男うちごはん

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宮中新嘗祭献穀

2017年01月13日 08時44分54秒 | 地域の話

続いてですが、宮中ネタ

以下は、JA西東京の広報誌より無断転用です。 感謝

簡単に言うと 天皇陛下は、農家のトップに当たるわけで

10年くらい前も青梅市内で、宮中新嘗祭献穀を行っていますが、1年間そりゃ大変みたいです。

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大典記念の碑

2017年01月13日 08時18分22秒 | 地域の話

何もない空き地です。つまり、公園、神社、お寺じゃないです。もしかして個人の土地???

碑があるので、不思議に思ってました。思い切って寄ってみました。

新町2丁目7付近です。昔は、畑だったような気がします。

大典記念 大正四年十一月十日と読めます

実は、”大典”の意味も全く知りませんでした。 さすが! 笑

これは、大正天皇がご逝去され、昭和天皇に即位された、その即位式です 

しかし、こんな物がこんなところにって感じです びっくり!

今とくらべ、とてもとてもとても喜ばしい事だったようです

以下 コピペ 感謝  原典http://www.kyobunka.or.jp/phot/taiten.html

御大典と京都市民  

大正・昭和両天皇の御大典は、それぞれ大正4(1915)年11月10日と昭和3(1928)年11月10日に京都御所で行われました。天皇の即位儀礼には、前天皇の死後ただちに後継者が即位する「践祚(せんそ)」、天皇即位を国の内外に宣言する「即位式」、新天皇がその年の新穀を神と共食する「大嘗祭(だいじょうさい)」の3つの異なる儀礼が含まれていましたが、明治42(1909)年の登極令の制定により、即位式と大嘗祭は、前天皇の喪が明けた年の秋冬の間に続けて行われることに決められました。このふたつの儀礼をセットにしたのが「御大典」であり、国家的なイベントとして盛大に行われました。
大正3(1914)年に参戦した第一次世界大戦の特需景気に湧いていた京都では、大典にかこつけた市民のエネルギ-が爆発しました。明治後半に、道路拡張事業、第2疎水・水道事業、電気鉄道建設事業をやり終えて、近代的な都市基盤が整備された京都では、特需景気もあり、一種異様な興奮状態にあったようです。
昭和の御大典は、昭和3(1928)年11月10日京都御所における即位式を皮切りに、同月14日から15日にかけて大嘗祭が行われ、16日からは御大典を祝う一般市民による提灯行列や旗行列が市内に繰り出しました。しかし、雨が多かったことと、天皇在京中の規制が強かったことから、思う存分踊れなかったというので、天皇が東京に戻る26日から奉祝踊を再度行うことを警察に申請し、26日から5日間が認められ、この間は大幅に規制を緩めることとなりました。昭和の御大典後の奉祝踊も盛大に行われました。

 

コメント (5)
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