季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

全曲演奏

2008年08月20日 | 音楽
大学時代に、岩城宏之さんが学生オケを指導しに来たことがあった。学生オケは、なんといってもやっつけでまとまっているわけだから、上手なはずはないのだが、その時も情けない音でへなへなしていた。曲目などは、記憶は星のかなたに消し飛んでいる。

ある箇所のピッツィカートで、岩城さんは弦楽器群に向かってこう言った。「お前らのピッツィカートはペンとしか鳴らないじゃないか。外国の一流のオケのはな、ルンっていうんだぞ」

これはその通りなので、聴講していた僕はわが意をえたり、と思ったものだ。

この指揮者で心から賛同できたのはこれっきりだ。ずっと注意を注いでいたわけではないのでその後の彼の活躍は知らないけれど。

金沢にアンサンブルを創ったりしていることは、メディアが取り上げるから知ってはいた。

そのうちにベートーヴェンの交響曲連続演奏なる企画を打ち出したと聞いたときも、無関心に聞き流した。

それでも、この企画が結構な話題になり、記事もちらほら出るようになり、岩城さんの「連続演奏をしてみてベートーヴェンの偉大さがわかった」という言葉が紹介されるにいたって、ついに僕も着目せざるを得なかった。

知っている人は知っている。知らない人は知るまいが、なんていうと「月光仮面」のようだなあ。若い人たちは多分知らないだろう。

横道へ入るのはやめておこう。

知らないひとのために付け加えておく。連続演奏というのは、9曲をぶっ通しで演奏するのだ。24時間テレビのようなものかな。と言っても、僕は24時間テレビを見たことがない。およその見当でものを言ったことは反省している。もちろん休憩は挟むのですよ。岩城さんも大変だが、楽員も大変だよなあ、労働基準法に引っ掛からないのか、そんな気遣いまで、気遣いの人である僕としては、したくなる。

しかし、こんな偉大な企画を誰が考え出したのか。人がしないことをする。ふむ。人が嫌がることをする人がいますか、と毒入り餃子事件で、中国に抗議しないのかを訊ねられた際に言ったのは我らの首相だが、それとはちょっと違う気もする。大いに違うと言っても間違いない気もする。

連続で演奏して初めて分かることといえば、一曲よりも九曲は時間がかかり、肉体疲労も増す。リポビタンDを傍らにおいて臨みたい、ということであって、ベートーヴェンの偉大さではないと思うがなあ。

聴いている人だって、ただ疲れただけさ。疲れて偉大だと思うなら、麻雀を続けて、こんなゲームを発明した人類は偉大だ、と叫ぶ輩が出ても不思議ではない。げんに僕の友人には、そういう連中が三人はいる。

岩城さんがハイドンの偉さを実感しようとしなかったのは、幸いであった。104曲もあるんだぞ。ベートーヴェンが何だ、たったの9曲じゃないか。日本の金メダルより1個多いだけではないか。

彼がそんなアイデアにとりつかれたら、確実に労働基準法に触れ、いや、それどころか何人もの楽員が倒れたであろう。もしかしたら岩城さんは楽員の健康に配慮して、最高のアイデアを封印したのかもしれない。

僕はピアノの世界でも、スカルラッティの600余にのぼるソナタを連続演奏する人が出ることを期待する。ここでもベートーヴェンはたったの32曲さ。え、でも長さが違うって?弱ったな、そのうちページを数えます。いや、誰か数えてください。