薬殺
2008年08月23日 | 犬
たま(にしき)というシェパードを、留学中の分際で飼うことになったいきさつを書いておこうかな。瓢箪から駒といおうか、予定調和の信奉者はともかく、明日のことは分からない、とつくづく思う出来事だったから。
僕たちの友人にニコルという女性がいる。当時はギムナジウムの生徒だった。ひょんなことから知り合い、大変親しくなった。時々家に寄っていってはあれこれ話し込んでいた。
ある日、彼女の友人の処でシェパードとボクサーのあいの子が11頭産まれたという話になった。聞くと、一所懸命貰い手を探しているが、もしも見つからない場合は殺すという。ニコルも平然として話す。しかし僕たちはびっくりしてしまった。貰い手がいない子犬を殺してしまうという発想はまったくなかったから。
ニコルが帰った後、僕たちは悶々とした気持ちであった。二人とも動物が、とくに犬が大好きだったせいだろう。思い切って1頭貰おう、何とかなるさ。決心してニコルに一緒に見にいく旨を伝え、領事館などを通じて、帰国する際の諸手続き等を確認した。当時は帰国する予定はまったくなかったのであるが、あらゆる場合を想定しなければ、とても大型犬を飼う決心なぞできなかった。
ビスマルクの屋敷がある森にはいくつか村落(といっても綺麗な家ばかり並ぶ住宅地)があり、その中の1つにニコルの友人は住んでいた。玄関を入ると、手製の柵があり、中に本当に11頭の子犬がうごめいている。生後2、3週間くらいだったかな。友人の男の子は僕たちに、一頭一頭の成長記録を見せてくれた。じつに克明に記されている。一日数回、体重を量り、グラフにしてあった。心から犬が好きだという様子なのだ。
そのうちに、貰い手がいなければ殺すというのは、自分が全責任を負うということなのだと合点がいった。帰国後、捨て犬、捨て猫に苦労させられたから、今ではなおさらよく理解できる。捨てられた犬猫は結局保健所で殺される。捨てた人は、せめて命だけは、と優しい気持ちを持ったつもりかもしれないが、保健所の人にもっとも辛い役目を押し付けているわけだ。
僕は今でも、ヨーロッパ的な非情さを伴う考え方を全面的に支持することは(心情的に)できかねる。心情的に、と断る点がすでにヨーロッパ的ではないのかもしれない。
それでも、捨て犬、捨て猫を拾って苦労ばかりした身としては、日本の人たちのほうが憐みを持つのだとはとても言えない。責任を転嫁していると言うべきだろう。
子犬が来る前から名前を考えた。僕は大型犬に格好よい名前をつけるのは好きではない。雌を希望していたけれど「たまにしき」という名前が浮かんだ。昭和初期に「玉錦」という横綱がいた。えらく喧嘩っ早い人で「けんか玉」という異名をもらったらしいが「たまにしき」と平仮名だとまた違った印象になるでしょう?ふだんは「たま」と呼べば、大型犬なのに猫の名前で愛嬌がある、うん、これにしよう。こうして我が家に来る子犬はたまちゃんになった。
日が経つにつれて、たまの姿は僕たちの中で勝手に育った。思いもよらぬ決心ではあったが、それまで動物好きの心を封印しているようなものだったから、もうわくわくして、散歩コースになる森に行く頻度も増した。
ある日ニコルがやって来た。例の子犬たちはみんな貰い手が見つかったという。何のことか、しばらく合点がいかなかった。事の次第は僕の言い方が婉曲すぎたところにあった。ドイツ人には、僕たちがかなり無理をして、どうしても貰い手がなかった場合には一匹引き受ける、と受け取られたらしい。ストレートに言えばよかったのだ。政治家とか外務省の連中には参考にしてもらいたいね。
これで、子犬たちは一匹も殺されずにすんだ。万事めでたしめでたし、だったはずだ。
僕たちの友人にニコルという女性がいる。当時はギムナジウムの生徒だった。ひょんなことから知り合い、大変親しくなった。時々家に寄っていってはあれこれ話し込んでいた。
ある日、彼女の友人の処でシェパードとボクサーのあいの子が11頭産まれたという話になった。聞くと、一所懸命貰い手を探しているが、もしも見つからない場合は殺すという。ニコルも平然として話す。しかし僕たちはびっくりしてしまった。貰い手がいない子犬を殺してしまうという発想はまったくなかったから。
ニコルが帰った後、僕たちは悶々とした気持ちであった。二人とも動物が、とくに犬が大好きだったせいだろう。思い切って1頭貰おう、何とかなるさ。決心してニコルに一緒に見にいく旨を伝え、領事館などを通じて、帰国する際の諸手続き等を確認した。当時は帰国する予定はまったくなかったのであるが、あらゆる場合を想定しなければ、とても大型犬を飼う決心なぞできなかった。
ビスマルクの屋敷がある森にはいくつか村落(といっても綺麗な家ばかり並ぶ住宅地)があり、その中の1つにニコルの友人は住んでいた。玄関を入ると、手製の柵があり、中に本当に11頭の子犬がうごめいている。生後2、3週間くらいだったかな。友人の男の子は僕たちに、一頭一頭の成長記録を見せてくれた。じつに克明に記されている。一日数回、体重を量り、グラフにしてあった。心から犬が好きだという様子なのだ。
そのうちに、貰い手がいなければ殺すというのは、自分が全責任を負うということなのだと合点がいった。帰国後、捨て犬、捨て猫に苦労させられたから、今ではなおさらよく理解できる。捨てられた犬猫は結局保健所で殺される。捨てた人は、せめて命だけは、と優しい気持ちを持ったつもりかもしれないが、保健所の人にもっとも辛い役目を押し付けているわけだ。
僕は今でも、ヨーロッパ的な非情さを伴う考え方を全面的に支持することは(心情的に)できかねる。心情的に、と断る点がすでにヨーロッパ的ではないのかもしれない。
それでも、捨て犬、捨て猫を拾って苦労ばかりした身としては、日本の人たちのほうが憐みを持つのだとはとても言えない。責任を転嫁していると言うべきだろう。
子犬が来る前から名前を考えた。僕は大型犬に格好よい名前をつけるのは好きではない。雌を希望していたけれど「たまにしき」という名前が浮かんだ。昭和初期に「玉錦」という横綱がいた。えらく喧嘩っ早い人で「けんか玉」という異名をもらったらしいが「たまにしき」と平仮名だとまた違った印象になるでしょう?ふだんは「たま」と呼べば、大型犬なのに猫の名前で愛嬌がある、うん、これにしよう。こうして我が家に来る子犬はたまちゃんになった。
日が経つにつれて、たまの姿は僕たちの中で勝手に育った。思いもよらぬ決心ではあったが、それまで動物好きの心を封印しているようなものだったから、もうわくわくして、散歩コースになる森に行く頻度も増した。
ある日ニコルがやって来た。例の子犬たちはみんな貰い手が見つかったという。何のことか、しばらく合点がいかなかった。事の次第は僕の言い方が婉曲すぎたところにあった。ドイツ人には、僕たちがかなり無理をして、どうしても貰い手がなかった場合には一匹引き受ける、と受け取られたらしい。ストレートに言えばよかったのだ。政治家とか外務省の連中には参考にしてもらいたいね。
これで、子犬たちは一匹も殺されずにすんだ。万事めでたしめでたし、だったはずだ。