイツでは3ヶ月以下で売ってはいけないのである。それ以下では病気になる確率も高く、自然に犬から学習することも減るから、とのことだった。これはもう20数年前の規則だが、多分今でもそうだと思う。日本では、可愛い盛りに飼いたい、ともっとずっと早い時期に手に入れる。

こうしたところで「可愛い」という感情の実相が明らかになる。僕は子犬よりも成犬の方がもっと可愛いけれど。子犬はたしかに可愛い。でも、ぬいぐるみが可愛いというのに似た感じではないか、動くぬいぐるみ。成犬になると、情の疎通があるところからくる可愛らしさだ。

さて、広告で適当に見当をつけて電話したところと約束を取り付け、出かけた。ハンブルグの北西にある村だった。

周知のように、ヨーロッパは道に名前がついているから、迷うことがない。ところが、これは都市部に限られる、と思い知らされた。農村部は、同じ名前の道が延々と続く。都市部なら地図1枚あれば見知らぬ土地でも必ず行き着くが、周辺部は普通の地図には載っておらず、携帯もない時代、途方にくれるのである。事前に電話でおよその道順を聞いたくらいではとても分からない。

夕闇が迫り、焦り始めたころ、ようやく農場へたどり着いた。

赤ら顔で、人のよさそうな男が農場主で、まず面談になった。僕たちの貧相な風体が気になったのか、失礼ですが収入はありますか、犬を飼うにはこれこれの経費がかかります、あなたたちにそれだけの収入がなければお売りしません、と言う。
自慢ではないが、収入は無い。でも何とか犬一頭なら飼える。面倒な説明は抜きにして「ある」と答えた。「まったく問題が無い」と答えた気もする。ちょいと詐欺師になった気持ちである。

2匹子犬が連れてこられた。どちらも元気いっぱい、部屋の中を走り回る。ただ、姉妹とは思えないくらい見かけが違うのだ。一匹は、シェパードの子犬らしく、額にはすでにダイヤ柄の模様が入っているのに、もう一匹は小さくて、頭のてっぺんから尻尾まで真っ黒、みすぼらしいといったほうがよいくらい。

どちらかがたまにしきになるのだ。決めかねてぐずぐずしていると、しまいに家内が「黒い方にしよう。もう一匹は綺麗だからすぐ貰い手がいると思うよ」と言った。実は僕もそう思っていたのですぐに同意した。

こうして小さく貧相なシェパードが我が家の娘、たまにしきになった。

まあ、舌切り雀のつづらと同じことかな。この子こそがたまだった。見ばえの良いほうを選んでいたら、あんなに賢い子ではなかったかもしれない。正しいたまにしきを選んだわけだ。2匹とも飼えなかっただろうか、と後々何べんも自問したが、そうしたらやはり違う性質に育ったろうな。

写真は生涯ただ一度の悪戯だ。はじめて留守番をさせたら、トイレをばらばらにまき散らしていた。ペットシートという便利なものを知らず、箱に新聞紙を広げ、土を振りかけておいた代物だ。普段は家の中にトイレを必要としていなかった。はじめて室内で飼うので、どのくらい我慢できるのか見当がつかなかったことがうかがえて可笑しい。ちょっと叱ったら、二度といたずらをしなかった。突き当たりのドアを開けると広いピアノ室。天気が悪いと廊下と部屋を開け放ってボール投げをしたなあ。