e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

一家に一台

2010年08月26日 | グルメ
皆さんのご家庭には、この写真のような調理器がありますか?


ある地方では“一家に一台ある”と言われています。


我が家でも、電気店のチラシを見て安いモノを買いに行ったのですが、


いろいろ見ていると、性能のよいものが欲しくなり、


最終的には「電気で焼くよりやっぱりガス!」ということで、


悩んだ末に、写真のモノを購入しました。


使用頻度は、それぞれの家庭・子どもの成長の時期によって異なると思うのですが、


これからの季節、この味が恋しくなります。


帰宅時に、車の中からこれを売る店の赤い提灯や看板の絵などを見ると、


つい立ち寄って買ってしまいそうになります。




「写真;ある地域では一家に一台あるという調理器具」




















公衆電話の日

2010年08月26日 | e411y全般
9月11日は、公衆電話の日です。
明治33年(1900)のこの日、日本で初の公衆電話が、東京の上野駅と新橋駅の構内にあわせて5台設置されました。



当時は公衆電話ではなく、自動電話と呼ばれました。
まだ、電話が非常に珍しい時代に、誰でも終日利用できる電話が登場したわけです。
もっとも、当時の公衆電話は、受話器をとって交換手を呼び出し、お金を入れてつないでもらうものでした。この使い方がわかりにくく、受話器を取らなかったり、交換手を呼び出す前にお金を入れたり、5銭と10銭の入れ口を間違えたりということがあって、初めのうちはほとんど利用されなかったようです。






でも、まさかあの商品に有効期限があるなんて、そんなことなんにも知らなかったし、気付かなかった・・・



昨年、あの旅に出掛ける準備をしていて



イギリス・フランスにおける使用方法を読んでいたら、有効期限があることを発見!



何年か前に、関西空港の自販機で購入した物だけど、



少ししか使っていない物と未使用の物と、2枚とも有効期限が切れていた。



少しガッカリ・・・



自販機には 有効期限があることの表示無かったぞ!



その商品のパッケージ(表面)にも 有効期限の表示無かったぞ!



よく似た物で(他社の)国内で使用するものには 有効期限は無いぞ!


「写真;ケンブリッジの街」


ベルンの名物料理

2010年08月26日 | スイス
この夏の旅でただ1回の自由食は、スイス・ベルンでの夕食だった。


旅行雑誌“るるぶ”によると、


ベルンで最も古いレストランの1つである“デッラ・カーサ”で、


ベルン名物料理は“ベルナープラッテ”だそうだ。


地図を頼りに店を探し、どうにか到着したのだが、


私は(京都のMさんのようには)上手に話せないのだ。しかもドイツ語圏・・・


(だからだと思うのだが)親切な女性店員は誰もいない店の一番奥に通してくれた。


他の客はみんな店先や入り口付近で食べているのに・・・


実は私は、スイスフランとユーロを混ぜて支払いをしたいと伝えたかったのだ。


飲み物のオーダーは勿論ビールを、


料理は結局“るるぶ”の写真を指で示した。


店の奥は本当に薄暗く、“るるぶ”の文字すら読み辛かった。勿論メニューも・・・


後は適当にメニューから選んだ。


料理が出て来て嬉しくて、食べてから気がついた・・・


一番撮りたかった料理の写真 ト・ル・ノ・ワ・ス・レ・テ・タ・・・


「写真;ベルン名物料理“ベルナープラッテ”の次に出た料理」


1ユーロ均一のお店

2010年08月26日 | ドイツ
日本には“100円均一のお店”が沢山あるが、



ドイツ・ハイデルベルグの町で“1ユーロ均一のお店”を発見した。



店内の商品は、W杯の後だったからか、その関連グッズが多く、



ドイツの国旗色をしたベルト、キーホルダー、応援用のドイツ国旗etc・・・



いろいろお土産用に欲しかったのだが、



私がそのとき本当に欲しかったのは“長袖のパーカー”だった。



熱波のヨーロッパと聞いて来たのに、着いたら最高気温は23℃、



空気は乾燥し私には少々涼しすぎたのだ。



次の町にも“1ユーロ均”はあるだろうと、まずは寒さ対策を優先した。



しかし、旅の終わりまでもう“1ユーロ均”に出会うことは無かった。



やっぱりあの時、買っておけばヨカッタ・・・



でもお土産に貰っても、ドイツの国旗色した約150円のベルトを誰が締めるねん?



「写真;街角で見かけた看板」



どっちの料理ショー

2010年08月26日 | 麺類
一昨日のTV“どっちの料理ショー”は“麦とろVSそうめん”だった。


“そうめん”といえば・・・三輪そうめん!って思い、TVをしっかり見たら、


仕事人の向こうに、やっぱり“三輪山”が映っていた。 



我が家では、そうめんより他の麺類(特にうどん )の消費が多い。





だから毎年、知り合い等から頂くそうめんが残ってきている。





年代モノのそうめんを生産しているようなものだ・・・





なのに“そうめん屑”を見ると、食べたくなるのは天邪鬼?





巻き寿司の端が好きな人もいるのでは?





