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1945年7月28日~7月29日にかけて青森県青森市が受けた空襲のこと。東北地方で最多の犠牲者を出しました。北海道産の石炭の本州陸揚げ港であった港町を狙った空襲です。
【概要】
1945年7月27日深夜、2機のB29が青森市に飛来し、照明弾とともに6万枚程のビラを撒く。ビラには数日の内に、青森市を含む11の都市のうち4~5つの都市を爆撃するから、避難するようにと書かれていた。しかし憲兵隊、警察によって読むことを禁止され、さらに回収されたため、警告が伝わっていなかった。7月28日21時15分。青森県地区警戒警報発令。それから間もない22時10分空襲警報発令。この頃、前進基地の硫黄島を離陸したB29は、仙台湾から男鹿半島へ抜け、鰺ヶ沢町附近から青森市に向った。 そして暗闇に包まれた青森市に現れた62機(内1機は投下失敗)のB29は、照明弾で市内を照らしたのち、22時37分、焼夷弾の投下を始め、23時48分まで続いた。M74六角焼夷弾38本を束ねた2186発のE48焼夷集束弾が投下され、83000本もの焼夷弾が降り注いだ。
青森市立橋本小学校付近に居た人たちは一気に浦町駅(現在の平和公園)
『易経・繁辞伝』に孔子のことばとして「是の故に君子は安くして危うきを忘れず、治にして乱を忘れず(君子は安全だと思っても危険ではないかと用心し、平和であっても乱れるのではないかと用心する)」とあるのに基づきます。日本の今は平和ボケしているように思います。
平和が見つからぬというものは、見つけようとする努力を怠ったもの。
ヘンリー・ミラー(アメリカ)
There never was a good war or a bad peace.
善き戦争のありしことなく悪しき平和のありしことなし!