一年先には米を育てよ。
十年先には木を育てよ。
百年先には人を育てよ。
いずれにせよ、臭い肥やしをかければよく育ちます。
また今日は桑田圭祐、岡本太郎という大物たちの誕生日でもあります。天性の美的センスがある方々が多い誕生日らしいです。なるほどザ・誕生日。
反乱とかクーデターがいいとか悪いとかでなくて、当時、命がけで国を思い、家族を思い、故郷を思って、義憤に燃え決起した青年たちがおったという事実を知りました。こういう志高き青年が私は応援したいし、私もなりたいです。私は徒党を組まずに、一人でも筋を通していこうと思います。「犀角独歩」。意思あるところに道はある!Where there is will,there is a way.
事件概要(Wikipediaより)
大日本帝国陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(20歳代の隊付の大尉から少尉が中心)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らはこの考えの下、1936年(昭和11年)2月26日未明に決起する。
その上で、彼らは軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えた。しかし軍と政府は、彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。反乱将校たちは下士官・兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。事件の首謀者は銃殺刑に処された。
統制経済による高度国防国家への改造を計画した陸軍の中央幕僚と、上下一貫・左右一体を合言葉に特権階級を除去した天皇政治の実現を図った革新派の隊付青年将校は対立していた。はじめは懐柔策を講じていた幕僚らは目障りな隊付青年将校に圧迫を加えるようになった。
革命的な国家社会主義者北一輝が記した『日本改造法案大綱』の中で述べた「君側の奸」の思想の下、天皇を手中に収め、邪魔者を殺し皇道派が主権を握ることを目的とした「昭和維新」「尊皇討奸」の影響を受けた安藤輝三、野中四郎、香田清貞、栗原安秀、中橋基明、丹生誠忠、磯部浅一、村中孝次らを中心とする尉官クラスの青年将校は、政治家と財閥系大企業との癒着が代表する政治腐敗や、大恐慌から続く深刻な不況等の現状を打破する必要性を声高に叫んでいた。
陸軍はこうした動きを危険思想と判断し、長期に渡り憲兵に青年将校の動向を監視させていたが、1934年(昭和9年)11月、事件の芽をあらかじめ摘む形で士官学校事件において磯部と村中を逮捕した。しかしこれによって青年将校の間で逆に上官に対する不信感が生まれることになった。
『六月二十八日。青空が仰ぎたい。太陽の光を全身に浴びて、大地を心ゆく迄踏みしめたい。すがすがしい新緑の木の葉の匂いを肺臓一杯吸いたい、そうして精一杯働いて働き抜きたい。人はすべてを失ったとき此の心が湧く』
叛乱軍に参加して銃殺刑に処せられた、竹島継夫(元歩兵中尉 30歳)のものと伝えられています。
熱くなれ
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厚くなれ面の皮
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暑くなれ冬
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篤くなれ人に
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よっしゃ
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今日は気温6度まであがるようです↑すこし熟睡できました(^^;風呂に入り午前2時過ぎに就寝して午前6時半に起床。遅刻気味(+_+)でも寝たという実感はあります(^o^)/
風の中のおのれわ責めて歩く(種田山頭火)