大神神社の鳥居を出て直ぐの辻を右(北)へ曲がると、




すぐに写真㊤のような落ち着いたお店があるのだが、私はまだ入ったことがない。


番組が終わって新聞を片付けていたら、こんな折込広告も発見した。





「写真;㊤大神神社近くのお店・森正」



8月のカレンダー

2010年08月26日 | e411y全般
ルーブルの8月のカレンダーは、アングルの代表作“オダリスク”。

“妙にバランスの悪い?長い胴と腕を持った裸婦”が横たわり、顔をこちらに向けている。

もう一月程前になってしまったが、私は自宅のこのカレンダーをチラチラ見ながら、

“モナリザ”との再会を夢見て 旅の準備をしていたのだ。

旅の最終日にルーブルへ・・・

今回、“モナリザ”はあまり微笑んでくれなかったが、

何故か一番印象に残った絵が このアングルの“オダリスク” 本当に美しかった・・・

今日でこのカレンダーともお別れ。 

いろいろあった今年の8月も終わってしまうのだ。

「写真;パリ・ルーブル美術館」


マディソン郡の橋

2010年08月26日 | 県内
もう10年以上も前になるのか


“マディソン郡の橋”という映画がヒットした


私はこの映画を観ずにいたのだが 先日、古本屋でこの本に出会った。


中年の男女の愛・・・クリント・イーストウッドが監督・主演だった・・・


それぐらいの知識しか持っていなかった。


“マディソン郡の橋”の写真を見たくてインターネットで調べていると


「橋は人や物を対岸に渡すために建設されるから、喜びや悲しみも橋を渡る。そして、ある時にはローズマン・ブリッジのように、人が立ち止って人生の哀歓を振り返ることもあるのである。私も何十年かのち、その建設に深くかかわった明石海峡大橋のたもとから、明石海峡の流れの中に帰りたいものだと思っている。しかし、世界最大のこの橋は人間の感傷とは次元の異なるスケールであるため、そこで灰を撒いてもらっても絵にならない気がする。ちっぽけな1個人の終焉を見守るには、やはりマディソン郡の橋のようなカバードブリッジが良いようだ。」と言うコメントを発見した。
先日、神戸に行き明石海峡大橋を見ただけなので橋が瞼に浮かんでくるのだが・・・


我が家の近くにも“屋根付きの橋”があるのを思い出した。


ただこの橋にはクリント・イーストウッドは似合わないだろう・・・


「写真;談山神社の屋形橋」


ジャガイモ

2010年08月26日 | ドイツ
昨年のイギリスでジャガイモに満足したのだが


今回のドイツでも再びが毎食登場し・・・


ドイツでは 比較的小さなジャガイモが形のまま登場したので


家の畑やったら小さいからとバケツで捨ててる大きさやけど・・・


ドイツの人、ようこんな小さいのまで拾いやんねなぁ~って関心していた。


先日、ある本を読んでいると


ドイツの王様が 「国民にジャガイモを食べるように」と御触れをだしたのだが


国民はこれまで食べたことの無い食物を、悪魔の・・・と言って食べなかったそうだ。


そこで国王は知恵を働かせて 「これからは貴族以外は食べてはならない」と御触れを出し直したそうだ。人の心って不思議なもので・・・イケナイと言われると・・・


ジャガイモは国内に広がり 飢饉の年もジャガイモを食べたので耐えられたそうである。


新大陸のジャガイモがヨーロッパへ そして我が家の畑にも・・・


いつの日か アンデスへも行ってみたいものだ・・・



























岬めぐり

2010年08月26日 | 自宅から西へ
ある方がブログで “思い出の曲”について書いておられた。


私は夏の終わりが近づくと “岬めぐり”の歌を思い出す。


高校1年生の夏、私は同じ中学校の友人たちと岬めぐりの旅に出かけた。


目指すは和歌山県の潮岬。


海の無いN県に育った我々にとっては“海”は特別な存在である。


海水浴をしようと海岸(串本あたり?)に行ってみたのだが・・・台風の接近で波は高く・・・


まぁ~折角来たんだからと 閉まっている海の家のウラで適当に着替えた。


「ワァ~」って全員で海に突入した瞬間、私の身体は海水の中をクルクル回転した。


目を開けてあちこち見ても、ただ砂が舞っているだけ・・・


必死になって平泳ぎをいくらしても海面に到着出来ない・・・


私は“上(海面)”が分からなくなっていることに気がついた。


息苦しくなっていくのを我慢して 身体が海面に浮くことを信じてじっとしていることにした。


やっと顔が海面に出た瞬間、息継ぎをする間もなくまた大きな波にのまれ身体が回転をした。 何度か浮かび上がって海面から顔が出た瞬間に陸の方向に泳ぐことにした。


足が立ちそうなところまで・・・手で海底の砂を掴んで地球にしがみつこうとしても、また沖の方に身体を連れ戻されてしまった。


沖のブイにしがみ付きながら「コノママデハシンデシマウ・・・」と考えてしまった。


何度上陸をチャレンジしたのだろうか・・・私は陸に寝転ぶことが出来た。


自分は“イ・キ・テ・イ・ル・ン・ダ”って思った。


翌日の新聞には 私たちによく似た若者が(無謀に)遊泳している姿が写真に載っていた。


「写真;明石海峡大橋 海の向こうは淡路島」